2008年家族掲示板 No.3


空さんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 8月 9日(土)00時01分54秒
空さん 始めまして。うちは20の過食嘔吐の娘がいます。そらさん娘さんのお世話でしんどそうですね。御身体大丈夫ですか。わたしも 娘の過食の食事の世話 ずっとしてきました。娘の栄養の一部になることだけを望んで頑張ってきました。けれどあるとき 「もうやっていられなく」なりました。そこで 年齢的にも自分で食事の用意をしてもいいころなので 少しずつ 娘にバトンタッチすることにしました。調理することが余り好きではない娘は 始めのころはずいぶんと抵抗していましたが わたしも負けずに手をださないように頑張りました。今では 母親がやってくれない という諦めとともに 料理もなれて 自分の好みの味つけでチャッチャと過食の支度をしています。食は人が生きていく基本なので 自分で作れることは本人の将来にとっても大事なことだと思います。また 過食が簡単に目の前にでてくるのでは 作る大変さもしらず 安易な気持ちで食べてしまうような気もします。冷たいようですが これでよかったと 今は思っています。娘のために あれもこれもと振り回されてしまうと 結局 「娘のお陰で、苦労している」そんな気持ちが芽生えてくる自分にもセーブをかけたかったです。空さんのお宅の事情もわからず 見当違いのことを言っていたら聞き流してくださいね。親だって 自分自身を大切にしないと身が持ちませんものね。うちは 摂食障害としては重いほうだと思います。けれど 今 彼女自身ができることは だんだんと手渡していくようにしています。それがお互いのためだと感じています。空さんのお宅も色々とご事情はあると思いますが 空さんがもっと楽になって欲しい と切実に感じました。摂食障害の子を持つ親だって 一人の人として生きていく権利はありますものね。わたしも とても「どーんとこい」といえる親ではなく日々悩んでいますが 自分を解放することから始めてみたいと思っています。

(無題) 投稿者:ミルミル 投稿日:2008年 8月27日(水)09時09分16秒
ジュピターさん、今は諭すというのは、難しいというか、反発して悪くなるだけかもしれないと思います。娘さんが、こんな私でも受け入れてくれたという気持になることが、大事かなって。不安な母さん、心配ですね。娘さんも、楽しい思い出が、ほんとはたくさんあるはず。でも、今はつらいことで、頭がいっぱいなんだと思うんです。病気なんだから、考えが偏ってしまってるのは仕方ないですよね。一生懸命聞いてあげることしかないんでしょうね。食事のことで、ピリピリしていると、余計食べないですもの。このひとつひとつのバトルが、今、回復のために通らなければならない道なんだと信じて、歩いて行くしかないんだと思います。

(無題) 投稿者:ジュピター 投稿日:2008年 8月27日(水)21時27分29秒
娘は今日は又「海で死にたい、そしたら魚の餌になれるし、ママも楽になる」って。別に私が辛いと訴えてる訳じゃないのに、自分でそう感じているんですね。娘は一人っ子でどうやら両親の期待と愛情を一人で受けるのが重いと言います。頷いて聞いていあげたいのに、何か答えなきゃと思い、励ましたり、いいんだよと言ってあげても理解しようとはしないから、堂々巡りになります。大っ嫌いだと言う父親に受け入れてもらえば気持ちがもう少し楽になるのか、はたまたこれ以上の混乱を招くのか、どなたか教えて下さい。父親はもう病気を受け入れてくれていますが、娘の希望で父親にはまだ話をしてない事にしています。最近は私から父親に伝えて欲しいと言うのですが、本人から話した方が気持ちが楽になるのではないかと、そのままになってます。パパの所為でこうなったと言います。厳しいところもありますが、よくいろんなところに連れて行き、遊んでくれた父親なのですが・・・

児童精神科に行きたがらない娘 投稿者:不安な母 投稿日:2008年 8月28日(木)00時16分16秒
みなさんのアドバイスの中に、特効薬はないと言う言葉がありますね。私もそれは実感していますが、愛知に日本で唯一の児童精神科があり、ようやく予約がとれた。ところが娘は、行かないの一点張りです。こういうときは、強制せず、娘が医療機関で診てもらう気持ちになるまで待つべきなんでしょうか。私としては、娘の状態を医師に診察してもらい、親としてどういう心構えで接していくのがいいかアドバイスをもらいたい気持ちでいっぱいです。

不安な母さんへ 投稿者:ミルミル 投稿日:2008年 8月28日(木)09時18分47秒
娘は、体重が10キロ減って体調が悪く、精神的にも鬱のような状態で、自殺願望も出てきた時に自分で、インターネットで近くの精神科を探し、1度診てもらったんだそうです。そして、電話で「摂食障害と鬱とパニック障害」って言われたと、泣きながら、初めて私に話してくれました。私も娘に、「精神神経科と心療内科で、摂食障害専門の対応のできる病院があるから、そこで診てもらったほうがいいよ」と言って、予約をし、気の進まない娘を2回連れていきました。下剤の量を少しずつでも減らしていくこと、毎日記録をつけることなど言われました。でも、もう行きたくないというので、3回目はキャンセルしました。自分が体験してない先生に何を言われても、聞く気はないと言っています。とりあえず、血液検査心電図、レントゲンは、今のところ、緊急性はないと言われたので、様子をみようと思います。本人は、余計病気のことを意識してしまって、悪くなりそうと言ってました。私も、親の子供への対応ということなら、ポコの方がずっと参考になるかもしれないと思ってます。その児童精神科は、摂食障害専門に診ていただける先生が、いらっしゃるんですか?親だけでも相談にのっていただくわけには、いかないんでしょうか。親の対応のしかたということなら、近くにポコみたいな家族会があると、もっと心強いですよね。

不安な母さんへ 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年 8月28日(木)21時56分42秒
経験上の話ですが、医療機関に行きたがらない時は、行っても表面上は効果が無いように思えますが、本当のところはわかりません。行かなければ行かないで、苦しんでいる子供を何もしないで見ているのかといいますし、連れて行けば行ったで自分が楽になるから連れて行ったといいます。本人の言葉に振り回されないことは大事です。医療機関とつながる必要は、もしもの時の対応がしっかりして頂ける事です。自宅から近くないと余り意味が無い様に思います。治療者に過大な期待はしないほうがいいです。医者は治してくれません。治すものではなく、治るものだと思っています。親の心構えはポコの家族会の先輩の言葉の中に沢山あふれています。参考になると思います。

投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 8月30日(土)02時39分45秒
生きていてほしい、とにかく生きてほしい、生きのびていてほしい・・切実な私の願いです。お子さんが病院に行きたがらない時、お母さんだけでも医療者とつながっていたほうがこの病気の理解度が高まるかもしれない。そのうち本人がつながることもあると思います。

(無題) 投稿者:ひよこ銘菓 投稿日:2008年 9月11日(木)02時12分57秒
あの…質問があります(Д`)))...「治る」と「完治」と「ゴール」の違いがわかりません。。たかさん、皆さん、教えて下さい。。。


児童精神科で診て貰いましたが。 投稿者:不安な母 投稿日:2008年 9月 4日(木)23時19分56秒
今日、「病院へは行くけど診察は受けない」という娘をタクシーに乗せ、大学病院の児童精神科へ相談に行ってきました。何か適切なアドバイスをもらえると思っていましたが、この掲示板のみなさんがおっしゃるように、ほとんどアドバイスはなかったです。娘は、食事の摂りかたにむらがあるものの、体重の減少や嘔吐があるわけでないので、これといった治療ができない状態のようです。不登校に関しても、見守るしかないような話でした。摂食障害や不登校のお子さんをお持ちのお母さんがたからのお話を聞くほうが、よほど有意義だと感じました。ただ、病院で摂食障害の家族の会の集まりがあることを知ることができたのは、有意義でした。最近は、年老いた両親を心配させないように、また娘が家で安全に過ごしているかなどに、心をくだいているのでとても疲れます。昨日から病院へ行くことの反発から食事を摂っていなかった娘が10時過ぎてからまたドカ食いをしていました。アメリカにに単身赴任している夫に愚痴をこぼしたり、この掲示板に書き込みをすることで私自身のストレスを解消させてもらっています。本当にありがたく思っています。

段階と時期 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 9月 9日(火)13時24分4秒
つむぎの家族会に参加し始めて早や半年になろうとしています。タカさんに会うと必ずその子の今どこの段階にいるか? とか時期があることを話してくれました。 最近、この段階と時期の意味合いが判って来ました。(おそいよね〜) 最初 発症するまで 次に 発症と何がなんだかわからない混乱期  不安や怒りを親にぶつける  攻撃期 原因が親ならそれはそれは凄まじいです。 一通り気が済むと親を受け入れ始めます (我が家はこの段階かな〜)
この後は タカさんや治った方の話を聞いてください。この段階と時期に適切な対応が必要ですが、これが難しい!! お互い生身の人間同士プライドや色々な思いもあり素直に受け入れるまでとっても時間がかかりました。今、娘は私達を受け入れ始めているので、私は小学生に接するようにしています。 たとえば朝仕事に行く時寝ている娘にハグして「行って来ます」したり、娘が休日でタイミングのいいときには「〜ちゃんと一緒にお風呂は入れたらうれしいな〜」等々 嫌だといいつつ娘の顔は喜んでいるのです。れだけではないでしょう、いろんなことが重なってでしょうが、自分の思いどうりにならなくても別な事に置き換えられる様になって来ました。ただ、過食嘔吐は晩酌のようにこれがないと1日が終わらないと言うほど毎日です。交換日記には、「病気だからできない」の考えは少なくなったし、今の自分や自分の考え方が好きです。とも書ける様になって来ました。それぞれの段階を家族会や此処の掲示板を使ってそれぞれに合った対応を見つけられると良いですね。長々と書いてゴメンナサイ。仕事も一段落したのでゆっくり考える事が出来ました。

皆様へ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 9月11日(木)16時36分1秒
皆さんは、どう思われますか?コメントお願いします

答は人それぞれ 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年 9月11日(木)18時23分44秒
摂食障害によって社会生活に支障が出るとか、誰かを巻き込むとか、本人が苦しむとか色々ありますが、そうでなければ特別問題は無いと思います、ある意味趣味だとしたら、問題にする人はいないと思います、ただ残念ながらそう簡単には行かないところが沢山あります。人間誰しも悩みや苦しみはあります、此れを取る事はできません、そういう意味では治ると言う事、完治と言う事はないと思います。ゴールは自分にとってこの位と決めればいいと思いますし、又ゴールを引き直してもいいと思います。気持が上手く表現できませんが、この問題は娘が時々聞いてきますのでこんな話をします。

(無題) 投稿者:ミルミル 投稿日:2008年 9月11日(木)20時47分47秒
タカさんが、簡単に答えてくださるのかと思ってましたが、みんなに考えさせるんですね(^_^;)完治っていうのは、摂食障害の症状がなくなって、その後もぶりかえしたりしないっていうイメージです。だから、死ぬ時にならないとわからないっていうことかな。治るとかゴールとかは、摂食障害の症状がまだ残っていても、自分の判断で決められるように思います。ひよこ銘菓さん、難しい質問で、ちゃんと答えになってなくて、すみません。

うちの場合 投稿者:風鈴 投稿日:2008年 9月11日(木)21時12分46秒
うちの場合の「治る」と「ゴール」は、お米や肉が食べられて(拒食のみのため)食べても胃が痛くならなくて体重も40キロ以上になって、それを自分で認められて、週5日は起きていられて、笑顔がある。・・こんな生活が理想のゴール。「完治」は望まない。なぜなら完治=昔の体(心)になったら、また病気になってしまうから。ひよこ銘菓さん、やっぱり私の頭と経験では参考にならなかったですね。きのこ様、30歳でお子さん2人で精一杯じゃないですか?お姉さんが抱え込むのはたぶん大変すぎると思いますが、ご両親様も同居されてるんですか?1億光年の彼方様、その後お元気ですか?お会いしたいです!!

言葉の表現に困るけど… 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 9月11日(木)21時41分57秒
うちの場合の「治る」はこの病気に向き合い、受け入れること、治そうと、治りたいと思う気持ちかな?「ゴー」はポコに参加する前は、病気そのもの、症状も出ず、体型もそれなりに普通になること、太ることを怖がらないこと…と思っていましたが、今は違います。過食嘔吐なり、症状があっても社会生活が営めて、毎日がそれなりに楽しく過ごせること。「完治」は日常の様々な出来事や、感情に「ま、いいか!」と、考えることが出来つつも、流せることも出来ること、その時々の「自分」認めてあげられること「焦らず・急がず・逃げず・比べない」が自分に言えること! ←は、つい先ほどタカさんに教えてもらった4つのポイントです、それを聴いたとき、まさにそれが出来たら「完治」かな?って思いました。これはこの病気の人以外にも当てはまる言葉だと思いました

皆様 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 9月12日(金)00時38分54秒
皆さんのコメント、大変有難うございます、答えは皆様、様々だと思います。治療者は治療者の思っている回復、親は親の思っている回復、本人は本人の思っている回復、皆それぞれだと思っています、ゆえに、治るのも,完治するのも、ゴールするのも、捉え方は皆それぞれだと理解していただきたいと思います
ですので、答えはないのです。もし本人が病状の1つとして食べ吐きがあったとしても、自分がこの食べ吐きと一生つきあっていくんだという思いがあるならば、それはその人の回復です。その食べ吐きを治さなければと思う人ならば、それはまだ回復の途中でしょう。私が思うのは、自分が思う普段通りの生活を毎日毎日繰り返し行えるならばそれは回復ではないかと思っています。それが母親の思いと、治療者の思いと違っているかもしれない。しかし、本人がそう思っている回復ならば、それでその人は治ったと感じられるでしょう。完治というのは、みんなから認められる「治ったね」という言い方。それを自分の中で、他の人達一緒に感じられることがゴール、自分をほめてあげたいと思うならばその時点がゴールだと思う。要は拍手喝采を得られる部分だと思う。しかし拍手喝采を得られなくても、自分の中で回復したという満足感を得られたのならばそこがその人のゴールでしょう。だから人それぞれによって違う答えであっていいのです。

治していくのは本人です。回復したかどうかは自分で判断してほしいと思っています。多くの方がこのコメントに、自分なりの答えを書き込んでくださったことは、ひよこの銘菓さんや、他の方たちにも大きな力を得ることができたのではないかなと思っています。必ず回復、そして治る病気です。そのためにも多くの人たちの手助けを得ながら、自分の思うとおりの回復に向かっていただきたいと思います。

見守るとは 投稿者:ちゃ子 投稿日:2008年 9月13日(土)04時18分52秒
わからなくなりました。 少し前になりますが書き込みにあった「悲しませないよう、怒らないよう、余計な事は言わない、そしてとにかく大事な娘だと言い聞かせてニコニコしていればいい」ではだめなのですか?娘はあまり触れてほしくなさそうなので私もそのような態度で見守っているつもりです。ただ気をつけていることは放任にならないよう声かけや彼女が話し掛けてきたら話しをし、頼み事は快く応じるようこころがけていますが・・・ちなみに摂食障害歴7年目。医療関係には繋がっていません。バイトしていますし、友達も沢山います。もう一歩踏み込むべきでしょうか?野々花さんの娘さんのように愛情が足りないと感じているのでしょうか?見守るとはよくわからなくなりました

(無題) 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年 9月14日(日)21時04分7秒
摂食障害を大きな問題にするのって、本人が苦しいから、親が苦しいから、一度整理してみる必要ってありますよね。本人が苦しんでいる部分については、親は何が必要でどうすれば良いのかを整理してみてください、親の役割、医者の役割、家族の役割、を明確にしてみる事は本人や親が混乱しない条件になりますよ。私は親に対して厳しすぎる意見を言いますが、この子を世に送り出した親なんですよね、この事をもう一度良く考えてみてください、ハッピーな人生だけを夢見て生きてきた訳ではないと思いますよ、私の信条は逃げない、諦めないです。しっかり親が子供を受け入れて、見守っていれば、余計な事はしなくても子供は必ず回復します。実感です

はじめまして 投稿者:ひまわりのママ 投稿日:2008年 9月17日(水)15時17分6秒
初めて書き込みさせていただきます。摂食障害暦(拒食)1年半の高1の娘を持つひまわりのママといいます。最近、家族の掲示板があることを知り、ここへたどり着きました。本当は家族会などに参加し、いろんなご意見をうかがいたいのですが、なにせひまわりの娘は私が単独で外出することを嫌がります。
中3の初夏に拒食で極限まで低体重になり、入院し2ヶ月で退院。その後体重は増えたものの不登校になり、何とか全日制の高校に入学できましたが、1ヶ月で再び不登校になり、現在通学制の通信制高校に時々行っています。母に対する暴言はもちろんのこと家庭内暴力はほぼ毎日。1年半たってみてやっと娘に対する対応がなんとなくわかってきました。娘が私に対して「ちゃんと自分を見て。いい加減な返事やその場しのぎのご機嫌取りはやめてしっかり向き合って。」と言葉で言います。それまでも自分なりに努力していましたが、それは娘によると自己満足だといいます。どうしたらいいのかと途方にくれる毎日で、次第に娘をつれて楽になろうと考えるようにもなりました。ある日、こちらの掲示板を偶然みつけ、皆様方が書いていらっしゃることを肝に命じて実行してみると、娘の態度がなんとなく違うことに気づきました。こういうことだったのかと今更ながら納得しました。遅いでしょうか。
娘の状態は一進一退で、何とか3食食べてはいますが、過剰運動のまいにちです。巣立っていく日はあるのでしょうか。娘を信じて、自分を信じて行けば、笑って暮らせる日々がくるのでしょうか。

ひまわりのママさんへ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 9月17日(水)18時55分40秒
書き込みを有難う御座います。この病気を、親が理解し子どもとしっかり向き合えば、必ず回復えの道筋が見えてきます、回復した家族の経験を参考にして、ひまわりさんとお子さんの思う楽しい生活が営める用に、摂食障害と言う病と闘ってください、間違ってもお子さんと戦わないでください。この病気は必ず回復していきます。焦らないでください、急がないでください、あきらめないでください、道は開けます、必ず。

反抗なのかモウンスターのせいなのかもう訳が分かりません 投稿者:不安な母 投稿日:2008年 9月20日(土)21時50分55秒
自分の精神状態が安定しているときは、料理などの手伝いをしてくれますが、気に入らないことがあると、すぐに「服を買え」と迫ってきます。先日、海外時代のお母さんに自分が不登校であることを言ったと腹を立て、私が「不登校で摂食障害である自分を認めてくれるのが本当の友だちなのに、なぜ隠そうとするのか」と説得しても聞く耳を持ちません。先日は、いやがる娘を大学病院の児童精神課に連れて行くとき、行くなら服を買ってあげてもいいと言ったのに、診察が始まるまで待てず、行きたい所へでかけていったことを棚に上げて、服を3枚も買わされました。この病気になるまでは、分別もあったのに、まるで変わってしまいました。これは、摂食障害によるものなのか、反抗期によるものなのかわからなくなりました。
おまけに、私を苦しめるために、私が作った食事はいっさい食べないなどど、いつも言っています。(そう言いつつも、お腹がすくと朝、どか食いはするんですが)。さっきも、大喧嘩をしてしまいました。私も、本当にストレスがたまり、職場でも話す気がなくなり、ちょっと浮いている感じがするし、笑えなくなってしまいました

(無題) 投稿者:ミルミル 投稿日:2008年 9月21日(日)09時06分53秒
不安な母さん、あせらず、急がず、比べず、諦めずですよ。私もいつも自分に言い聞かせるようにしています。今は、摂食障害と反抗期を区別しようとするのは、あまり意味がないように思います。今の娘さんを丸ごと受け入れられるかどうか、試されているんじゃないでしょうか。遠回りのようだけど、今は、お説教みたいなことは我慢して、どういう言葉なら娘に伝わっていくのか考えながら、話をした方がいいと思います。精神年齢もだいぶ幼くなっているのでこんなこと許してたら、躾も何もあったもんじゃないって、不安になるけど、お母さんが愛していてくれるってことが伝われば、変わってきますから。
とはいっても神様じゃないので、娘がいない時に、タオルや枕を壁に投げつけて、「もうやってらんない!いいかげんにしろー!」なんてね。でも、ちょっとすっきり(^^ゞ不安な母さんが前に書かれてた、中学のカウンセラーや、大学病院の家族会を利用して、話を聞いてもらうとか、タカさんにメールや電話相談してみるとか、してみるといいんじゃないでしょうか。

拒食症は若葉マークなんですけど・・ 投稿者:ミルミル 投稿日:2008年 9月21日(日)22時42分24秒
ここにきてから、ずっと考えてたんですけど、うちの場合、みなさんと順番が違うみたいなんです。拒食症になったのは、19歳なんですけど、親子のバトルは高校1年のころにやってるんです。リストカット、私の作った食事は食べない、口をきかない、家出・・高校は3か月でやめ、その後行ったサポート校も1年でやめました。その時スクールカウンセラーの先生に言われたことは、親の枠をとっぱらう、お説教は言わない、子供の手を引こうとしないで、後からついていく気持ちで接する、今は親を試している、本当に子供のことを思って言った言葉しか伝わらない、どんなに無視されても、明るく「おはよう、いってらっしゃい、おかえりなさい」の声かけをする。こんなことでした。夜、どこにいるか心配して電話をすると、ぶちっと切られる。ああよかった、生きてるんだって安心するんです。ずっと鳴り続けてると、何かあったんじゃないかって、帰ってくるまで心配で寝られない。そんな毎日でした。でも、カウンセラーの先生に言われたことを心がけていたら、ある時、自分から「行ってきます」って言って出ていったんです。主人と顔を見合せて、「今、行ってきますっていったよね!」と大喜びした日。当たり前だと思ってたことが、こんなに嬉しいことだったんですね。それから感情の波はあるものの、だんだん落ち着いて、普通に会話もできるようになりました。それまでは、10のうちの1つを悩みに悩んでやっと伝えるという感じでしたから。でも、自分に自信がなくて、やりたいものも無いという状態はずっとあって、拒食症になってしまいました。いいところを見つけて褒めるという部分が足りなかったかもしれないと思います。以前にバトルをやっているせいかわからないけど、娘は親に向かってきません。とにかく親から離れて一人でやってみたいという気持ちが強くて、心配だけど一人暮らしをさせています。何が娘のサポートになるのか・・もしかしたら、間違ったことをしているのかもしれないと不安に思いながら、手探りの日々です。

なかなか出来ない 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 9月24日(水)13時11分54秒
『こだわり』を捨てるってなかなか出来ない。いろんなこだわりって有るけど、子育てや人に対してのこだわりって本当に厄介だと思う、いわゆる、「〜有るべき」なんだけど、昔に比べれば、ポコに出会ってからというもの、随分と捨てる事が出来るようにはなったと思うけど、どうしても ひっよこりひょっこりと私の頭の中に出てきてしまう。これも性格から来るものなのかもしれないけど…以前はとにかく涌くからはずれることが怖くて、真面目人間で通って来た私、口癖は「当たり前のこと…」「それが常識」そんな事ばかり言っていたし、その方が怖くないし、ある意味楽だった。だから、そう言う意味では、同じような堅物の主人とは馬が合ったというか…楽だった。でも今思えばその常識こそ非常識な事、人の人格とかを受け入れずに来たのだから、自分の親もそうだったから、それが正しいと、何の疑問も持たずに、「女房は家庭に入って家庭を守るべき」とか(苦笑い)「女は三歩下がって歩く」とか?(笑い)平気だった。それが自分が親になり、子育てをするようになり、他の親御さんと話をしたり、同年代のお子さんとふれあう様にない、また、子供の反抗期に振り回されるようになり、徐々に疑問を感じてきて(今更?)でも、それを崩すことが出来なくて、そうこうしているうちに、娘が摂食障害になり、娘から印籠を突きつけられたような気がした。人生40歳にして、気づかされたこと。それから摂食障害を通して振り返ってから6年…まだまだですね。本当の自然体で娘を受け入れるのは同じように40年はかかるのかもしれないけど、そのころは80歳?それまで待てないし、そんなまで娘の苦しみを長延ばしには出来ない。気づかしてもらった以上は、努力は惜しまない、娘のため、自分のためにもね。しかし 容易では無いですね、自分自身毎日が葛藤です。それこそ昨日は出来たけど、今日はだめだった…とか、どうしたら、もっと楽に、こだわりを捨てる事が出来るのでしょうかね。

私も諦めずにこだわりを捨てるように、自然体になれるように、努力して行こうと思う様に娘にもこだわりという鎧?を一日も早く脱げるようになって欲しい、親の事など気にせず、自分の事を考えて、自分の人生を見つめて、自分が楽に慣れるように、親を卒業してくれたらと思い、願います。そのためには親元を離れることも必要なのかな?経済的にはかなり厳しいけど、一人暮らしして自分のお城を自分で造りあげることも必要なのでしょうか?
ばたこうとする時は止めてはいけないんでしょうね。しかし、今の娘はまだまだ、親の顔色を見ているところが有り、まだまだ「良い子」です。過食の物も出して欲しいけど、そんな無理は言えないと先日言われてしまいました。やっぱり無理しているんですね。「気にしないで出してあげる!」とは言えなかった自分が歯がゆくて仕方ないです。悔しいです。でもどうしようもないけど、どうにかしたい…そんな気持ちを抱えながら、私もまた、色々な顔色を見てしまう、これもこだわり?そんな優柔不断な私に対して、摂食障害の娘に対して、あまり関わりを持とうとしない主人に対して家族みんながストレスを抱えているのが分かる。いつかストレスとストレスが大爆発起こしそう、今でも娘と次女とは険悪な仲で、有ることを原因にバトル寸前でいるどうしたら良いんでしょう。

(無題) 投稿者:ひまわりのママ 投稿日:2008年 9月24日(水)16時20分5秒
今朝もまた暴力でした。髪を引きつかまれ、蹴られ、挙句の果て「もうだめだ〜」と言い突っ伏して泣いていました。最近、大暴れはなかったので安堵していたのですが、私の言葉尻や表情に「お前のそういうところがストレスになるんだよ!何回言ったらわかるんだ。笑っていえることか!死ね!早く消えてしまえ!」安心させようとした笑みが真剣さがないと思ったようです。本当に試行錯誤の毎日です。身体の痛みはすぐにひくけど、心の痛みは癒えません。
小さい頃、私が厳しくしていたことがトラウマになっていると娘は言います。何かにつけて怒って言うと・・・。私は20年以上医療の管理職に就いていました。医療の倫理を言い訳にして家庭とくに子育てについては、後回しになっていたと思います。産前なしで産後8週で職場復帰し、以降子供は保育園、学童に預け仕事優先の生活でした。自分の都合で家族を振り回し、仕事のストレスがいつのまにか子供に向かっていたんだと思います。娘は今、幼児期に甘えられなかった分をトラウマ返しで摂食障害という形で行っているのだと解釈しています。仕事を辞め、娘の傍にいますが、なかなかのもので・・・。今日は娘の「もう生きていたくない」と言う言葉に、私がつい感情にまかせて「生きていてほしい」と言葉を荒げて言ってしまったことが発端でした。少し落ち着いてから「大丈夫。あなたにはお母さんやみんながいるから。」と言ったところ「さっきと何で態度が違うの」と泣きながら訴えました。そうか、望んでいた言葉は母の感情ではなくて、娘の安心感かと気づかされました。皆様方が掲示板に書かれておられることのひとつなんだとわかりました。今更ですが。
娘はいいます。「ママが変わらなきゃ私は治んない。」その通りですよね。名女優にならなくては。長文失礼しました

初めまして。 投稿者:mona 投稿日:2008年 9月26日(金)12時21分6秒
初めまして。摂食障害(過食嘔吐)になり今年で13年目を迎えたmonaと申します。少し前にこのサイトを知り、皆さんの書き込みを読ませて頂いておりました。本来でしたら本人用の掲示板に書き込みをさせて頂くべきなのかもしれませんが、ここでお母様方の思いを知り、自分の母親の姿と重なることもあり、私と母の経験からも、今とても大変な思いをされているお母様方に、こういう人間もいるよと、少し紹介したく書き込みさせて頂きました。私は今まだ完治はしていません。でも回復していると思っています。心の部分で、ずいぶんと楽になりました。過食嘔吐はありますが、フルタイムで働くことが出来て、社会との関わり、人との関わり、そして家族との関わり、私なりに持てていると思っています。摂食障害になったのが大学二回、19歳の時です。鬱、被害妄想、人間不信で引きこもり、大学は中退しました。入退院を2回経験、それでも治るどころか酷くなり、一時期は薬とお酒を乱用したこともあります。8年ほど前からは特に病院やカウンセリングにも通っておらず、薬も服用していません。未だ不眠はありますが、それも時間の使いよう、眠るのに使うか、趣味に使うかと、眠れない時間も有効に、と思えるほどにポジティブシンキングです。23歳の時に実家に戻り、バイト生活から始め、8年前からはフルタイムの事務職の仕事をしています。何がきっかけ、どうやって、という明確なものはないのですが、私自身、自分と向き合うことを諦めず、どうにかこうにかここまで回復出来ました。決して楽な道のりではなかったですけど(苦笑)そして母親の支えがあってこその、今の私だと思います。13年かかりましたが、今ようやく母親の愛情というものを、私自身が素直に受け入れることが出来るようになり、無条件に私のことを肯定してくれる絶対的な存在であり、私の一番の理解者だと思っています。といっても、最初からそのように感じることが出来たわけではなくて、今ここでお母様方が悩み苦しまれているように、母は母なりに一生懸命愛情を持って接してくれていたのに、私がそれを受け入れられない状態だったこともあったし、そんな私との関係に疲れ、母は一時は一緒に死ぬことさえも考えたほどの時期もあったようです。時には激しくぶつかり、母にもうあんたなんか死んでしまえと言われたこともあります。母も私も、もう逃げ出したい、やめてしまいたいと頭がおかしくなりそうなほどの時期もありました。それでも、母は諦めずにずっと私を見続けてくれて、私自身も治りたい、ここから抜け出したい、変わりたいと、それだけは諦めずにここまでやってきたこと、そういう色んなことがあって今の母と私があるんだと思っています。
父親とは未だに良い関係とは言えません。父親は私が摂食障害になってこの12年間、一度も私と向き合ってくれませんでした。私がどんなに求めても、逃げるばかりでした。全部母に押し付けました。そんな父に殺したいほどの感情を持ち(実際にしそうになり)怒りも爆発させてきましが、父にはその容量がない人間なのだと、父を親としてではなく親である前に一人の人間なんだと、今ようやく認識し、自分の中で父への思いを整理しているところです。

母との関係は良好ですが、でもやはり母親の嫌な部分、見たくない部分、特に弱い部分(母には強くあって欲しいと思う)ですね、そういうのはあって、以前はそれが受け入れられずそういう母にも腹が立ちましたが、今は父と同様、母も親である前に一人の人間で、父の、母の、それぞれの人生があるんだと、なんとなくそんな風に思えるようになりました。そう思えるようになったのも、私自身の心の余裕、というのか、心が成長出来たからかなぁと思います。今私が思っていること。摂食障害になる前の私に戻りたいとは思いません。過食嘔吐があっても、今の私の方が、自分らしく生きていると胸を張って言えます
そして、そういう今の自分になれたのも、摂食障害になったからだと思っています。摂食障害になって失ったものも確かに大きいけれど、それ以上に得たこと、学んだことがあると思えるから、私の12年間は無駄だったとは思いません。自己満足でもいい、そう思えてる自分でいいと思います。摂食障害になる原因も人それぞれだと思うし、回復するのも一つの方法だけではないと思います。回復ということの基準、それさえも以前ここでも書かれていましたが、立場や個人によって様々だと思います。私もそのうちの一例です。ここで書ききれないこともたくさんあって、一番何が言いたかったのかわからなくなってきましたが(苦笑)摂食障害と向き合い、闘っているのは、本人だけではなくて、親も同じなんだと、最近になって心からそう思うようになったのと共に、私は今まで、そして今も私と一緒に摂食障害に向き合ってくれた母に感謝しています。どうかお母様方も、焦らず、長い目で、気が遠くなりそうになるけれど(私も時々・・・)諦めないで頑張ってほしいなぁと、陰ながら応援させて頂きたいと思っています。母にはここでのこと少し話しましたが、みなさんの思い痛いほどにわかるといっていました。そして、私もまたここで、色んなお母様方の思いを知り、そこから自分のこと、母のこと、見つめていきたいと思っています。長々と失礼致しました。

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 9月29日(月)22時00分44秒
わたしは気持ちの浮き沈みが大きく、急に将来に希望がもてなくなって落ち込んだり、ヒステリックに娘に対応してしまったり、かと思えば前向きになったりの日々です。娘は浮腫みがでたりして検査するために一週間ほど入院したりしましたが、腎臓などに心配はなとのことで退院しました。先ほどは一緒に買い物にでましたが、暗いところでみる娘は痩せていて「なんだか月の影みたいだなあ・・・」なんてふと思いました。先日21歳の誕生日を迎えましたが、二十歳は壮絶な一年間でした。薬によるODを繰り返し、何度救急車にお世話になったことか。。。死にたくてODしているのではなく「生きることを決意するため」のある意味自分を追い込むための行為なのです。今は、資格試験をめざし勉強中ではありますが病んでいる身なので本を開けない日も多々あります。通信で学んでから後、CDをみながら一人で取り組んでいます。人間関係の不得手から、専門やら大学やらで青春を楽んだり、学んだりしたいという思いはあっても実現できない焦燥感もつきまとっています。その中で選択した「一人で学ぶ」という方法です。主治医は「成功体験を持たせたい」そうすれば何かが変わる、という思いを強く思ってくださり、ずっと娘を応援し続けてくれています。とても有難いです。ざっとこんな日々です・・・monaさんの書き込み とても参考になりますね。うちはお腹に何かものが入ることが許せないらしく過食して吐く一方です。食べているときは いろんなことを忘れることができるひと時のようです。年齢やら苦い経験とともに、摂食になりたての頃よりもずいぶんと成長はしてきたとは思いますが「なかなか自己実現できない寂しさ」から心にポッカリと空いた穴はなかなか埋まらないようです。うちもnonsさんのような 心の変化を得るときがくるでしょうか。主治医は「摂食障害は必ず治る病気だ」と励ましてくれます。吐くことは完治しなくても「吐かずに食べること」ができるようになって欲しい、というのが今のわたしの切なる願いです。

皆さんへの質問 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 9月30日(火)10時40分47秒
書き込みの中にありますが、太ることが怖い、痩せたいと言っているのはなぜでしょうか?・・・食べるときはいろいろなことが忘れることができるひと時のようです・・それはなぜでしょうか? 皆様どう思われますか?

管理人タカ様の質問について。 投稿者:mona 投稿日:2008年 9月30日(火)14時29分32秒
太りたくない、痩せたいということについて。これは、自分にとって、過食とは?過食嘔吐する意味とは?ってことと繋がるような気がするのですが・・・。私の場合ですが、最初のきっかけは容姿へのコンプレックスです。今思えば、高校時代くらいから、容姿だけでなく、性格、内面の部分でもものすごいコンプレックス、劣等感が強く大学に入って、田舎から都会へ出て、ますますそれが強くなったのだと思います。過食嘔吐しながらも、痩せること、痩せた身体を手に入れることは、私にとっては自分への自身を手に入れることでした。痩せてく身体と反比例するかのように、自分への自信はついていく。なので、最初の3〜4年は、私にとっては、過食嘔吐は太りたくない、痩せたい、その為の手段でした。でも、痩せた身体を手に入れて、まわりに羨ましいとい言われるような体型になって、男性からも好意をもたれることも多くなったのですが、実際に付き合ったりしても、この人は私の容姿だけが好きで、私の内面、中身を好きになってくれたんじゃないんじゃないのか?って思うようになって。この頃、確かに、痩せていることに自分の存在価値を見出していたのは事実だと思います。でも、痩せてまわりからも評価され、自分でも自信を持てたと思っていたけれど、もっと内面の部分、心の部分では、自分を受け入れられていないから、そんな不安になったのだと思います。その頃から、私にとって過食嘔吐が、太りたくない、痩せたいから、そのためだけの手段じゃないように感じてきました。そして、気づいたのが、私の場合、過食欲求よりも、嘔吐欲求が強くて、過食して満たされたいと言う気持ちよりも、とにかく全部吐き出してしまいたいと、そういう気持ちが強いことに気づきました。そして、それが怒りだったり、不安だったりっていう感情だって気づいたのですが、時には嬉しくて仕方がない時も、お祝いみたいなつもりで過食嘔吐することもあって、自分でずっと不思議でした。

私にとっての過食嘔吐は喜怒哀楽、その感情表現という意味があったのだと思います。だから、言葉で、文章で、自分の感情を表現するということ、自分の心との向き合いの作業を続けてるのですが。もちろん、食べ過ぎて嘔吐、ってこともあります。実は今、私は自分で自分を試してみたいという気持ちがあって。それは、痩せていることに、自分の存在価値を見出している自分がまだいるのかいないのか?ってことです。今、私は、朝とお昼、おやつ、嘔吐なしで特に制限もせずに普通に食べれるようになって、夜は過食嘔吐してますが、43sより体重が増えることがありません。むしろ、意図的にここまで増やしました。もう10年近く、体重がここを超えることがないのですが、ダイエット前、摂食障害になる前、なった当初、自分で許せないほどに太っていたと感じる自分、必死で痩せようとしていた時=痩せることに価値観をおいていた時のこと、その苦しみは忘れてしまいました。その代わりに、痩せた体を手に入れたけど、その代償として過食嘔吐の苦しみがありますし、どちらが苦しいと比較できるものでもなく、本人にとってはどちらも苦しみだと思っています。私の中でのボーダーラインというのか、許容範囲はずっと45s前後で、今そこを超えても大丈夫だと思える自分、もう痩せていることに自分の存在価値を見出していないといえる自分を確かめたいという気持ちもあるのですが、さっきも書いたように、朝とお昼だけではそこまでの増加もなく、じゃぁ夜の過食嘔吐を辞めればいい、普通に食べればいいと思う一方で、それが出来ない自分がいて、自分でもよくわかりません(苦笑)

きっと無理にそこまで太る必要もないのだけど(母にも言われました)でも、私はありのままの私を受け入れられてるという確証、回復しているという確証が欲しいのかなぁと自分では思っています。まとまりのない内容で申し訳ありません。そして、管理人タカ様の質問が意図することとは違う内容になってしまったかもですが・・・

タカさんの質問 投稿者:なずな 投稿日:2008年 9月30日(火)14時48分21秒
国府台の勉強会のような感じでちょと忙しくしていますが掲示板を拝見しましたので回答します。
社会風潮で痩せていることが素晴らしいと思われ素晴らしい自分になるため家族、社会から認められたい気持ちであり価値観の誤認があり不安で自分を認めてもらうため、自分をより良くするための再現のない負の向上心、達成感からと思います。いつも一番で無くてはいけない真面目さ痩せなくてはとの頑張り緊張努力ストレス、不安からの縛りから自分を解放し緊張が解ける時からと思います。父親の事ですが確かに認めて褒める事が下手で出来ず食事が美味しくても褒めて美味しかったということができず、ちょとでもまずかったら文句をいう、私を含め世間にはこういう父親が多いと思います。素直に褒める事、人を認める事が出来るようになるようにお父様方、努力し頑張りましょう。

(無題) 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 9月30日(火)21時01分45秒
タカさんからの宿題ですね! 我が家の場合、チョット違っていて娘が体重にこだわっていた期間が短く体重計も新調しましたが(体脂肪も量れるもの)すぐに埃まみれになり、今では病院で量るぐらいで私自身娘から体重に関することはとんとご無沙汰です。 むくみ に関しては時々吐ききれずに寝た朝は騒いでいますが。娘が食べ吐きになったのは、進学校の勉強についていけないストレスやクラスメートとのストレス(勉強で負けたくない!)過食しているうち集中力が無くなり、吐くとスッキリして勉強がはかどった・・・ と言ってました。根底は皆さんが書いてあることと同じ事でしょうね。過食について交換日記で書いていたのが、「ストレスを過食によって発散しています」や「食って何だろう?」 昔は食べたいけど絶対食べない! 食べたく無いのに食べなきゃいけない! 吐けないなら死んだほうがマシ!から今は食べたいけれど食べれない? 食べたいけど食べたくない?食べるタイミングが無い? に変わってきています。との事!! 出かけている時は少ししか食事を取っていないみたいですが、もう少し様子を見ていようかなと思っています。
娘自身体重にどれだけ関心があるのかわからないのが現状です。タカさんの宿題の回答になってないかもしれませんが、正直解らないのが本音です。赤点ですね、ゴメンナサイ

管理人さま 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 9月30日(火)21時36分22秒
食べているときが心安らぐひととき・・・そんな娘の心がなかなか理解できないでいます。以前 診ていただいていたJ医大の女医さんがいうには「食べ物は 自由になるから」とのこと。人間関係やら進路やら 娘の中の「こんなはずではなかった」というような 外界に対するままならなさ から逃れるための手段なのでしょうか。また 私自身が思うには 心に空いた穴を埋めるためかなあ。なのかと。食べたあとのゴミをなかなか棄てられない、と本人がいいますが これも同じような気持ちが働いてのことかと想像しています。「吐く」という行為についてですが 自分に苦しみを与える行動が 心地よいものになっているといいます。ここまでくると サディスト とでもいうのでしょうか・・・「痩せる体を手に入れる」方法としての嘔吐と また少し 方向性が違っているよです。我が子ながら理解に苦しむことばかりです。やはり 自分自身の内面を認め、自分を許すことができるときが 娘の病が癒えていくときなのでしょうか。

(無題) 投稿者:ジンジャー 投稿日:2008年10月 2日(木)06時54分40秒
娘の状態で一喜一憂しています。三人家族ですが、娘にふりまわされています。
過食嘔吐の子供を持ってしまったら、それはどの障害児の親もそうだろうけど、親の生活はズタズタにされてしまうと思われませんか?困難から学び、成長される方ももちろんたくさんいらっしゃるとは思いますが。遠距離介護、家業の失敗、様々な理由で働かなくてはならない私です。以前は仕事が辛くて仕方なかったけど、今はその辛かった仕事が気分の切り替え役になっています。相変わらずハードで辛い仕事ですが。くたくたになり帰っても、家には安らぎはありません。ポコの皆さんは、苦しみながらも前向きで、私は自分と比べ、私のせいでこんなことになったのかと絶望感にさいなまれることが多いです。
娘のため、やれることはやってると思うのですが・・・。もうじき50歳です。私の人生も娘に食べられていく気がします。愚痴ってばかり、ごめんなさい。荒れた時の娘はすごいです。私はもう睡眠薬でも眠れなくなってしまいました。私は神戸で、ポコの家族会に参加はできないのが残念ですが、でも掲示板に出会えて、幸いでした。不安な母さん、ダックスのママさん、他皆さんの投稿、自分のことのように読んでいます。とりとめなくてごめんなさい。今日は書かずにいられなかったのです。

ジンジャーさんへ 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年10月 2日(木)21時44分32秒
ジンジャーさんの気持は良くわかります、それでも考え方や受け入れ方によって気持は随分と楽になります。自分の力ではどうしょうもない事はそこで考える事を止める、悩まないことです、解決しませんから、今日面接をしたかたのお子さんは、養護に行っているとの事でした、又親の介護を含め大変苦労をしたそうです、この苦労と経験を生かそうと思い、デイサービスに勤めを変えお年寄りに優しく接しているとの事でした。明るい方でしたよ。お子さんが病気になって悪いことばかりではないですよ、何もない親子では味わえないものを味わってください。しっかり見守ってやってください、ただひたすら見守ってやってください、それだけで充分です、必ず良くなりますから。私のところも随分と良くなってきています、特別親が何かをしたという訳でもなく、良くなってきています

ジンジャーさんへ 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年10月 3日(金)14時46分53秒
本当に人生はこんなにも辛いものかと・・・毎日毎日が底なし沼にように手足の自由を奪われた如く感じられた日々を思い出します。本当に辛いですよね。私もあまりにも辛く自傷行為をしてしまった時があります。周り中が全て(娘・主人・舅たち)攻撃してきた時ですが・・・ただ救いはカウンセラーの方と繋がっていた事です。夜駆け出して娘と共に暗い海を何度見に行った事でしょう。今、思い返せば攻撃している方も辛くてしょうがなかった事。五十の坂を越えるのがこんなに大変!!昔の42歳大厄の様です。(昨日50歳に成りました、チョット悲しい!)でも、大丈夫ですよ!! 誰かに繋がっていれば救いの手が出てきます。これは確信して言える事です。風の谷のナウシカがオウムの中で触手によって支えられるシーンの如くポコに身を委ねて下さい、みんなで支えますから。

お久しぶりです。 投稿者:チロ 投稿日:2008年10月 9日(木)20時05分1秒
ずっと仕事の忙しさで、心身共くたくたで閲覧のみの毎日でした。でも、心がくじけそうな時もみなさんの書き込みを読んで勇気づけられておりました。つい先日、私がお世話になっている大阪の家族会から11月の摂食障害フェスティバルの案内が届きました。そこでタカさんの名前を目にし、なんだか胸がいっぱいになりました。SweetYさんからお聞きしていたのでお会いできるのがとても楽しみです。みなさんにお会いしたら胸がいっぱいになって、何も話せなくなってしまいそうですが・・・・。 娘は6月に学校をやめ、すぐ通信制の高校に編入し7月から週4日アルバイトに出ています。家の場合拒食のみでしたので、無事に勤まるのか心配しましたが、娘自身が決め、行動に移った事・・タカさんの教えにあるように「でもそんな体で・・」「無理じゃないの・・」の言葉は言わず、見守って行くことにしました。内心いつ倒れるかとヒヤヒヤしながら・・。でもそれから4ヶ月、時々落ち込みながらも頑張っています。
まだまだ口にできないもの、食へのこだわり、たくさんありますが人形のようだった顔に笑顔が増えたこと。今はそれで良しとしています。少し良い所が見えるとつい欲張ってもっともっとと調子にのってしまうのが私の悪い癖。その度娘に「お母さん、慌てないで。」と釘をさされ、反省ばかりの私です。11月にみなさんにお会いし少しでもお話できる時間があればうれしいです。楽しみにしてま〜す!

嬉しい、でもちょっと戸惑い 投稿者:ふー子 投稿日:2008年10月 9日(木)23時25分33秒
今晩、今日はちょっとうれしい事があったので…娘が発病して5年…初めは夫婦で乗り越えようとしたけど、かなりの温度差で歩調が合わず、いつも喧嘩、喧嘩に嫌気が差し、一人で娘を守り抜こうと心に誓い、数年が経ち、姉妹の事も有り私自身一人で抱えることに限界を感じ始めていました。それが、この夏過ぎから主人の態度が急に変わり?今までも変わろうとしていたのかもしれませんが、気づかず、要約変化が表面化してきたのか?その辺はまだまだ未知ですが、娘から父への「ポコに参加して欲しい」の誘いに前向きの返答をした主人。しかし、それがいつ実行になるのか、せっつきすぎてもまた、逆効果かかと想い主人から言い出すのを待っていましたところ、何と今月のポコに参加すると言って来ました、無論、仕事の変更などで出勤体制に変更が無ければの話では有りますが、すっごく嬉しかったです嬉しいです。妹達は「今更…」とか「表面ばかり装っても中身が変わらなければ、体裁で参加しても…帰ってきてから逆切れされても…」などと厳しい事を言われますが、私は今更でも歓迎です。人間変化はあって良いと思うし、今からでも取り戻せると信じてます。
娘の頑張りが、父の氷のような気持ちを少しづつ溶かしてくれたのでしょう。それとも雨だれ石をも打つですかね。(笑い)娘に話したところ、娘も嬉しいそうに「そう、参加してくれるんだ。」ほほえんで嬉しそうでした。まだまだ始まったばかり主人にとってはこれからが大変な道のり、また、違った葛藤も様々、主人にも、娘にも、私にもあると思いますが、前向きに行こうと思います。ただ、口べたな主人です、もし当日お会いしても、どうかそうっと見守ってやってください。主人にとっては「参加」に意義が有ることなんです、話など出来ないかもしれませんし、質問されても返答に困るかもしれません。でも他のお父様方が参加してくれたら、主人もきっと心強いかもしれません。

ありがとうございます 投稿者:風鈴 投稿日:2008年10月10日(金)21時18分41秒
すみません。ご心配かけてしまいました。たぶん私がかべにぶち当たってるんだと思います。私の中に「0か100」「白か黒」の考えが根を張ってしまっているようです。この歳になると自分を変える・・・変え方がへたなのです。と、先を考えて「焦り」があるのは確かです。娘に遠慮してしまう感じっていうのかな?只今「子離れ」実践中です。keikoさん、私たちは人生後半(私充分に後半ですが)にキラリ輝くものが見える人生なんですよきっと。いつか「ごくろうさん会」やる日まで、肩組んで行きましょうね。ふー子さん、やったね!

keikoさんへ 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年10月10日(金)23時53分43秒
全てを捨て、あるがままに生きる、流れに身を任せて流れて行く。いいですね、願望です。でもきっと満足できないですね。この事を後ろ向きと考えるか、前向きと考えるかで結果が大きく変わる様に思います。試してみてください。まず肩の力を抜き、深呼吸をする、思考を宇宙の遥か彼方へ飛ばしてみる、そこからゆっくりと自分を見下ろすように見つめてみる、苦しかった事、楽しかった事がよみがえってきます、苦しみにも、楽しみにもそれぞれに意味があったことがわかります。色々な角度から見てみる、考えて見ると、辛い事も辛くなくなります、良い思い出として感じる事もできます、お子さんの性格や状態は良く分かりませんが、摂食障害を抱える人達の共通した価値観で言われている様にも思えます。社会に出られない人達も沢山いる中で、お勤めが出来る、社会とのかかわりが持てるだけでも羨ましいと思っている方も沢山います、どうか自分を悲劇の主人公だけにはしないでください、辛くなるだけですから。

こんにちは、monaです。 投稿者:mona 投稿日:2008年10月12日(日)13時08分19秒
ポコの掲示板、毎日のぞかせてもらっています。タイミングを逃して、なかなか書き込みが出来ずにいたのですが、もしよろしければ、摂食障害当事者として、差し出がましくも、私が今感じていることを読んで頂ければなぁと思い、書き込みさせて頂いています。私は自分のブログに書いている内容のこと、私の今感じてること、気持ち、ですね、全て母に話しています。これまでのことはここには書ききれませんが、先日、母と話をしていて、母がちょっと涙を浮かべながら「あなたのおかげで、お母さんも成長できた。あなたがこうなったおかげで、子供のおかげで、お母さんもたくさん気づかされたし、変わったと思う。ほんまに感謝してる」と言われました。私が自分の12年間の摂食障害の苦しみや辛さも、それがあったからこそ今の私があると、摂食障害のおかげだと思えるように、母もまた、摂食障害の子供を持つ親としての十数年間、摂食障害だけじゃなく、私が生まれてからの31年間、子供のことでの苦しみ、辛さも、今はそのおかげだと思ってくれたこと、とても嬉しかったし、私も母に感謝の気持ちでいっぱいになりました。私は、自分が不安定になったり、症状が酷くなったりした時、母も同じように心配して不安定になって気を使って何もいえなくなってしまったり、その逆もあって、子供が揺れると母親も揺れる、母親が揺れると子供も揺れる、当たり前のことかもしれませんが、それほどに母子は、お互いに相互作用するものだと思いました。母親には、自分がどんな状態になっても、揺るがない、ど〜んと構えて受け止めてくれる、そんな大きな存在であって欲しかったのかなぁって、今になって思います。そして、それが無理、というのは、母親も親である前に一人の人間で、同じように悩み苦しんでいたんだなって、今思えるようになりました。なんだかまた取り留めなく長々と書いてしまいそうなので、この辺で失礼致します(苦笑)

いつもおじゃましています 投稿者:富士山 投稿日:2008年10月14日(火)00時21分50秒
初めて投稿させていただきます。7月、9月家族会にうかがった富士山です。投稿されている皆さん、そしてmonaさん、毎日何回もこのページにおじゃまして、勇気やヒントをいただいております。ありがとうございます!娘は、この病気になって10年です。でも・・私は、永いこと、娘の苦しみに気付かなかった愚かでのんきな母でした。今、数年ぶりに娘と共に生活し、時には喧嘩?もしますが、一緒に台所に立ち、食卓を囲むこともできます。相変わらずの過食嘔吐はありますが、「何とか一つ前に歩もう」ともがいている様子は手にとるようにわかります。今、娘のために私ができることは、一緒に普通の生活をする・・ということではないかと思っています。娘には娘の、それなりの理由があり、今日があるのだと思います・・。一億光年の彼方様が言われた・・親を回復・・心にずしりときました。あせらず、あきらめず、前を向いて歩んでいこうと思います。10月度の家族会は都合で欠席ですが、これからもよろしくお願いいたします。

ダックスのママさんへ 投稿者:ジンジャー 投稿日:2008年10月14日(火)06時38分35秒
「お母さん、私が過食しているの見るの辛い?」娘は作ったり食べたりしながらよく聞きます。昨日はもち40個、冷凍スパ皿に大盛り2杯、食パン1斤、コロッケ8個、アイス他・・・辛くなり途中で用事を作ってリビングを離れましたが、それは辛いですよね、親にとって。こんな感じで夜中まで続くのですもの。どれだけ頑張っても娘の欲求を満たすことはできないので、私は娘の食事は作れなくなりました。娘には友達がいません。学校が嫌いで辛いと訴えます。休みつつも行くのですが・・・。無理強いはしていません。そんなに辛いなら辞めてもいいよと言っていますが。その辛さを過食ではらしているところもあるのでしょう。長い闘病の道になりそうです。でもこの掲示板には救われています。応えてくださり本当にありがとう。嬉しかったです。あなたの投稿も自分のことのように感じながら読ませてもらっています。お互い体に気をつけながら頑張っていきましょうね。

ジンジャーさんへ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年10月14日(火)14時11分53秒
ジンジャーさんへ <辛くなり途中で用事を作ってリビングを離れましたが>とても良い行動だと思います。お母さんが辛かったらその場を離れるということは、とても大事なことです。その時に必ず子どもに説明をしてから離れるとことが大切です。お子さんは、過食嘔吐をしていることや、お母さんが作ってくれたものを吐いているということを悪いと思っているし自分を責めています。そういう気持ちをお母さんはわかっているよ・・ということを伝える。
例えば 「あなたの気持はわかるけどごめんね。今お母さんが辛くなってきてしまったからちょっと離れるね」とか、「あなたのせいじゃないのよ、しっかり受け止めているけど今、お母さんが辛いから」というような説明をしてあげるといいと思います。私メッセージで。『こういうことをやっていてもいいんだ』というような子どもの気持ち、『お母さんは私を受け入れてくれているんだ』ということがわかってきます。そういうことが確かめられると親近感がわいてきます。親近感がわいてくるということは、それだけ信頼関係が強くなってくる、そういうことを積み重ねていくと信頼関係が出来上がってくきます。こういうことは1つの大きなチャンスです。それをうまくジンジャーさんは使われていると思いますよ

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年10月15日(水)00時39分0秒
ジンジャーさん、ほんとうにお気持ちわかります。うちの娘もトラウマがあり、同年代との関係が苦手です。親がいうのもなんですが人には好かれる子です。けれど、どうしても気をつかいすぎてうまく人間関係がむすべず、希望して入学した高校を辞めることになりました。それから留学やらなんやらと長い道のりを歩んできましたが、どれをとってもやはり人間関係がネックになって最終地点までいけなくて、悔いがかり残っています。とうとう高校にいけなくなったころは、まだ摂食障害ではありませんでしたが、心はすでに病んでいました。お嬢さん、お友達がいらっしゃらないとのこと 学校生活を送る上でそれはさぞかししんどいことだろうとお察しします。うちの娘はけっして人嫌いではありません。むしろ 今一番欲しいのは友人でしょう。「友達とマクドナルドで食事をすること」が夢らしいです。お嬢さんも できればお友達と楽しくやりたいのでしょうね。

3年前今の医療機関にかかり始めのころ主治医から「社会恐怖」との診断をうけました。それが摂食障害と深く関わっているとのことでした。けれど、年齢的に成長したこと、バイトなどの経験などを経てだいぶんと改善され「社会恐怖」という病名は返上してもいいくらいになりました。ただ、他人の前でも自分を100パーセントに保とうとしてしまうので疲れてしまうところはあります。過食嘔吐しながらでも学校を卒業する、という成功体験をもつことは、お嬢さんにとってプラスになることでしょう。それを見守る親はハラハラと針の山にいるような気分を味わいますが、ジンジャーさんも頑張ってくださいね。うちは 高校認定をとりましたが ギヴアップしたときは今の世の中いろんな道があるので思いつめず、お嬢さんにあった方法を見つけてあげればいいと気持ちを大きく持ってくださいね。ケヴィンのママさん、ありがとうごさいます。うちはトイレで吐くのは体制がきついらしく風呂場で大きなザルに吐いています。それを自分でトイレまでもっていってながしているという重労働です。もしナマゴミとして棄てたい方がいるのなら、この方法なら水分は除去できますよ。ママさんもご苦労なさったんですね。1億光年の彼方さん、読ませていただきあなた様の寛容さと努力に感服いたしました。確かに辛い時の過食嘔吐、習慣の過食嘔吐がありますね。どうかお体を大切にしながら お嬢さんの伴走をなさってくださいね。。。

皆さんにお聞きしたいのですが、 投稿者:SweetY 投稿日:2008年10月16日(木)17時13分13秒
娘は自分で調理した時に使った調味料・・・醤油の瓶、マヨネーズ、砂糖入れ等をきちんと蓋をしたことがありません。しても途中までしか締めてありません。これは、作って食べることしか考えていないので、蓋を閉めるという事まで頭が回らないからなのでしょうか?過食した後のゴミを捨てずにそのままにしておくのと同じなのでしょうか?姉たちに言わせると病気のせいではなく、そういう性格なのだと言いますが。。。

空さんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年10月16日(木)23時40分15秒
過食作りのこと その後の処理のこと、我家の場合をお話します。うちは現在働いたり学校にいったりしておらず 家にいる状態です。働いたりして身体が疲れている場合などはまた違うと思いますので 考慮してきいてくださいね。娘は、自分にできることは「したい」「するべきだ」「自分の価値観を表す手段」として洗い物やら洗濯物のことやら なんやかやと家事をこなしてくれています。有難い話ですが これも過食嘔吐と同じで習慣のようになっていて 自然と身体が動いてしまうというか 不自然なまでに几帳面にこなしています。鍋など 磨きこんでいます。自分も家族として役割を果たしたいのでしょう。私自身は「本当にこれで良いのだろうか?」と心配しているところでもあります。そして過食作りについてですが 以前はわたしがやっていましたが わたしもストレスが溜まり娘にバトンタッチをしました。食事作りが好きな過食の方もおられるようですが うちの場合食事作りは好きではなく 始めのころはかなりおうじょうしていました。わたしも もう疲れた・・・という思いと 生きるためにはまず自分の食事を作ることは大切でこれも必要なこと という思いから時期をかんじて 思い切って見ていました。娘も回数をこなすうち 手早くなりましたし 自分なりに工夫したりして なんとか作れるようになりました。もっと病状が落ち着いたら手をかけたものを教えてあげたいと思っていますが・・・まずは炒めたり茹でたり・・・刻んだりからです。けれど今は懸命に家事をこなしており、わたしもお返しになにかしてあげたいと思いで過食つくりは、わたしがしてあげています。

自分が食べたいと思うものは、娘が手作りしていますが。やはり、人に作ってもらうものはおいしいですものね。また買い物は、家族の分と一緒にわたしがしています。食費を削るために 半額の時間帯にお肉などまとめ買いして冷凍しておくようにしています。時には半額のお惣菜を買ったりもします。もし、今娘に買い物をさせても 決まった範囲の金額でうまく買い物をすることは無理だと思います。だんだんと時間をかけて、買い物もできるようになったらいいとは思っていますが。時期をみて練習できたら。とは思いますが。まあ、家の状況などをみて節約は必要だということだけはわかってくれているようですが。けれどお金を持たせて遣り繰りしてごらん。といったらすぐに破綻してしまうでしょうね・・・またこれも習慣性のものですが、牛乳、卵、ゼリー、納豆は欠かさず毎日食べており、どれ一つ欠けても食事がなりたちません。とにかく娘はあらゆる面で自分にほんとうに厳しいです。過食の準備をしたり、その後の処理を手伝ったりすることは「甘やかし」だとは思いません。それが必要なときがあると思うんです。ただ生きるための術として食事作りが身についていれば、それでいいと思っています。親はいつまでも一緒にいてあげられない。それがいつもわたしの脳裏からはなれません。そうそう、娘の摂食障害の病状ですが食べたものすべて吐いてしまう状態です。そして 日課にしている資格試験の勉強など予定通りにできないと、過食が増えてしまいます。なにしろ自分に対する価値観がないのです。2番目の子で要領も良かったし、色々と器用にできる子なので娘の良さは認めながら育てたつもりなのですが・・・どうしてこうなってしまったのでしょう・・・医師にいわせると、ストレスが「摂食障害に現れる体質だったのだ」そうです。そうはいわれてもなかなか納得できずにいます。一人一人その状況は違うので「こんな人もいるんだ」程度に聞き流してくださいね。

就活ブルー?? 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年10月18日(土)10時02分15秒
今週に入り風邪等の体調も良くなかったせいか過食嘔吐にはまっています(泣) 私の推測ですが就活ブルーになっているように思われます。 いつもは自分の部屋で過食していますが、今回はずっと私たちの目の前でしています。こういう状況だから就職は無理かも!!まだ子供だから社会に出て責任のあることは無理なの!! 自信が無いの!!と 訴えているのかな〜私達はあえて知らん振りしています。 超えなくてはならないのが 娘自身 だから・・結論が出るまでは見守ってあげるつもりです。 今までちょっと順調に来ていたのが後戻り? 本人も落ち込んでいるかもしれません。 皆さんの経験でこのような時どんな対応をしたか教えてください。

就活…? 投稿者:きんもく星人 投稿日:2008年10月18日(土)16時58分27秒
うちの娘のささやかなパート就活経験ですが…。100回断られてもめげない、と決意して、病気をカミングアウトして面接にのぞみましたが、1箇所目で早速断られました。職種が決まっていたし、人手不足の分野なので、きっとどこか見つかるよ、と私も信じて言ってきました。病院の先生に、自分を社会に合わせるのでなく、社会を自分に合わせるような生き方を探すほうがいい、と言われたので、それでいい、と思いました。2箇所目も、もう少し自己管理できるようになってまた来てください、と言われましたが、正直に言ってくれたことは評価します、と言ってもらって喜んでました。で、就活は中断して、好きなことを1年やって、生きるって楽しい、という気持ちを味わって再度挑戦し、その2箇所目に今春、週2回から勤め始めました。2箇所目は、私が求人広告で見つけたところで、面接の送り迎えもしました。でも私が手伝ったのはそこまでで、そこからは手を出そうとしても断られます。ふつうの子でも就活で不採用になると、自分を全否定されたように感じることもあるようですね。私もこの夏20年ぶりに面接を受けましたが、ふてぶてしいおばさんになっていても、自分を剥(む)かれるようでこわかったです。その辺の気持ちを察してあげて、話を聞いてあげて、ここまでがんばってきたあなたは絶対使える子だ!と信じてあげるのがいいのかな、と思います。。


(無題) 投稿者:SweetY 投稿日:2008年10月29日(水)22時11分41秒
見方を変えるというのはたやすいことではないんですね。主人は一緒に食べている娘の過食を夕食だけ見ているだけなのに、『なぜあれほど、恐ろしいほど食べるのか』と単純に今までのうっぷんをはらしました。その態度に自分のことでお母さんにも火の粉が飛ぶのが耐えられないと娘はまた落ち込みます。
いつまで経っても同じ事の繰り返し。そうそう他人は変えられない、自分の考え方を変えることで楽になる方法を探す方がよいとは心が健康ならば可能かもしれませんが、娘にとっては厳しいです。でも今日一つだけ救われたのは、朝昼二食は少量でも吐かずに食べられたし、部屋の片付けをしたりして気分良く過ごせたので夕食は吐いたけど体が楽だと言いました。自分はひどいときに比べて確かにほんのちょっとだけでも変わってきたと自分で解ったことが私にとっても宝物に思えます。

アドバイスいただけますか・・・ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年10月30日(木)00時38分30秒
摂食障害の人はねじが切れるまで動き続けてしまう・・・医師にもいわれました。逆にいえば、頑張りやさんで努力家、本来長所のはずです。ところが限界を自覚できにくくしているのがこの病気の特徴でもあります。娘は 過食嘔吐。お腹に何かがはいっていると「気持ちが悪い」とすべて吐いてしまう日々です。ですから 当然低体重。自分を支える資格が欲しいと医療事務の通信を終え、現在は資格試験を得るために勉強中です。(資格をとって自信を持てば自分もかわるといますし、医師にも勧められています)そろそろ、試験を受けようかという今、バイトも始めるといいだし、近所のコンビニの面接をうけ働くことが決まってしまいました。(親は痩せている容姿から多分不合格となると思っていました。コンビニの仕事は経験もあります。週3日働くらしいです)
「なぜ今バイトをするのか」という問いに、おしゃれもしたいし好きなお菓子なども買ったりしたい。というのです。つまりお金が欲しいというわけです。娘のために、主人も20年以上勤めた会社を地位も築いたものもすべて捨て 辞めてこの地に移り住んできました。というわけで、現在は経済的に不安定な我家。「お金は稼げばなんとかなるけど、娘の病を治せたら」の思いからなんやかやと100万単位で散財してきたせいもあります。

現在は娘が望むほどの小遣いをあげる余裕もありません。(多分3万くらいは欲しいのでしょう)自分でなんとかしようと思って、試験まじかながらバイトの決心をしたようなのです。「金銭的に余裕があったら、バイトはしないの?」のわたしの問いに「そうだ」と答えました。親として支えてやれないことが歯がゆいです。現在「痩せ」が進んでおり 医師も重いものを持ったりしたら命取りだといっています。自分でも危ういとおもうのか「バイトの前はエンシュワを飲んでいく」といいだしました。エンシュワさえ吐いてしまっていた娘には ギリギリの選択とはいえ 大きな進歩ですし 「きっかけ」は大切にしたいとも思います。また 摂食障害は家にいるだけでは治らない病気でもあることはわたしも知っていますし、社会経験も積ませたいとは思います。けれど現在の娘の体力では、勉強、バイトの両立はまず無理だと思いますが、100パーセント全開の娘は倒れるまでやるかもしれません。金銭的に娘に余裕を持たせてやれば、危険から救ってやれるのかなあ。との思いやら、やはりギリギリまでやらせて学ばせないと、本当に「食」の大切さに気が着くことができないのではないか。という思いやらで迷っています。最短で試験に受かるとしても発表までは3ヶ月はかかるのです。娘にとって その3ヶ月が金銭的にもう待てないようなのです。わたしの 本心は とにかく今は試験一本にしぼって 身体を大切にして欲しい。です。いろいろなことが 頭をよぎって 迷っています。経験豊富なお母様方、どうかアドバイスをいただけたらと思います。

(無題) 投稿者:きんもく星人 投稿日:2008年10月30日(木)16時04分39秒
先日の講演会で、治療とは希望探し、とおっしゃってました。本人だけでなくて、親にもいえることなんだろうと思います。子どもが病気を抱えてても希望を持って生きていけるように、子どものいい所を見て、それを生かすにはどうしたらいいか一緒に考える、親自身もいろいろ問題を抱えているけれど、解決できている部分もあるんじゃないか、こんなやり方もあるんじゃないか、と自分に提案していく、これをこつこつやること、かなぁと、勝手に思っています
SweetYさん、私が変わらなくては、と思うとちょっと辛いですよね。こうも思えるな、こう思った方が楽だな、とゆるく考えていった方が大きく変身できるかもしれません。ダックスのママさん、うちの娘が上向く前の状態に似てますよ。自分のやりたいことをやるために、体のことを考えてエンシュアを飲むのはいい傾向ですね。通信課程が終わっただけでは仕事に就けないのですか?「資格」にはうちの娘もこだわりますが、その方面で、ちゃんとした資格がなくてもとりあえずできる仕事からやってみて、向いてるかどうか見てもいいのではないでしょうかね。。うちも経済には余裕がないですから、過食するものも服も安いものでがまんしてもらいました。もしうちに余裕があったら、家でグルメやってたかもしれません。お金のため、というのも、がんばるための理由のひとつかもしれません。勉強とバイトの両立についてはお医者様は何かおっしゃってますか?娘さんの状態をみて、うまくアドバイスしてくださるといいですね。言われたことにのっかって、そのことについて話ができたらいいかな、と思います。

迷うところです 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年10月30日(木)20時55分10秒
アドバイスくださった 皆様がた ありがとうございました。きょうは エンシュワを頂に病院へ行ってきました。医師に「たとえ喧嘩になったとしても 力づくでも バイトに行くのを止めたほうがいいですか?」ときいてみましたが「彼女の場合止められないでしょう。いまは むしろエンシュワを飲む という気持ちを利用した方がいいでしょう」といわれました。また、ぜんまいが切れるときはどのような兆候が現れるかの問いに対しては まずは朝起きることができなくなる、起き上がることができなくなるそうです。多分 娘の場合 ギリギリまでいくまで限界に気がつかないのでしょうから ある意味 命がけでもいくところまでいかないとだめなのかもしれません。娘の場合 医療事務の資格試験に通ったとしても(本人は毎日の勤務を望んでいますが)現在の状態では勤めることは体力的に無理かと思います。ただ、いつも人間関係をネックに学校など志半ばでリタイアしているので 成功体験として資格を得ることは貴重なことだという意味で医師も応援していてくれるのです。体力が先か経験を積むことが先か・・・迷うところで、結局はハラハラしながら見守っているしかないようです。摂食障害は心臓麻痺で亡くなる方も多いようですね。そういうことも踏まえちょと様子をみてみます。また アドバイスや経験談がありましたら 宜しくお願いいたします。                    


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