2009年 No.4

とこママさん 投稿者:ひつじ  投稿日:200911 9()001651
はじめまして。とこママさん。とこママさんのお話、そしてお辛い気持ち、とても身につまされますお嬢さんの言葉は、まるで自分の娘が発している言葉のようです。うちの娘も、カッターナイフを手首に添え、思いつめた表情でぼーっとしているときが何度かありました。ただ、まだ実際には傷つけたことはなく、未遂に終わっていますが、目的は傷つけることでななく、それはやはり、まえりんさんのお嬢さんがおっしゃったように、「自分の存在や辛さを分かってほしい」そのための手段だったのだと思います。もし伝えてくれていなかったら、誰もいないところで、たった一人で孤独に娘は命を絶っていたかもしれない。そう思うととても恐ろしいし、伝えてくれてよかったと感謝しています。また、何に怒っているのか、私の何が娘を裏切っているというのか、まったく心当たりがない時、私もよくあります。でも、娘にしてみると、自分を最優先に考えてもらえていない、そう感じたとき、親に対して絶望するのでしょうね。たとえば、自分が辛くてそばにいてもらいたいのに、親の用事を優先されてしまったり、食べ物をあと少し買いたいだけなのに、我慢してと言われたり私もついつい、娘よりも、自分の仕事や、家計のやりくりのほうが気になって、「ちょっと今は難しい」とか「もう今日はいいんじゃない」なんて言ってしまうことがありますが、そんなときは必ず症状がひどくなります。家計は、うちも本当に苦しいです。食費は以前の3倍以上に膨れ上がっています。大学もこれからですし(今より症状が悪くならなければですが)、下に妹も控えています。ますます出費は嵩みます。前は、家計のこともあるけれど、渡すお金が増えると、過食が増える、そして嘔吐もひどくなる、その流れを止めたくて、細かく娘の食べ物への使い道をチェックしていました。参考書を買うと言ってお金を渡したのに、その参考書がない、「どうして?」「夕べあげたお金はどうしたの?」「おつりは?」「領収書は?」見逃してはいけないと必死でした。でもそれはかえって娘のストレスを増やし、状況を悪くしていたようです。娘に「お金、お金、そればかりやめて。それ言われるの一番嫌い」と涙ながらに訴えられて初めて、娘がそれまでどんなに私のチェックに耐えていたかを知りました。今は、仕方ないと半ばあきらめ、こちらからわざわざ過食のためのお金を渡すことはありませんが、本人が欲しい、買いたいと言ったときは、何も言わず、要求してくる額を渡すようにしています。借金してでも今は仕方ない・・・と腹をくくりました。それで娘の気持ちが穏やかになるなら、そして症状がよくなる近道になるなら・・・と。もしかしたら近道にもならないかもしれない。よくならないままどんどん悪化して、お金もすっかりなくなって、家庭が破綻するかもしれない。でも、それはそのとき考えよう・・・と。今は娘の気持ちを優先させる、それしか方法がないんですよね。ごめんなさい。うちはまだ回復に向かっているわけでもないし、これからもっとひどくなるかもしれないので「こうすればいいのでは?」なんてことは何も言えないくて、ただのぼやきになってしまいましたが、とこママさん、どんなにお辛いか、本当に私も胸がいたみます。

とこママさん 投稿者:まえりん  投稿日:200911 8()114250
『自分で自分に傷をつけるのも一種の対処行動』とタカさんがおっしゃっていましたが、驚きとショックで親もどうして良いのか分かりませんよね。きっとお嬢さんは、想像の中での不安が一杯で心がザワザワしているんでしょうね。お嬢さんが発する言葉に淋しさや辛さが伝わります。娘も何度かリストカットをしましたが『どうしようもなく、自分を傷つけたくなる』と言っていました。『自分のことを心配して欲しい』『こんなことをするぐらい辛いんだよ』と−自分の存在や辛さを分かって欲しかった−と今は話せるようになりましたが、その最中の気持ちはごちゃごちゃだったと言ってます。私は最初の頃『痛そうだけど大丈夫』とだけ声をかけていました。理由を聞いても答えてくれない、と思っていたのでただ見守るだけ。何も言わないことで『このうるさい母親がどれだけ我慢し心配しているか…』と娘が理解し問題行動を抑止出来るんじゃないか、と思っていましたが、それは逆で、ますますエスカレートして行きました。家だけでなく、学校のトイレでも切ったりするようになりました。私は『言わないのは逃げているだけかな』と思い、答えてくれなくても『何が辛かったの?』と聞いて『痛い思いをするまで貴女は辛かったんだね』と抱きしめて泣きました。傷の手当てをして『いたいの、いたいの、とんでけぇ〜』と最後はおどけたこともありました。娘は『ごめんね』と何度も謝っていましたが『謝らなくて良いんだよ。−ありがとう−が良いね』と話していました。親の想像で子どもの想いや考えを決め付け、黙っているのではなく『どうして?』と聞いて良いと思いますよ。答えてくれなくても(考えられず答えられないかも知れないし)『お母さんは貴女のこと心配だし、気持ちを知りたい』と子どもに伝え、寄り添うことが大切だと思います。私は黙っていたことが娘にとってプラスだったことは、症状が真っ最中の頃にはなかったように思います。お互いに一番辛いこの時期だからこそ、親が側にいて話しかけることが大切だったな…と思います。頭で考えると難しいことでも、親が『やってあげたい』と思ってやることは結果、子どもが親に近付いてくることに繋がると思います。とこママさんの辛い気持ち分かります。お嬢さんも同じ。気の利いた言葉より、一緒に揺れながら側にいてあげて下さい。

(無題) 投稿者:とこママ  投稿日:200911 8()030920
娘は腕に傷を付けてしまいました。「あんたが私にそうさしたんよ。私を裏切った、逃げた。許さん何も分かってない。証拠を残して私は死んでやる。周りのみんなにひどい親だと知ってもらう。死なんとおもて、甘くみてるやろ。」カッターナイフを私に見せて、こう言います。ショックです。今日何を裏切ったのか検討がつかないんです。「過食嘔吐したくないのに、あんたは当たり前のように、買い物に行く。そんなに私を苦しめたいのか」 私が買い物に行くって言ったからでしょうか?昨日今月は家計が苦しいからと伝えたからでしょうか? 寝ないと心配するとは思うのですがねむれません。参りました。すみません。だいぶ動揺してます。

わたしも・・・ 投稿者:ダックスのママ  投稿日:200911 5()105345
とこママさん 病院お疲れ様でした。お嬢さん御自分の病と向き合っていこうと前向きでいらっしゃるから いい先生とであえればいいですね。タカさんはお医者様についても情報を沢山お持ちなので 御相談なさるのも一案かと思います。経済上の悩み我家もかかえているので共感します。親としては娘にはできることなら何でもしてあげたいし安心して生活できる環境を作ってあげたいのは山々ですが、これだけはどうにもなりません。病気を抱えているとなんやかやと普通のご家庭以上に出費もかさみますしね。経済上のことは、いくら娘に隠そうとしても隠しきれませんし家は娘は粗方事情は知っています。現実を見ることで娘もそれに対処していく力がついていくだろう。とそう前向きに捕らえるしかないのかな。というのが今の我家の状態です。とはいうもののやはり娘には安心感を提供してあげたいのに、よけいな心配をかけなければならないことに葛藤しています。できる範囲の中でお互い妥協しながら。。。というところでしょうか。難しいところで 実はわたしもいつも悩んでいます。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:20091119()094110
幸幸さん、たぶんみんな確信なんてないと思いますよ。娘の表情、態度、言葉から判断しながら、我が家なりのやりかたを試行錯誤で探していくのかなと思います。だから、そこがうまくかみ合わない時は、ほんとに親子で辛いですよね。幸幸さんもわかってらっしゃるように、早いうちの方が早く治るという思いが、あせりになってしまってるんじゃないでしょうか。ポコでは、あせらない、比べない、諦めないってよく言われます。ほんとにあれもこれも心配なことばかりだけど、その行動そのものをなんとかしようと思っても、この時期はうまくいかないかなと思います。精神的に安定してくると、少しずついろんなことが、できるようになってきますから。うちの娘もリストカット、キスマーク、泥棒が入ったのかと思うほど散らかった部屋、自分の部屋で一人で食事、みんなやってました。でも、そんなことも全部含めて、娘のことが大好きだし、大切だと思ってるよっていうことを伝え続けることが、大事かな。こんなめちゃくちゃなことやっても見放さないでいてくれるんだなって、娘が感じた時に変わっていきますよ。私の場合は、いつも明るく挨拶すること、娘が話したがってるときは、何時間でも話を聴くことを続けてるうちに精神的に安定してきましたよ。早く治さなきゃっていう思いは、どうしても今の娘さんを否定してしまうことになると思うので、長くかかるかもしれないな〜って覚悟を決めちゃいましょう。家族会に参加して、いろんな人の話を聞いたり、話したりすると、力が抜けて、楽になりますよ。話し相手つくりましょ

ポコ記念日 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091127()002437
一年前の11月26日。都賀で本人の会があり娘が参加して初めてタカさんと会いました。日々奮闘しているうちに、あれからちょうど一年がたちました。娘と 保険センターを探しながら期待と不安が入り混じった気持ちであの道を歩いたのをきのうのことのように思い出します。なんだか感慨無量です。わたしが始めて家族会に参加したのは一月。まえりんさんも初参加でしたね。ブロッコリーさんも初参加ではなかったでしょうか。涙されていたのを覚えています。あれから一年近く・・・まえりんさんのところは努力のかいあって回復へとどんどん向かわれ ブロッコリーさんも書き込みを拝見するととても元気になられてお嬢さんと向き合っておられるよですね。みなさん 変わられましたね。なにしろ 毎日が無我夢中で一日一日をクリアーするのが精一杯で 未だに自分自身のことはよく見えていませんが、家族会という心休まる居場所タカさんという後ろ盾を得たことで わたしも以前より明るく、すこしだけ強くなったような気がしています。そして娘はまさしくアイルさんのお嬢さんと同じく 試練のなかで道を探している最中です。

入院しました 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091124()221128
今日、娘は入院しました。本当に不安げでおいてくるのが心配でした。病院から学校に行くといっても一時間ちょっとかかり、朝はゆっくり出ていくとはいえまだまだ満員の時間帯に電車に乗ってでかけていくのは(今は車で送ったりバスで行っているので)社会恐怖があり、人が恐い娘にとっては戦場にでていくに等しいものがあると思います。また過食嘔吐を我慢することはすごく苦しいことだと思います。先ほども いろいろな不安を募らせ娘が電話してきましたが、主人が「病院には過食嘔吐を治しにいったわけではなく時間をうまく使ったり対処方を学んだりするために入院したのだし、そ結果として過食嘔吐が減ればいいわけだからその点をはきちがえるなよ」とはげましていました。まだまだ始ったばかりで、どうなるか予測がつきませんが壁にぶちあたりながらその都度考えてやっていってくれるのを見守っていくしかありませんね。そうそう、病院から 職場や学校にいくことを「ナイトホスピタル」というそうですね。初めて知りました。

(無題) 投稿者:みき  投稿日:20091130()221829
お久しぶりです。拒食で低体重の娘は先日学校で倒れ(3回目です)、救急車で病院へ運ばれました。今回はさすがに本人も多少の体重増加の必要を感じ始め、ずっと続けてきた一日300kカロリーでしたが主治医と相談して体に負担がかからない程度に少しずつ食べる量を増やす事にしたようです。今夜お風呂上りにいつものように体重を計ったようで、まるでこの世の終わりのような顔をしてよたよたと歩いてきて「太った、。」と一言言ってテーブルに顔を伏せてしまいました。100g位増えたのかもしれませんが、本人にとっては辛く耐え難いのだと思います。このような時、親はどのように対応をすれば良いのでしょうか? 「それは良かったね。」と私の本音を言うのは本人の心を逆撫でするでしょうし、単にオウム返しに、「そう、太ったの。」が良いのかしら、とあれこれ考えましたがわかりません。何も言わないのも無視しているようですし、、。何とか娘を安心させる事ができればと思います。私はいつも失敗ばかりで、娘から対応が悪いと毎回睨まれていますので、何とか今回は上手に対応したいと思っています。皆様のアドヴァイスをよろしくお願いします。

そうでした。。 投稿者:きんもく星人  投稿日:200912 1()011624
今のみきさんと同じ悩みを抱えていました。娘同様私も一番つらい部分だったかもしれません。何と答えていいかわかりませんでした。あれこれ考えて言ってみました。20回何か言って1回ヒットするくらいでした。正論っぽいことを言っていたように思いますが、なんと言ったか覚えていません。今だったら…「そうかー…つらいねー…がんばってるよねー…すごいよ、ほんと」と、娘と同じ気持ちになって言って、そのつらそうな肩を抱くかなぁ。上手な対応なんてできていませんでしたが、それでも娘は無限ループから抜け出せました。あまり考えすぎないで、その場しのぎの対応でも、そのときの子どもの気持ちと一緒になって一生懸命やっていればいつか抜け出せると思います。

みきさん 投稿者:まえりん  投稿日:200912 1()10164
『この子は太ることも含めていろんなことが怖いんだな』と言う気持ちを分かれば良いですよ。私は娘が拒食の時にはタカさんやポコのみなさんと出会っていませんでしたから、娘の気持ちを察することは出来ませんでしたが、今だったら『太ることって怖いよね。食べ続けるんじゃないか、太り続けるんじゃないか、って思っちゃうよね。そんなに不安なら、先生に相談してみようか?』って言うのかな?単なる気休めやその場しのぎにしかならないかも知れないし、逆に『そんなことはいつも相談しているよ!』と怒られちゃうかも知れないけど、それでも良いと思います。怒ることで吐き出させるってこともありかな?と思っています。娘の気持ちを和らげる言葉よりも一緒に『どうして不安なのかな?一緒に考えてみようか?』と言うスタイルで行くのかな…

(無題) 投稿者:マロン  投稿日:200912 1()15383
青空さんへ  うちの娘も高2で、昨年から体重が減り始め、46キロから31キロになってしまいました。7月に心療内科に通いだしましたが、体重は減り続けています。入院もした方がいい、と言われたのですが、強制的に栄養を入れるのではなく、心理療法とかカウンセリングみたいなので、心の面からの治療が出来ないのか担当医に聞きましたら、この体重では、思考が片寄って正常に考えられなくなってきているので、(特に体重に関しては)、ある程度の体重に戻してからでないと、心理療法は行えない、と言われました。ポコに出会うまでは、心配のあまり、食べた方がいい、と常に食べ方の事ばかり言ってしまっていましたが、今は極力、食べる言葉は心の中に抑えるようにしていますが、あまりに食べないでいるのを見ていると、つい、もう少し食べたら? なんて言ってしまうこともあります。先月の家族会で、心の栄養を与えるのは、家族のちから。というお話がありました。今まで頑張りすぎてきた娘なので、なるべく一緒に歩いていこうと思っています。

マロンさんへ 投稿者:青空  投稿日:200912 1()175352
始めましてマロンさん修学旅行から無事に帰られたようで本当によかったです。とても心配しておりました。うちの娘は身長が162cmで9月にはじめて心療内科に連れて行った時は36.6`でした。その時は朝だけはしっかり食べていましたが、夜は豆腐だけとかで、週三日程点滴をうけていました。だんだん食べれなくなり、とても疲れやすくなってしまいましたが、それでも学校に行きバイトもしていました。入院する前の日、授業中に倒れて意識がなくなり救急車で心療内科に運ばれ低血糖でした。精神科に紹介されましたが、入院予約が取れず、一週間待つように言われましたが、このままでは娘は死んでしまうと思い、翌日総合病院に連れて行き小児科で即入院となりました。低体重の場合心不全を起こし死に至ることがあり命に危険があるそうです。入院後一週間後に免疫力が低下している為、感染症を起こし二週間ほど高熱もでました。入院してこれで、命だけは助かったと思いました。生きてさえいてくれれば、またがんばれると思いました。今は強制栄養で身体は元気になりましたが、心が着いていけず、まだ治そうという気持ちになれないようです。マロンさんの娘さんもうちの娘とよく似ているので心配しています。命に関わることです。家族には限界があると思います。主治医と良く相談して下さいね。娘が入院したとき、娘の机の上に手紙があり、「迷惑ばっかりかけてごめんなさい。治す自信がないけど、家族みんなでご飯が食べたいからがんばるから、見捨てないでね」と書かれてありました。主人と一緒に泣きました。入院しても娘も私も辛くて泣いてばかりです。まだまだ長いトンネルは続きますが、娘の手紙をお守りに、家族で支えていきます。マロンさん一緒にがんばりましょうね。これからもよろしくお願いします。

青空さん、マロンさん、そしてみなさんへ 投稿者:チロ  投稿日:200912 1()200627
みなさん、お久しぶりです。青空さん、マロンさんのお嬢さん方と2年前の娘、そして私たち家族の姿がだぶりました。娘は何事にも全力投球、中三のころは化学の道へ進むという夢に向かい必死で受験勉強に励んでいました。その頃から睡眠不足から、少しずつ体重が減っていましたが、受験が終われば落ち着くだろうと安易に考えておりました。無事第一志望に合格し、安心したのもつかの間・・どんどん勉強にのめり込み実験やレポート高1から大学並の授業にも必死について行きトップを守り続けていました。私としては、勉強よりももっと高校生らしく、いろんな事を楽しんでほしかったので「勉強ばかりせずにもっと毎日を楽しんでほしい。」と言っていたんですが、「私は今、勉強が一番大切!つまらない事を言わないで!」という状態でした。その頃には体重は53キロから35`まで減っていました。その頃私は「何か食べて」「きちんと栄養をとって」ばかり言っていて・・とうとう娘は家では食事を取らなくなっていきました。家の中もいつもピリピリし、娘の顔からは笑顔も表情もなくなっていきました。会話もなく、何か声をかけても睨み付けるような目・・私の心も限界に達していました。その頃、ポコに出会い一歩踏み出す力をもらい、近くの家族会も探し毎月通ううち、私自身少しずつ心の安定を保つことができるようになったのです。その後とうとう娘の体と心が悲鳴をあげたのが1年半前です。30`にまで減っていました。休学するか退学させるか迷いましたが・・退学する事にしました。「私の人生は終わった。もう私の未来には何もない。」と泣き叫びながらの決断でした。今、その娘は通信制の高校に通い、アルバイトをし、来春からは専門学校に入学します。体重も45キロになりました。まだ拒食が完全に治ったわけではありません。白米も肉類も口にはできません。自分が決めたカロリー内で食べたい物、食べられる物しか口にはしません。(超偏食というところでしょうか(笑)でもそれでいいと思っています。今は冷静に過去の自分を振り返り、色んな事を話してくれます。「あの頃は自分は何でもできると思ってた。体重だってコントロールできる。痩せてるなんて全然思ってなかったし。食べ物の事をあれこれ言われるのが嫌でしかたなかったし40キロになってやっといろんなことをきちんと考えれるようになったよ〜。」と言ってました。そして「こんな迷惑ばかりかけた私を見捨てず支えてくれて本当にありがとう。」と。そして娘いわく、「この病気は親の支えは絶対必要だけれど、本人が今の自分の姿を認識し、治したい!と思わないと前には進めないんだよでも、そう思えるまでがなかなかなんだよねえ・・私の場合は見ず知らずの他人の言葉で突然気付いたんだけどね・・親の不安な顔、心配する姿、ましてや涙は追い詰められる気分になった。お母さんが肩の力を抜いてドーンとかまえてくれたころから私も楽になれたよ。」と言ってます。あくまでうちの場合ですが・・・・何か参考になったらいいなと思い書き込みさせていただきました。

はじめまして 投稿者:Lee  投稿日:200912 1()230125
はじめまして。チロさんのメッセージを拝読していて涙が出てきました。我が家の娘が大学病院の小児科を受診し、拒食症の診断を受けて入院したのも2年前。まだ小5でした。日に日に食べる量が減り、見る見るうちに痩せました。低体温・徐脈・うぶ毛・過活動…毎日「食べなさい」「いや!」・「病院へ行こう」「いや!」の堂々巡りでした。だんだん無表情になり、歩くのさえおぼつかなくなってようやく受診。即入院でした。すぐ精神科のドクターも治療に加わってくださいました。低体重による内臓の活動停止状態に一度は死を覚悟した日もありました。中心静脈からカテーテルで栄養補給もしていただきました。一命を取り留めてからは希死念慮のため、夜間に身体拘束を受けた事もあります。とにかく命が最優先でしたので、親としては最善の治療をしていただいたと感謝していますが、娘にとっては、病気である事の認識もないままに過ごした3ヶ月の入院生活は苦痛以外のなにものでもなかったと思います。あれから2年。娘は現在も同じ精神科に通院しています。先週から本人の希望で2度目の入院生活となりました。中学での新しいストレスに苦しむ娘を、私はチロさんのように、ドン!と支えてあげることができませんでした。チロさんの娘さんの言葉と娘の叫びが重なります。娘のお世話になっている病院は「行動療法」での治療です。まずは、TV・読書・手紙・電話・親子面会などすべての行動を制限して、ベッド上安静から始まります。週1回の体重測定で目標値をクリアできたら徐々に制限を解除していくというものです親子面会の解除は最後の方です。それだけ親子分離(我が家の場合は母子分離といった方がよいかもしれませんね)は、親にとっても、子にとっても大きなものなのですね…。今回の入院は本人の希望でしたので行動療法も覚悟していたはずでした。でもぎりぎりになって「最初からたくさん食べます。TVも本も禁止でいいので面会だけは許可してください」と懸命にドクターに訴えていた娘を見て、この2年間私はなにをしていたのだろう、と情けなくなりました。先々月から国府台の家族会に参加させていただいています。皆さんのお話を伺って、元気と勇気を分けていただきながら、先取り不安で娘まで巻き込んでしまう。私自身の問題をクリアしなくてはと強く思います。一歩進んで二歩下がる…こんな私ですが、家族会&掲示板にまたお邪魔させてくださいm(__)m

Leeさん 投稿者:チロ  投稿日:200912 2()205233
はじめまして〜。私も最初からドーンとかまえるなんてできませんでしたよ〜。それにうちの場合、病院での治療も受けさせる事ができなかったんですよ(泣) 「私には精神科医も心療内科もカウンセリングも必要ない。カウンセリングが必要なのはお母さんだよ。お母さんが心を落ち着けてほしい。私の事でいっぱいにならないでほしい。このままだと、大切な家族を苦しめている自分を余計に責めてしまって、私も苦しい。お母さんが楽になれる場所を見つけてほしい。」と娘に言われた位です。でも、ホルモン治療という事で婦人科の中の思春期外来だけは本人が納得して今も通院しています。それと・・やはり体重増加の恐怖はすごかったですよ〜。こんな太って恥ずかしい死にたいの連続でした。それもなんだか落ち着いてきました。今はこれ以上太らないようにとヨガをしたり、リンパマッサージをしております。それも以前のように必死ではなく、「疲れたから今日はいいや〜」とほどほどに力をぬきながら。ずいぶん「まあ、いいか」ができるようになってきたように思います。今までは「こうじゃなきゃ!」ということだらけだったので・・少しずつ娘自身も肩の力をぬけるようになってきたのかな。真っ只中はその症状ばかり見てしまいます。みなさんそうだと思いますよ。なんとかしたい、治ってほしい、元気になってほしい・・親ならそう思うのは当たり前。だけど真っ只中の娘にはその親の思いがビシビシ伝わり苦しかったようです。料理をしていても「太らせようと何かしこんでるんじゃないか」なんて疑ったようですし(笑)やっぱり、みなさんがおっしゃるように「あなたが大切」という気持ちを送り続ける・・それが一番だと思います。「こんな私でも大切?」とよく言われましたがその都度「世界で一番大切な宝物だよ」と抱きしめて言い続けてきました。Leeさんも無理し過ぎず、煮詰まったら散歩なりお茶なりして深呼吸しましょ♪私もよく散歩に出掛けました。そして笑顔で「ただいま〜」少しですがまた頑張れたりするんです

チロさん 投稿者:まえりん  投稿日:200912 3()110833
チロさんのカキコミでお嬢さんと娘の回復の過程で共通するところが多々あるのにちょっとビックリしています。家庭も環境も違うのに不思議ですね。でも回復の過程は「親子でひとつひとつ段階を上ること」にあるんだな、と改めて思いました。先日、タカさんに「回復のハードルを私が上げなければ、こんなに楽になるんですね」と話したら「そうだね、回復の基準は子どもに合わせれば良いんだよ」と話してくださいました。実感です。お嬢さんは婦人科に通院している、と書いてありましたが、どのような症状で通院していらっしゃるのか分かりませんが、娘は拒食から生理が来なくて4年間通院していました。薬やホルモン注射などでは生理が来るのですが、体重が戻っても、気持ちが上がっても(親子でそう思いこんでいたところもありますが)自発生理は来ませんでした。去年9月に娘が「もう止めたい」と言ったので通院を辞めてしまい、私も心配しましたが今年1月にポコと出会って親子の気持ちが楽になって来た今年2月に自発生理が来て、今では毎月コンスタントに来るようになりました。つくづく「気持ちが安定することは大切なんだな」と、こういうところでも「気長に待つ」ことの大切さが分かりました。娘は通院していたことで身体も準備が出来ていて、辞めたタイミングと自発生理のタイミングが良かったのかも知れません。やはり通院していて良かったと思っています。チロさんのお嬢さんとは、もしかしたら症状は違うかもしれませから、もしお気に障ったらごめんなさい

Leeさん 投稿者:まえりん  投稿日:2009123()112558
Leeさん、はじめまして。家族会に参加することで病を理解し対処法を学ぶことで、親が楽になることってありますよね。私もまず自分が楽になることから始めました。私が元気でいないと娘を支えて上げられないことに気がついたのです。私は「娘の元気=私の元気」と思っていましたが、それでは上がろうとする娘の邪魔ばかりしちゃうんです。娘が下がっちゃうと私も「どうしよう」とビクビクしちゃって共倒れになっちゃう。でも私
が「今までだって出来てたんだから大丈夫だよ!今回はタイミングが悪かっただけ、次は出来るから大丈夫だよ!」と言えば、「あ〜そうだね。今日は何だか気分が優れなかったんだ」と本人が気がつきます。娘に「大丈夫」と言うには、私が心底「大丈夫」だと娘を信じることと自分が「大丈夫」だと言う元気な状況でいることなんだと思います。初めて家族会に参加したときに親御さんの明るさに驚きました。「ねぇ、みんな明るいでしょう。これが大事なんだよ」とタカさんが仰っていました。数々の失敗を重ねながら、その過程を親子で歩いてきた自信が明るさに繋がるんだな、と今は思います。私もまだまだお勉強中です。これからも一緒にタカさんやポコのみなさんに教えていただきながら、お互いに「経験値」アップを目指していきましょう。


(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:200912 3()18071
娘は、去年の6月にひとり暮らしを始めてすぐ食べられなくなり、体重が激減し、一番ひどい時は、自分でドアを開けられなくなったそうです。連絡も取れず、行ってもチェーンがかかっていて中に入れず、この時が一番わたしも辛かったです。娘が少し楽になり始めた頃、重い砂袋にいつの間にか穴があいて、少しずつ軽くなっていってる感じと言ってました。でも、気が付いたら、また詰めなおしてる時もあるんだけどねって。少し楽になり始めたきっかけは、たまたま本屋で天中殺の本を見つけ、自分が天中殺だと知って仕方ないんだって思えたことと、捨て猫の世話をするようになったことだったようです。わたしは、毎日メールで、大切に思ってることや飼い猫の話題を送ったり、娘のマンションのドアの隙間から手紙や食べ物を入れておくことくらいしかできませんでした。結局は、自分で何か気持が切り換えられるものを見つけていくのだなあと感じています。親にいろいろ話をしてくるようになると、コミュニケーションがとりやすくなり、褒めることも、素直に入っていくようでした。確かに一番気持が落ちているときは、先輩のみなさんがおっしゃるように、気持が伝わりにくいですね。この段階では、褒めるよりどんな娘でも大切に思ってるし、大好きだよって伝えていくことかなと思います。Leeさん、青空さん、アッコさん、みきさん、うるさがられることがあっても、娘のことを思って言った言葉はいつか伝わりますから、不器用でもくじけず、伝え続けていきましょうね。チロさん、お話聞けて嬉しかったです。お話の中に、ヒントがたくさんあるように感じました。ありがとうございます

皆さんへ 投稿者:管理人タカ  投稿日:200912 6()00143
私は摂食障害への入り方は人さまざまであり、摂食障害からの回復もまた、人さまざまだと思っています。また、回復した先も人それぞれだと感じています。摂食障害という病をどう回復してきたかは、その人・その子どもの回復のストーリーであり、治療方法もまた回復方法への手づるの答えはその家庭の中にあると信じております。治療方法も現在はいろいろあり、掲示板の中だけではその子が今どんな状態なのかによってアドバイスもいろいろと思います。障害を持ったお子さんを抱えている家族は大変混乱しています。その中でわらをも掴む思いできこんで来られる方々は、自分の考え方で、自分の行動の中で、どのようにとうことを理解していただきたいとと思います。低年齢での治療法は思春期での治療法とは違います。成年期での治療も違います。やせ願望と太ることが怖いとも治療法は違いますその内容を理解してのアドバイスが必要なことは皆さんもわかっていると(これは治療者の役目)治療者は患者を治癒させるために苦慮しています。治療者の思いと家族の思い、また当事者の思いも違います。その答えはなにか?です摂食障害フェスティバルの会場でも毎年、諸先生方の講演会で、または回復者の話の場でも胸にすがって「どうやったら治るの? どうやって回復したの?」と必死に聞いている家族の姿を数多く見てきました。その人その家族の回復は、その人その家族の回復のストーリーなのです。同じ回復のストーリーというのはありません。私の子どもの回復は私の家族の回復方法であり、他の家族の回復はその家族の回復方法ではないでしょうか その答えは、みなさんが自分たちで見つけていくことだと思います。先を歩いている者たちの役割は、経験の中で得たことを今困っている家族に提供し、サポートしていく、これが私が運営している家族会であり掲示板の役目と思っています。

私が思うこと 投稿者:まえりん  投稿日:200912 6()114445
私が娘と接する中で心がけていることは「娘を怖がらないこと」と「親がやっていることに間違いはない」と思うことです。これらはタカさんが話してくださったことです。私の対応にキレて不機嫌になってしまっても「今はダメなんだ」と思い反省はしても落ち込まない。本当は娘は「何で分かってくれないのよ!本当にダメな親なんだから」と私たちから離れたいと思っていても、娘は私たちの側にいて泣いたり、物を投げたり過食嘔吐をしているのは、私たちに何かを訴えたくて、頼っているんだと思っています。だから「親としての自信」はそのような行動を娘が起こすことで少しづつ付いてきました。親子でたくさんやりあって、泣いて、悩んだ「親子の歴史」があるからこそ、「娘を守ってあげられるのは私たちしかいない」と言う自信が付いて、娘も「この親だから、自分を出せるんだ」と信頼していろんなことを訴えられるようになったんだと思っています。「噛みあわない」と思っている親子関係も回復へ近づいているんだと思って、怖がらずに自信を持って「この子は私たちを頼っているんだから、守ってあげよう」と思い接することで娘も安心して次のステップに進めるんだと思っています。

(無題) 投稿者:のんのん  投稿日:200912 6()183952
リストカットやODは死んでしまうことがあるので怖いです。今までは、リストカットをしていることに気がついてもすぐに止めに入らずに、攻めることなく傷の手当てをしたり、ODをしたら吐き出させたり、無理な時は救急にかけこんだりしてきました。どんなあなたでもOKよ。。を心掛けてきたつもりです ですが、死にたいの言葉が出たので心配なんです。症状に振り回されてるな。。とは思うのですが。ドーンとかまえるとタカをくくるは違いますよね。。。むつかしいです

(無題) 投稿者:ダックスのママ  投稿日:200912 7()112637
娘は入院中です。昨晩電話で「きょう タカの独り言を読んでいたんだけどね 摂食障害は長期戦てかいてあった。でもさ 長期戦ということは 終わりがあるということだよね。」というので「そうだね。あなたもそろそろ終りに近づいているのかもね」と話し 摂食障害になって 何年目だっけ?など色々話しました。過食にしても何にしてもパターンを築くとそれを壊すことがなかなかできない娘ですが この頃あえてパターンを崩していく姿勢がみられるようになりました。先日娘がいいました。「わたしは 成長が遅いだけ。ちゃんと成長しているよ」と。どうしても娘の先を歩いてみたり あとをついていったりで 娘の横を歩くことが苦手なわたしです。娘はゆっくりゆっくり成長しているのだから わたしもゆっくりゆっくり歩いていかなきゃな。。。それから 掲示板についてですが やはり掲示板はお互い詳しい情報もわかならいので いいづらいことや 書けないこともたくさんあるかと思います。これは わたしにとってですが 掲示板は多くの仲間を得るため そして多くの経験と自信をもって支えてくれるタカさんと出会うための入り口でした。そして 今があると思っています。


6年目のできごと 投稿者:ダックスのママ  投稿日:200912 8()160454
きのうは 驚くことがありました。娘は過食嘔吐を始めて6年。もうすぐ7年めになろうとしています。全く「食べる」のみの行為ができませんでした。娘が生きていられたのは吐いた後、胃に残った残留物の賜物だったのです。そしてきのう朝昼晩と食事を摂ることができ嘔吐もありませんでした。ほんとうに、こんな日がくるのが夢でしたし来るとも思えなかった。ここまで来るには山また山。そして次には谷。けっして平坦な道はなかった。そして今も上り坂を歩いている最中です生きているのが辛くなった日もあります。そして、今でも。失ったものを数える日もあります。けれど 娘は頑張っています。そして 私たちも頑張っています。この一年 タカさんの下で学んできて ほんとうによかった。わたしがしおれていると「○○さんの後ろにはだれがついてるの?わたしやみんながついてるじゃないか?」と結んでくださいましたね。すごく心強かった。家族会という安心できる居場所を得てほんとうによかった。時には愚痴を聞き激励してくださったお母様方。有難いです。痩せた娘を抱きしめてくださるタカさん、おかあさんがた・・・。たった一日のできごとですが 娘にとっては大きな経験であり今後の支えになるでしょう。タカさんに、娘が朝に夜中に電話して 苦しみを泣いて訴えた事もありましたね。そしてこれからもあると思います。そしたら、また宜しくお願いしますね。頑張って最後まで登りつめます。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:200912 9()090352
のんのんさん、ODやリストカット、ひとり暮らしをしていた時、娘もやっていました。死にたいと親に言ってこないのですが、死んでもおかしくなかったと、今になって、話します。ほんとに死にたいのではなく、苦しい状況から抜け出したいために、意識がなくなれば楽になると思ったし、この気持はなった人でないとわからないと言います。でも、1日中そういう状況ではなくて、冷静に考えられてる時もあって、その時は生きててよかったと思うのだそうです。こういう時期は、娘のことが、大好きで、生きていてほしいということを伝え続けることしかできなかったです。特に父親がやってくれたことには、すごく心が動いたようでした。夫は、娘が幼かった頃、娘と一緒に写ってる写真をいつも持って歩いていたのですが、そのバックをなくしてしまったことがありました。「あの写真をなくしたからこんなことになってしまったのかなあ」と言いだし、整理できずに箱に突っ込んである膨大な量の写真の中から、ネガを見つけ出し、プリントしなおしたんですその話を娘にした時は、すごく喜んでいて、私の毎日送る「大切だよメール」よりずっと心を動かされたみたいでした。その他にも、娘を病院に連れて行ったとき何時間も父親が待合室で待っていてくれたとか、クリスマスにサンタさんの格好でサプライズとか。「わたしって、愛されてるんだなあ」ってどうしたら娘に伝わるんだろうって、いつも考えてました。父親ということでなくても、それぞれの家庭にきっと何かあるはずで、いろいろやってみるといいんじゃないでしょうか

のんのんさん 投稿者:まえりん  投稿日:200912 9()103022
娘も最近までリストカットしていました。最初の頃は腕の傷に気がついても「痛くない?大丈夫?」と声をかけていました。本当は心配だしいろいろ言いたいけど話すことで娘を追い詰めるんではないか、と思って怖くてただ声をかけるだけでした。またいつもはうるさい私が何も言わない気持ちを娘は察して、自分から止めてくれるんじゃないか、とも思っていましたが、ますますエスカレートしてきて、家で切ることが多かったのに、学校のトイレで切ってブラウスが血だらけで泣きながら帰ってきたときに「貴女の辛い気持ちの全部は分からないけど、いつもお母さんがいるから、やっぱり切るのは止めて欲しい。お母さんも辛いよ」と泣きながら手当てをしました。「自分の辛さを切ることで分かってもらいたかった」と言ってましたから、私が何も言わないことは娘にとって不安だったんですね。娘は切りたいと思うときは、かなり気持ちが不安定になるので「今日は元気ないね。どうしたの?」と私も聞いたりしますが「何でもない」と言って自室に篭もることもあって「またやっちゃうのかな」と心配することもありましたが、なるべく娘の側にいて話しかけていました。娘を「孤立させない」と心がけていると娘も「何だか今日は不安で泣きたくなるよ」と甘えてくるので、その時は存分に甘えさせてあげる。また私の顔色や気持ちをものすごく気にするので私の気持ちがフラットでいられるように私自身のことも大事にしています

(無題) 投稿者:まえりん  投稿日:20091210()011911
娘が不安そうにしていたり、機嫌が悪いときに『こんな風に思っているのかな?』とか『これが原因で機嫌が悪いのかな?』と私の中で勝手に想像して、娘との距離を置いて良かった、と今、考えてみてもありませんでした。娘の側に行って『元気ないね。どうしたの?』と聞くことで安心したり、対処出来たことって意外とありました。家族会で摂食障害のことを学んだり、タカさんやみなさんに対処の仕方を教えて頂いてからは、どんなに娘が不機嫌になっても怖いと思わなくなりました。病気のことを知らないから怖かったんですね。タカさんに教えて頂いても『あれ?』と忘れてしまう不出来な私ですが(ごめんなさい)何度も説明して下さるので、自然と私らしいやり方で娘と接することが出来るようになりました。私は肉体派ですが…(笑)お世話になっておきながら、私はタカさんにお返しらしいことは出来ませんが、私のやってきたことを掲示板でお話しさせて頂くことで少しでもお役に立てればな、と思って出来る限りポコにたずさわっていたいと思っています。

(無題) 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091210()180754
掲示板に青空さん名前を見つけ 嬉しくなりました。我家も今入院中です。同じですね。本人の希望もあり 実生活を営みながらの入院です。うちは過食嘔吐です。わたしには 夢があって 一つはお兄ちゃんの結婚式のときの御馳走を娘も一緒に食べられること。もう一つは 着物を着せて写真を撮ってあげたいということです。今22歳になりましたが 二十歳のときはODばかりで荒れていて 成人式なんていうお祝い事は無縁でした。やはり 母親としてはこの時期になると胸がざわつきます。着物のCMを見たりするのが苦しくなります。成人式は過ぎたけれど 娘は 着物を着て写真を撮っておきたいというようになりました。だから 退院したら写真だけでも撮りにいけたらと思っているところです。多分 バスタオルをたくさん巻くことになるでしょうけれど。(苦笑)

管理人タカさんへ 投稿者:一億光年の彼方  投稿日:20091214()202614
ご無沙汰をしております、久しぶりに掲示板を開いて見ましたところ、何が起きたのかと思い、全てのページを見ました、最終ページにそれらしき内容の投稿がありました。私見ですが、この掲示板は今まで私達が悩み苦しんできた事や、辛さ愚痴を吐き出す場でいいと思っております。吐き出す事によって本人が少しでも楽になり、吐き出されたものの中に宝の山があるとっております。その宝の山の中から自分たちにあったものを見つけ役に立てる、私はそう思って読んでおります。治療に類する話はいらないと思っております、ただし情報は必要だと思います。皆さん経験され治療の難しさがわかっているから、藁にもすがりたい気持は充分わかります、私の経験で言える事は、時間が治してくれます、ゆったりと時間と共生してください。タカさんありがとうございます。

(無題) 投稿者:とこママ  投稿日:20091215()083019
毎日掲示板みてます。最初の頃は読んでいても、カキコミの文章に頭では理解できていても心からは無理でした。今は少しずつですがどなたの経験談ではないのですが、私に変化が出てきたように思います。焦ってばかりの毎日でしたが、こころのゆとりが必要なんだなあと感じます。理解出来るまでが2年もかかってますから、まだまだ苦闘の毎日です。娘の暴言の裏の心を信じて、必ず一歩外に出れるよと諦めない気持ちをもって娘に接しています。もっともっと体験談書き込んでくださいね。とても、ほっとするんです。よろしくお願いします。何を書き込んでいるのか自分でも分からなくなってきたので、この辺で、失礼します。

一億光年の彼方さん 投稿者:風鈴  投稿日:20091215()133755
お元気そうでなによりです!そう、ここも肩のこる日があって、私のように口先人間は我慢するのが大変でした。もう何年経ったのか、それさえも忘れてしまいますが、まだ国府台の家族会が人数が多くなくて学習能力の無い私は何度も同じことを聞いていました。「タカさんや一億光年の彼方さんがうちの家族だったらなあ」なんて自分が楽すること考えてました。頭の中は「月単位」で「回復させなければ」と、今考えると「あせり」のドツボでした(今だから思えるんですけどね)今は、嘔吐無の過食状態ですが、あせりも諦めもありません。私の精神年齢は還暦でやっと成長したかな?(たぶんまだ)・・・「時間が治してくれる」・・・納得。若いお母さんたちへ、「大丈夫です。お母さんがあきらめない限り」ですよね。先輩の皆さん!!

髪の毛 投稿者:まりも  投稿日:20091217()011956
いつも掲示板を見て、皆様から元気を頂いております。娘(19)は主に拒食、ですが、最近はむしょうに甘いものを食べたくなる時があるらしく(大抵通学途中など1人外出の時です)、ふらふらとコンビニに迷い込み、次から次へと買っては食べてしまう事があるようです。「またやっちゃった・・・お金持って外出するのがこわい」ととても不安そうですが「今まで1年間甘いものを食べてなかったんだから、体が欲しているだけ。自然な事なんだから不安になることはないよ、大丈夫大丈夫」と声かけています。さて、最近気になるのは、髪の毛です。3月高校卒業時に切ったきり、ほとんど伸びてこないばかりか、最近は抜け毛もひどく、地肌がうっすら見えてくるし、ふと気づくと服の前後にごっそりと抜け毛が張り付いている状態。やはり栄養不足なのですよね。本人は「海草と豆だ」と言っており(それしか聞く耳持たないので)本人任せにしていますが、どうなのでしょう? 同様のご経験ある方はいらっしゃいますか? 先週、本人がその気になったので再来年の成人式の着物を選びに行きましたが、「このままじゃ髪の毛どしたらいいんだろう? ウィッグつけるにも根元に髪がなきゃ無理だよね〜」と。これが今、本人の一番の悩みのようですが

まりもさんへ 投稿者:管理人タカ  投稿日:20091217()101353
うちの娘が拒食の時、栄養がいきわたらず髪の毛が大変薄くなり、成人式の写真撮りを随分と心配しましたが、美容師さんはさすがでした。ちゃんと綺麗にしてくれましたよ。外出の時にお金を持つのが怖いということですが、もし、食べたい衝動に駆られた時、お金を持っているのと無いのとでは、安心感ということではどちらかなと思いますが・・あと反社会的行為が、摂食障害学会でも毎回問題となるテーマの1つになっているので・・・

まりもさんへ 投稿者:みき  投稿日:20091217()10365
はじめまして。私の娘も拒食です。髪の毛が薄くなって地肌も見え始めています。本人も気にして主治医に質問した所、「飢餓状態ですからですね。海草が良いとか言うのは健康な人を前提にした話で○○さんのような栄養不足の状態では、取り合えず何でも良いから食べれるものを食べてください。ヘルシーにとかバランス良くとかは今は考えなくて良い時期で、今は食のリハビリをする時期です。回復するにはしばらくかかりますよ。」との事でした。そして何を食べるか迷ってしまったら、朝からケーキでも良いからまず甘いものを摂る様にと仰っていました。うちの娘もいつも甘いものを食べたい、でも体重増えるの怖い、で葛藤しているようです。大事な事は食の事でも何でも本人にコントロールさせる事、と主治医はいつも仰ってますので、私は娘にまかせるようにしています。お嬢さんの成人式は再来年との事、まだ一年以上ありますもの。髪の毛増えると良いですね。先日、娘は美容室へ行ったのですが髪をカールしてもらったとかで、いつもはペタンコな髪がクルクルにかわいくなっていてボリュームも凄くあるように見えました。美容室では色々とテクニックを持っているでしょうから、ご相談されてみるのも良いかもしれませんね。

無題 投稿者:るみこ  投稿日:20091217()184429
覚えていらっしゃるでしょうか?ただの愚痴をかかせて下さい。みなさんどんどん前に進んでらっしゃるところにすみません 暴言暴力の愚痴があまりかきこまれないので、なかなか書き込みできないのですが、いろいろガンバっているのですが、生理前の暴言暴力が酷いですね。暴言は頑張って対処していますが、暴力、物を壊すのはどうしてもしんどいです。みなさんの体験談があれば、教えてほしいです。ある方は、どの位の程度で、治まったのでしょうか?やはり強制入院しかないのでしょうか? しんどいです。もう、頑張れない自分がいて、楽になることしか、考えがでません。信じて見守ろう、生きてくれればいいと思いたいけど、なかなかしんどいですね。うちだけはもうだめなのかなとも情けない心情です。本当に暗い書き込みでごめんなさい。ず--と孤独にさいなまれて、、、お許しください

るみこさんへ 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091217()214513
はじめまして。ダックスのママといいいます。12月の21日に国府台病院で家族会があります。そのテーマの一つに 暴言 暴力についてというのがあるようです。もしお時間と距離的なものがなんとかなるようでしたら おいでになれたら・・・と思います。思い余ってしまう前に沢山の経験をお持ちのタカさんの御意見を伺ってみるのも前進への一歩だと思います。うちは過食嘔吐です。やはり 自分の家の状況を考えるとこんなに苦しいのは我家が一番じゃないか。なんて時には思います。食べませんから体の色々な部分に支障がでています。るみこさんお辛いと思います。けれど生理があるという女性としての機能があることはすばらしいことだと思いますし とても羨ましいことです。私の親類に 生理前に非常に具合がわるくなり不安定になる者がいましたが 精神科を通して産婦人科からお薬をいただき 落ちつたものがおります。女性は 生理前は辛いですよね。わたしも孤独になるときが多々あります。そんなときは掲示板を覗きますと、どなたかが見えており人の温かみを感じ救われております。またどうしても倒れそうなとき倒れそうになる前にタカさんにSOSをだしています。

るみこさん 投稿者:まえりん  投稿日:20091217()231853
私に対しての暴力はありませんでしたが、暴言や物を投げて壊す行為はよくありました。それは気持ちが落ち込んでいるときに多く、拒食の時期はそのような行為はなく、体重が落ち着いている過食嘔吐の時期に多かったです。自室でやっていたので物を投げたり、叫んでいる声で「やってるな」と分かって、最後は大泣きしてそこへ私が入って行く、と言うパターンが多かったです。やっている最中は娘も手当たり次第って感じなので意識してやっているのか、無意識なのかは分かりませんが「この子は自分の辛さを分かって欲しいんだ」と言うことだけは私にも分かっていたので、側に行って抱きしめたり、背中をさすってあげることが可能であればやっていました。泣きじゃくる娘に何も言わずにただただ、側にいるだけ・・・一度だけ私を何度も叩いたことがあって「やめて!」と私も叩いた事がありましたが、それが良いことなのかは分かりませんが、私は自分の身を守るためと「私だっていつまでも我慢しないよ」と言う気持ちで怒ったことがありました。「私がこの子を守らなきゃ」と思っていても暴言や落ち込んだ姿が続けば「もうイヤだ!この子は治らないかもしれない!大っ嫌い」と何度も思いました。回復しない娘その兆しも見えない娘を支えられない、頑張れない自分を責めたり、娘を責めたり、家族を責めたり、元気なお嬢さんと買い物している親御さんを見ては「私にはこんな日は来ないかもしれない」と涙したり・・・本当に孤独ですよね。切ないですよね。だからるみこさんのお気持ち分かりますよ。でも、摂食障害のこと、対処法を家族会でタカさんから教えていただいたり、お仲間に話を聞いたり、愚痴ったりしていく中で私は家族会に参加して、3ヶ月くらいで娘の暴言や物を投げる行為と共に娘の落ち込みはなくなりました。私は頑張りすぎていましたね。また摂食障害の症状に振り回されていました。その症状の娘ばかりを見ていて、そこを「なんとかしなきゃ」と思っている時は、娘を理解することは難しかったです。私たち(親)は楽になって良いんですよ。何でも「娘の為」と思っていてはお互いに辛くなりますから、家族会に参加したり、それが無理なら掲示板で愚痴をこぼすのも良いんですよ。まずは私たちから楽になって元気になって、少し笑顔が出たらまたお嬢さんと向き合えますよ。そして、絶対に回復しますから。「助けなきゃ」と思うよりも「寄り添う」で良いと思います。またお話し聞かせてくださいね。

始めました 投稿者:メルママ  投稿日:20091218()171140
始めて書き込みます。18の娘が過食嘔吐です、過食嘔吐をやめたい、どうしたらいい、家にいるから甘えてやっつてしまうと、言います。でも話しをしているうちに、もしかすると家を出たい事を伝えてる、私ができるだけ心配しないように?と思えてきます、話の中で、全部中途半端だからな。と言いますでも最後までは出来てないかもしれないけど全部出来てるが、と伝えると嬉しそうな顔が見れました、1時間ほどでしたが、最後まで話が出来た気がします、明日2人で病院へ行きます、これでいいのかなの?毎日です。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:20091219()014037
メルママさん、はじめまして。私の娘は、拒食になった時、ひとり暮らしを始めたばかりで、私は、毎日「生きているのだろうか」という不安に押しつぶされそうな日々を過ごしていました。私のパソコンで、娘がヤフーのメールチェックをしているかわかるようになっていたので、それを見ては一喜一憂したり、電話して切ってくれると、ほっとしたり・・。行ってもチェーンがかかって、入れなかったので、業者を呼んで、チェーンを切ってもらおうかと思ったことも何度かありましたが、パニックになって、飛び降りたりされたら・・と思い踏みとどまりました。娘は、親に言わず、一人でなんとかしようとするので、後から話を聞いて真っ青なんてことがたくさんあります。一緒に住んでないと、娘の様子がわからないので、悪いことばかり想像して不安ばかり膨らみます。だから、1年で、戻ってきてくれたことで、とても気持ちが楽になりました。私は、今一緒に住んでいられるだけで、ありがたいです。娘の場合は一人暮らしをするタイミングが早すぎたと思います。メルママさんは娘さんとうまく話ができているようですし、病院にも行かれるということなので、上手に寄り添われていらっしゃいますよね。娘は病院は2回行っただけで、合わなくてやめてしまいましたが、私といろいろ話ができるようになってきてから変わってきました。話すことで自分の考えが整理され、自分の気持ちに気づいたりもするようです。私は私で、娘がどんなふうに考えてるのか少しわかるようになり、余計な心配をしないで、長くかかるかもしれないけど、信じて待とうと、とても気持ちが楽になりました。あと、共通の話題が持てるように、娘が面白いと行った映画やコミックなんかも


ももさん 投稿者:まえりん  投稿日:20091221()020426
今日はお疲れ様でした。我が家の長女(摂食障害)は次女(家を出ています)をライバルでありながらも、とても大切に想っています。私は長女を時に『摂食障害の娘』として見てしまい、何かあると『摂食障害だから…』と思って、腫れ物に触るように扱ったりしますが、次女は『同じ姉妹として、対等にお姉ちゃんと接したい』と言って、妹は一言も『摂食障害』のことを姉や私に聞いたり、意見を言ったりしません。だから長女はいつも変わらない妹の態度にとても救われているようです。妹なりに心配や葛藤、淋しさがあるかと思います。次女にもたくさん我慢をさせて来ました。だから、姉妹それぞれに問題があるのですが、ただ娘2人の問題は私たち(親)が支えたり、助けたり、時に見守るのであって、姉妹同士で支えるには限界があるかと思います。ももさんはももさんの生活を大切にして下さいね。どちらかがどちらかの犠牲になっては辛くなります。絶対にももさんひとりで抱えないで、辛くなったり、困ったことがあったらお母様に相談して下さいねそれでも解決出来ないときはタカさんに相談なさっても良いかと思います。いつかお母様にもお会い出来るとうれしいです。今日は、ももさんにお会い出来て嬉しかった。ありがとうございます。

受験と浪人 投稿者:ひつじ  投稿日:20091221()213945
久しぶりに参りました。2ヶ月ほど前に初めて皆さんにお話を聞いていただいてから、5cmぐらいあった円形脱毛がうそのようによくなりました。今では、この掲示板は、娘の生き方を見守る上でも私自身が生きていく上でもとても大事な道標です。さて、唐突なテーマですみません。今までにも受験に関して意見が交わされたことがあるかもしれませんが、重複していたらごめんなさい。娘の進路の捉え方に困惑し、どのようにサポートしていけばいいのか困り果ててしまいました。娘は高3、まさに受験の真っただ中です。一時は卒業も無理なんじゃないかというほど落ち込みましたが、家を出てから4か月、荒れる時間がしだいに短くなってきて、受験勉強にもだいぶ集中できるようになってきたようです。(過食嘔吐は相変わらずのようですが、それでストレスも発散できているのだろうと思うので、触れないようしています)しかし最近、「第一志望校しか受けない、落ちた場合は浪人する」と言い出しました。「今はそう思うかもしれないけど、もし落ちてしまって、疲れた、楽になりたいと思っても、受けとかないと行けるところはないんだよ。そう一本に絞らなくても楽に入れるところも受けておけば。」と言ってはみるのですが、「他の大学受かっても、絶対行かないから受けるだけ無駄」の一点張り。娘の力を信じてやりたいのですが、志望校は面接があり、娘の異常な痩せ方が面接官にどう写るかと思うと、どうしても私は「受かる」とは楽観視できないのです。とにかく、どこでも大学へ入りさえすれば、もしかしたら新しい生活が娘を変えてくれるんじゃないかと、一縷の望みを抱いています。摂食障害がなければ、もう1年ぐらい娘の思うように挑戦させてみてもいいとは思います。ですが娘の場合、今は友人達とともに受験生という立場で励まし支えあっているからこそ、この大変な時期をなんとか過ごせているのだと思うのですが、友人たちが楽しい大学生活を過ごしているのを横目に、またもう1年、摂食障害を抱えたまま、あのやせ細った体とぎりぎりの精神力で受験に立ち向かえるとはとても思えず、希望を失い、再起不能になるのではないかと怖くてたまりません。娘の意思を尊重して、一校だけの受験を認め、だめだった場合は浪人させるか、それとも、無理矢理にでも他も受験させて、安全策を取っておいたほうがいいのか。1年後を考えたときに、今の娘にとってどちらがいいのかわからなくなってしまいました。「こうすれば」なんてことはおっしゃりにくいと思うのですが、皆さんならどうされますか? または同じようなご経験をお持ちでしたら、ご意見をお聞きできれば、少しこの迷いがふっきれるかもしれないと思い、カキコミさせていただきました。よろしくお願いします。

ひつじさん 投稿者:まえりん  投稿日:20091222()022537

娘は将来の夢がハッキリ決まっていたので、それに合った大学のオープンキャンパスにいくつか行きましたが、娘は「ここ!」と決めて1校だけ受験しました(今大学3年生)。運良く合格して通いだしても、症状が安定していない時期でしたから、勉強や友達関係が順調でも落ち込んで「辞めたい、辞めたい」と言っては先生に何度も相談したり、私にも泣きながら「もう、イヤだ」と毎日のように言うこともありました。ただ、今も通っている原動力は「自分で決めたから」なんですよ。これがもし私が決めた学校であったら、元々真面目で親思いの子ですから通ってくれていたかもしれませんが、今娘が感じてくれているような「課題も多いし大変だけど、この学校で良かったよ」とは言ってくれなかったかも知れません。今日の国府台の家族会でタカさんは小「お嬢さんの人生はお嬢さんの人生」「親が先取りの心配をしてはいけませんよ」お嬢さんが迷って「どうしよう」とひつじさんの所に来たときに、一緒に考えてあげても良いのではないでしょうか? でもお嬢さんも迷いに迷って、突然考えがガラッと変わる事もあるかも知れませんから、可能であればコッソリひつじさんが準備をしておく事は良いかとは思いますが、それはあくまでも「コッソリ」とね。何よりも子どもの気持ちが一番大切ですし、それを応援してあげることが子どもにとって一番嬉しい事だと思います。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:20091222()022839
ひつじさん、受験期のお子さんが、摂食障害というのは、ほんとに心配ですね。以前の私だったら、きっとひつじさんのように考えていたと思います。いろいろ先のことを想像して、心配の先取りをして、娘を押したり引いたりしようとしたでしょう。でも、摂食障害は、自分探しの病気なんだと、タカさんは言われます。娘を見ていても、そう思います。自分に自信がなくて、無気力で、死んでもいいと思っていた時期、自分のことを受け入れられるようになってきた時期、自分らしく生きること・自分だからできることを探し始めている現在・・私がポコに出会ったおかげで、気をつけていることは、娘の前に立って手を引っ張らないことです。自分で考えて歩いていかないと意味がないんですね。うまくいかなくても、そこで自分で苦しんで考えるからこそ、気づきがあるようです。親が手を引っ張ってしまうと、結果的に娘の足を引っ張ってることになるんですね。私がやっているのは、いつも明るく挨拶すること、何か話したそうだなという時は、「でも・・」と話をさえぎらずに、ひたすら話を聴くことです。最近は、「自分で決めたことが、うまくいかなくても、経験して納得しないとだめなんだ。反省はすれども、後悔はない」と言っている娘です。

感動!! 投稿者:管理人タカ  投稿日:20091222()092550
一億光年の彼方さま 昨日は久しぶりにお会いできて本当に、本当にうれしかったです。この10年近い日々をずっと一緒にきましたが、よくぞここまでとうれし涙を流してしまいました。お嬢さん、良かったですね。「私の娘が1番重いでしょうね、私の娘が回復すればどんな摂食障害のお子さんでも必ず回復します」と、目を赤くして言っておられましたね。でも昨日の目の赤さは違いました、にこやかでした。お子さんを支えて、寄り添って「生きろ、生きててよ、生きていくことは素晴らしいことだよ」と必死に言い続けてこられた姿に同じ父親として私はいつもいつも力を頂いておりました。本当に本当に良かった。機会があれば一億光年の彼方さんの回復ストーリーなどを聞かせてください。必ず多くの方々の応援になりますので、その時はよろしくお願いいたします。

BOOさん 投稿者:まえりん  投稿日:20091222()11489
昨日、タカさんがケーキの例え話をしてくださいましたね。「摂食障害になるお子さんは自分が外食をしてお腹が一杯でも、お母さんが作ってくれたケーキを断らずに食べる、それは食べないとお母さんが不機嫌になるから」と。娘は本当にそのタイプでした。先日、私がサイズの合わないパンツを娘に買いました。履けないサイズではありませんでしたが、少々キツメ。以前なら「大丈夫!着られるから」と言ってそのまま着るか、履かないかですが「無理だわ〜返られるかな?」と言いました。昨日「まえりんさんのお嬢さんは性格がかわりましたか?」と聞かれて「今は良い子ではありませんよ」と答えましたが、それは私に気を使って行動するのではなく、自分のことを一番に考えて行動するようになり、自己主張や自分の気持ちを人に伝えられるようになったと言う意味です。いつもBOOさんの優しい眼差しにホッさせて頂いています。そんなBOOさんだから、お嬢さんもBOOさんに甘えられるようになったでしょうね。

(無題) 投稿者:ひつじ  投稿日:20091222()234918
娘の受験のこと、ご意見くださってありがとうございます!やっぱり聞いていただいてよかった。どなたも、「安全策を」とおっしゃるのではなく、ただ「娘の行きたい道を」と言ってくださいました。皆さんのお子さんに対する「信じる」という愛を改めて感じ、感動するとともに、自分がちょっと情けなくなってもきました。自分自身が不安なあまり、娘を信じるどころか、娘の意思や希望を後回しにしていました。確かにうちの娘も、こうと決めたら突き進むタイプです。というかそういうタイプに変わったのだと思います。摂食障害になる前は、納得はしてないながらも、半ばあきらめ気分で親の言うことに従っていたと思うので、それでは自分がダメになると気付いたのでしょう。気付いたから、自分のしたいことはする!たとえそれが摂食障害という形をとらざるを得なくても、どんなにキツい道でも、したいことは必ずする!最近はぶれない意思の強さを感じます。きっとそんな娘を私の判断で無理やり違う方向に導いていこうとしても無理だし、やはりいい結果にはならない気がしてきました。ミルミルさんのおっしゃるように、手を引いて先に歩くのではなく、娘の背を見守りながら、そっとついていってやりたいと思います。まえりさんが言ってくださったように、まわりの情報をッソリ」、でも確実に収集しながら。すっかりふっきれた・・・とまではいきませんが、また間違った道をひとりよがりで選ぶことは避けられたような気がして安堵しています。ありがとうございました。

管理人タカさん・ダックスのママさんへ 投稿者:一億光年の彼方  投稿日:20091223()232330
タカさん、貴方様が人生の貴重な時間を摂食障害に苦しむ人々の為に費やす姿には、本当に頭が下がり感謝の気持でいっぱいです。本当にありがとうございます。ダックスのママさんご無沙汰しております、お会いできる日を楽しみにしております。私は特別に何かをしたという事ではなく、一番苦しいのはこの子、苦しんでいる子に寄り添って一緒に歩んで行こうと決めただけです。時間が癒してくれます。焦らずにきっと回復する事を信じています。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:20091225()11103
私は、気持が落ち込んでる時は、小さな親切するんです。何でもいいんです。倒れてる自転車を起こしてあげるとか、募金するとか・・ちょっといいことしたなって思えることをすると、不思議と気持ちが軽くなってきますよ。私だけかな?昨日はクリスマスイヴでしたね。娘は2日間かけて、パーティのようなお料理を作ってくれました。完璧にやらないんと気が済まないんだよねって言います。精神的には良い状態ではなかったのに、うまくいかないことや、足りない材料があっても臨機応変に工夫してクリアしてました。こういうところが、変わったなあと思います。親としても、クリスマスは、大好きだよ〜とアピールできるチャンスですね。去年は、お父さんがサンタになったんですけど、今年は脇役。トナカイのかぶりものをかぶってもらい、主役のサンタは猫ちゃんにお願いしました。娘に大うけでしたが、猫ちゃんは、慣れないサンタの衣装に、バックにしか歩けずちょっとお気の毒。心配なことは、山盛りですが、まずは親が少しでも、気持が楽になることが大事ですね。娘は、高校中退で、学校もバイトも何もしていませんけど、8歳上の息子も高校中退だったので、私の場合は、そこで結構免疫ができたみたいです。個性豊かな子供を二人も生んだと思って、見守っていきたいです

経験 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091226()232936
先日 わたしの父が他界し、危篤状態の父を看取ることから始まり お通夜 お葬式と 娘にとっては怒涛のような日々を過ごしました。娘は 自分の日々の計画が狂ったり 未知の出来事に対処するのが得意ではありません。これらの行事や出来事は娘にとっては かなりな試練でした。みなが当たり前にこなしていることを当たり前にできない自分をふがいなく思ったり、様々な不安をかかえて直前まで緊張状態でどうなるかと思いましたが 腹を決めて頑張ってくれました。けれど実際にことにおよんでみれば、ちゃんと式をこなし、怪我をしていて車椅子で参列した母の面倒をかいがいしく見てくれたり 親類の人達と会話したりと喪主の家族を立派に勤めることができました。娘にとっては大きなプレッシャーを経験にかえ 成長の糧になったできごとでした。そして 数年前とても暗い顔をしていたわたしを知っている親戚の者から「ずいぶん変わったね」という言葉をもらい「家族会に出席するようになって 自分や娘を支えてくれる人達ができたからだと思う」と答えることができました。まだまだ渦中ですが、本当に 薄紙をはがすように 娘もわたしも変化しているんですね。

(無題) 投稿者:ミルミル  投稿日:20091227()101345
ダックスのママさん、お父様のご冥福を心からお祈り申しあげます。娘さんの大きな自信になったでしょうね。入院しながらの通学で得たものも大きいでしょうしご家族のサポートの仕方もよかったのだと思います。何といっても、ダックスのママさんの言われているように、暗い表情からの卒業が、一番娘さんを楽にしているのかもしれないですね。まえりんさん、クリスマスのサプライズ大成功でした(*^^)v 娘さんも免許取得おめでとうございます。お父さんの送迎やまえりんさんとのドライブで、また親娘のいい関係が築いていけそうですね。今の時期だからできるということをタイミングよくやれた時、回復への大きな一歩になるような気がします。そこに行くまでには、タイミングが早すぎて、逆に大きく落ちることもあるけれど、そういうことを経験にして、自分で精神的な部分のコントロールを学んでいくようなので、辛いけど、それも必要なことなんだと思います。悪戦苦闘の日々を送っているみなさん、「大丈夫だから・・」を信じて、あきらめないで我が家流の対応を探していきましょうね。

ありがとうございます 投稿者:ダックスのママ  投稿日:20091227()230443
ミルミルさん ありがとうございます。今回のイベントは 娘のために父が最後にプレゼントしてくれたチャンスの場だったと思います。死というものについても考えたと思います。ミルミルさんのお宅のクリスマス 暖かくていいですね。うちも来年は のぞみちゃん(ダックス)にトナカイの被り物をさせてみたくなりました。わたしは ひどい母で娘に「痩せているあなたと歩くのは恥ずかしい」といってしまったという話をしたらあきれられてしまいましたよね。(汗、汗)今回のお葬式のときも わたしの従姉妹が 障害をもった赤ちゃんを連れてきたのをみて「あの子は幸せだよね。親が堂々と子供を連れてきてる」と比べられチクリとやられてしまいました。あの頃のわたしは 娘にきついことを言うことで娘も心変わりしてくれるのではないかと期待して逆効果のことをしていました。わたしは娘によりよい人生を歩いてもらいたくて 娘が生きていく上で必要な経験のチャンスを奪ってきたと思います。自分の思う幸せを押し付けすぎたのだと思います。あれもやってあげたい これもやってあげたい・・・自己満足を優先してきたのですね。娘は今色々な面で過渡期に入り迷いも多いようです。一山超えるために 急な坂道を頑張って登っているという感じです。そこを登りきったら 娘にはまた違った景色が見えてくるのだと信じたいです。

愛する子たちよ 投稿者:管理人タカ  投稿日:20091230()093455
昨日は愛する我が子を摂食障害で亡くしたお母さんたちが集まりました。同じ境遇でなければわからない胸の内、悲しみ、苦しみ、辛さ、無念、後悔、嘆きを吐露しあえることで、少しでも何らかの生きていく力に繋がることができればと思います。「子どもが生きているお母さんたちがくるこの掲示板が、私にはまぶしすぎるよ」「生きていることは素晴らしい、生きていることの素晴らしさを実感してください」お母さんたちの思いでした。

(無題) 投稿者:きんもく星人  投稿日:20091231()015159
娘がどん底だった頃、暴言暴力はないものの、食べる吐く切る飲む(薬)倒れる、オンパレードでした。その場しのぎの毎日で、先のことなんて考えられなくて、今日がなければ明日もない、とその時その時にできることだけをしていたように思います。苦しみで充実していたとさえ言えそうです。でも、どん底があったから今がある、今がとてもありがたく思えます。修羅場をくぐった当人の娘も今では「死ぬほど生きろと思う」と言います。そうすると価値観が変わって生きやすくなるんだそうです。死ぬほど生きたのがどん底時代だったんですね。どっちに転んでもおかしくなかったのに、こうして生きていてくれること、ほんとに四方八方にありがとう、です。おやじさんの書き込み、具体的になられましたね。理解しようとされるだけでもすばらしいお父さんですが、進化されてると思います。書いておられるように、スイッチオンのときもオフのときも大事なお嬢さんなんですよね。スイッチオンのときは言いたくなるけど何も言わないようにがんばる方が得策だと思います。病気に侵されている部分を小さくするより、健康な部分を大きくしていきましょう、とよく言われています。病気のじくじくした部分はこれから本人がしたたかさを身につけることで、小さくまた頑丈になっていくので、つらいんだな、と心で受け止めてあげるのがいいのかなと思います。

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