2008年家族の掲示板 No.2


かける言葉 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 5月 2日(金)21時02分6秒
私は娘に対して過食中と言うより体調の悪そうな時はそっとしておきます。連絡事項はきちんと伝えますがその他は挨拶ぐらいかな・・・体調の悪い時は全てけんか腰の為、話をしても悪い方にとる方が多かったし、全てがイライラ・八つ当たり的でしたのでほっとけ・ほっとけでした。ケンカしてもおどおどしたり、どうしよう、どうしようと思っているより “過食が酷くなっても仕方ない”“お母さんは〜思っている”すっきりとした言葉でいったりすると以外に我が家の場合は良かったです。後は、喧嘩の事を引きずらない事かな?親子だもの時間が経てば元どうり普通の会話です。過食中は娘自身悪いことをしているという自覚があるため、私の顔色を伺っているようでした。ゆえに私は心から過食しても良いんだよ(言葉にはしませんが)と念じていました。 雰囲気でわかるんですよ、許しているかどうか!!顔では良いといっておきながら心の中で ダメ だとばれてしまう(泣)最近は明るい過食になっています。そう感じているのは私だけかもしれませんが、まあ気の済むまでやってくださいの気持ちで居ます

最低の母親です・・・ 投稿者:野の花 投稿日:2008年 5月 5日(月)03時53分0秒
先日、ようやく我が家に訪れた春をご報告したばかりでしたが・・・その後、波はありつつも何とか頑張って前に進もうとしていた娘でした。今朝もコンビニの早朝バイトを敢えて入れて、そのあとの時間を有効に使おうとしていました。今日は特別なお出かけはせず、のんびりと2匹のワンコたちのための買い物のみで時間を使い、穏やかに一日を終えるはずでした。私は、思い上がっていたのかも知れません。過食はもちろん、嘔吐という儀式も、今の娘にとっては必要なこと・・・、それらを受け入れ、暗いトンネルを光を求めて娘と共に歩んで来たと・・・ポコに参加して様々な事例に触れ、対処法を学び、病気に対する理解を深めて来たという自負も少なからずありました。でも、実は何にも分かっていなかったのでした。買い物の途中の車の中で口にしたミルク系の飲み物が、娘にとっては、まだまだ恐ろしいきっかけであったことに気づかなかった私は、娘がイライラし始めて、どんどん語調が強くなって行くことに戸惑っていました。家に着く頃には、とうとうダムが決壊しました。そして、私は決して言ってはならない言葉を娘に投げつけたのです。「今まで、私だって随分我慢して来たのよ!これ以上いじめないで・・」と・・・あれほど、言葉を選び、時には無視してるとさえ言われる程、娘にかける言葉には慎重になり過ぎるほどであったはずなのに、スイッチが入り辛い状態の渦中の娘に、私は何て酷い仕打ちをしてしまったのでしょうか!!!私は最低です。今、新聞配達のバイクが家の前を通る音が聞こえてきました。う夜が明けるのですね・・今日はどんな一日になるのでしょうか・

野の花さんへ 投稿者:チューリップ 投稿日:2008年 5月 5日(月)09時54分53秒
うちの娘も、去年春、進学校に進みましたが休学してしまい、この4月からの再チャレンジも無理のようで、昨日とうとう娘からも退学の言葉がでてきましたサポート校にもいけそうにないと言っています。この先何年出口の見えないトンネルを娘と歩いていくのかと思うと、娘を信じようと思っても不安になります
でも、野の花さんの娘さんのように、きっと自分から外へでていこうとする日が来ることを信じるしかないと思っています。私なんかいつも娘に怒られ、謝り自己嫌悪の毎日です。でも娘はその後必ず私のところに戻ってきます。だから母親として、この子を支えてやらなくてはと、自分を励ましています。私にはアドバイスなどできる資格はありません。ただ野の花さんの気持ちがとてもよくわかります。

教えてください 投稿者:星の砂 投稿日:2008年 5月 7日(水)14時44分6秒
こんにちは! 皆様の掲示板を拝見し、我が子と同じような症状の対処の仕方に学ぶ事も多く、励まされたり、直った方の話を聞き、いつかは我が子もと希望を頂いています。娘は高2ですが、学校は楽しいし、友達も大好き!といったかと思えば、いきたくない、死にたい、私の気持ちなんてわかってくれないと泣き崩れます。別人が2人いるようです。毎朝振り回されています。言うことがころころ変るのです。塾も私頑張る!!と言ってはりきったのですが、2回で辞めました。学校も4月から留年した学年からはじめてますが(本人の強い希望です)1週間に2回位いけばいいです。私は、退学してもいいんだよっていってますが 本心で言ってない!!とせめられます。妹もほとほとイヤになり、娘に、暴言を吐きます。なんだか家族の機能を失ってる気がします。

(無題) 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 5月 8日(木)17時28分34秒
空さんへ、やりあうということはイコール自己主張の場。自己主張をするには相手がいないとできないので。自己主張をするということは、対人関係を構築していくうえで大変重要ではないでしょうか。それを親子の中で練習していくことによって、外でも自己主張できるようになっていくのでは・・・。そうすると外で良い子でいることが必要ではなくなるのではと・・・ただその子の回復の状況にもよりますが。だから時間が必要なのでは。

嘔吐について 投稿者:野の花 投稿日:2008年 5月 9日(金)02時20分10秒
紆余曲折を経て、私は今「嘔吐は必要悪」だと思っています。なぜなら、本人の心の安定を図るのに無くてはならないものになっているからです。もちろん、低カリウム、逆流性食道炎、そして鬱・・と、換わりに引き受けなくてはならない辛いことは多いのですが、本人にすれば、嘔吐というひとつの儀式を以って事が完結するのだそうです。娘が嘔吐していることを初めて知った時、私はネット上をあちこち彷徨い、「嘔吐は次の過食の予約をしているようなもの、絶対にやめさせるべき。」という一文から、何としても阻止しなければ・・と強く思いました。しかし、その後出会った現在の主治医から「過食と同様、嘔吐についても一切口出ししては駄目。」と言われたのでした。娘自身も、嘔吐に対する罪悪感(自らの身体へのダメージ、近隣への迷惑)を持ちながらも「禁じられたら頭がおかしくなっちゃう」と言います。それは決して脅かしではなく、心の平穏が保てなくなるという現実を意味するものと私は理解しました。私は、決して嘔吐を奨励するものではありません。ただ、今は娘の全てを受け入れたいだけです。拒食から過食嘔吐に転じて3年半が経ちますが、以前は1時間位トイレにこもっていたこともあったのが、今ではさっと済ませて出てくることも少なくありません。それは文字通り「儀式」に過ぎなくなって来ているのだと思います。yukikoさん、これはあくまでも我が家の場合です。

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 5月 9日(金)23時51分37秒
娘はやりあうということはイコール自己主張の場。自己主張をするには相手がいないとできないので。自己主張をするということは、対人関係を構築していくうえで大変重要ではないでしょうか。それを親子の中で練習していくことによって、外でも自己主張できるようになっていくのでは・・そうすると外で良い子でいることが必要ではなくなるのではと・・・ただその子の回復の状況にもよりますが。だから時間が必要なのでは。けれど 今は過食嘔吐のみで全く食べるという行為ができないので、痩せが進んでいます。2月ころは入院もよぎなくされました。医療保護入院です。今も そのころの体重に戻っているのですが 娘は今資格取得に取り組んでいて自信を持とうとしている最中です。医師はリスクも覚悟で彼女を信じて様子をみようというスタンスをとっています。私たち親も痩せを心配しながらも見守っているところです。人間関係が不得手だったのですが、このごろはバイト先の友達関係も楽しいと思える場面もみられるよう変化してきました。心が満たせれれば、過食嘔吐の行為も軽減してくると信じてここまでやってきましたが「心と過食嘔吐」の関係について最近わからなくなってきました。心が回復しても 身体の病として習慣化してしまうのではないか。。。という心配もしています。摂食は10年周期くらいで考えたほうが良いと聞くので 我家はまだ半ばなのでしょうか。やはり、摂食障害についてさらに勉強を深めていく必要がありそうです。家族会にもでて悩みを話したり聞いたりしたいと思いますが なんだかんだとでかけられずにいます。うちの娘は中学時代、間関係で色々あり、それがトラウマで高校に入ってまもなくちょっとしたことが引き金になり高校に行かれなくなりました。勉強も熱心で将来は留学したいという希望もありましたし、中学の交換留学でアメリカに行った経験などから高校留学に踏きり、16でカナダに渡りました。けれどすでに心は病に侵されていたのだと思います。かなり頑張り色々クリアして落ち着いたころ、やはりトラウマがでて 甘い物が止らないという過食の状態に陥りました。摂食障害を発症してしまい帰国を余儀なくされました。その後様々な経過を踏んで今現在に至ります。人一倍学ぶことに憧れ大学や専門に進みたい思いは持っていても叶わず高校は高認で卒業資格はとった状態です。希死概念に囚われていた時期もありODを重ねた時期もあります。今 やっと通信という手段で生きる術を得ようとしている最中です。資格試験はこれからですが通信の過程は終えることができました。本人は 資格をとって働くつもりでいます。そうなったら 過食嘔吐は止めるとはいうものの疑問点は多いです。ざっと簡単ではありますが我家はこんな感じです。わたしも午前中だけ週に4回パートにでかけ 気分転換をはかっています。時々先々のことが心配になりドンと落ち込むこともあります。わたしも精神科にかかりカウンセリングとお薬を頂いてわが身を保っている状態です。

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 5月10日(土)16時00分58秒
そうかもしれません。わたしと主人は全くの正反対の性格で 供のころからどちらにつくか迷ったそうです。ちなみに主人は完璧な理系人間、勤勉 まじめ 勉強家 きれい好き・・・そんな感じです。その上今は亡くなりましたが、主人の父と同居しており校長だった義父はのんべえ、わがまま・・・ということで主人との争いがたえませんでした。3つ上の兄がいますが幼いころはいたづら坊主でしたが 性格的には穏やかで友人も多く、妹とはかなり違った性格です。今年、就職となりました。これらのことは ここ 何年かのうちに親子ではなしあったり カウンセリングで話したり娘も吐き出してきましたが まだまだ傷は癒えていないのでしょう。娘がこうなってからも わたしと主人の対立はしばしばです。わたしも反省して 主人に寄り添っていかなければ。と思っています。このところ、ちょっと溝ができ おたがいきまずかったのですが 今日は一日早い母の日 としてスポンジを買ってきて 娘とケーキを作ってくれるそうです。あとは 中学時代のいじめに親がきがついてやれなかったことが 摂食障害になった大きなひきがねです。一応形的には 過去の清算はできていますが 娘の失ったものはおおく心の穴は まだまだふさがらないのかもしれません。この5年で一歩づつ螺旋階段は登ってきたつもりです。けれど今 踊り場にでて色々な迷いやら疑問やらがでてきました。無我夢中でやってきましたが、まだまだ理解できていないことも多く、しびれをきらしたわたしは娘にイヤミをいってしまうこの頃です。この疑問を解決するためには、もんもんとしていてもだめだということにこのサイトを見て思いました。専門家やら治った方々の話、そして今闘っているかたがたとの連携、それがわたしには必要なんだと思います。出ようと思っていた家族会についてもすっかりその気持ちを失っていました一緒に頑張れる仲間が欲しいです。

(無題) 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 5月11日(日)16時26分13秒
我が家の娘も二十歳で過食嘔吐5年目です。これまでに色んな事がありました。信じる事、簡単なようで難しく、嘘も冷静になれば娘を追い込んだ結果・そうしなければ収まらなかったのかも?? 又はその時は本当にそう思っていた!!色々なパターンがあり、責めない事にしています。約束なんて破る為にあるもの と考えていれば怒りも出ません。学校に行けない・病院に行かない・社会に出ない等々、そのうちいけるようになるさと思えるようになったのも最近の事。引きこもりも意外と辛く苦しいものに見えます。外に出て楽しくおしゃべりしていたほうが良いに決まってます。信じて見守る、修行です。でも私は怖いと感じた事はありません。娘に、「家族会に入って摂食障害についてお父さんとお母さん勉強始めたんだ。体調がくずれた時の対処法を教えてもらうので大丈夫だよ!私達で支えて上げるから」といって有ります。此処のところ比較的安定しています。相変わらず過食はしていますが、学校もバイトも楽しいと言っている以上、先の事は求めないようにしています。娘自身「この頃私変わってきた!以前は寝坊したら崩れて出られなかったけど、この頃遅刻でも行くことが出来るようになった!!!」 そうなんです。本当に些細な事かもしれませんが変わってきています。 皆さんも小さな変化を見つけてあげると良いと思います。 あまり良い事を書くと崩れる・・・  いえいえ 崩れたら支えます・付き合います。

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 5月14日(水)23時17分32秒
うちの娘は、高校を中退しました。高認で資格はとりましたけど。学びたい思いや、青春したい思い、そして学生への憧れをいっぱい持っていても人間関係のトラウマから叶わない娘です。学歴よりもなによりも、青春を味あわせてあげたいという親心、わたしも同じです。今ちょっと色々あり遅くですが犬を連れて娘と外にでてきました。精一杯娘を励ましわたしもそんなことなんでもない、と心から思えるよう語り合ってきました。

ピッピさん 投稿者:風鈴 投稿日:2008年 5月15日(木)11時02分46秒
あなたの気持ちよーくわかります。うちの子だけ回復が遅いとか、うちだけは回復しないんじゃないかとか。親のほうがあせってしまうんですよね。自分は楽しい青春があったから。私も娘を見ていて「私はこの年齢のときは・・・をしてた。」とかね。自分の物差しで計っているときが多々あり。反省。ピッピさん以前と比べるとあなた自身がすごく・・つよいお母さん・・になってるじゃないですか。(人のことは良くわかるんですよ。自分のことはわからないけど)ダックスのママさん、色々あってもお嬢さんと夜遅くのお散歩、いいじゃないですか。親子の距離が近くて。ついでに手をつないでみてくださいな。月日も薬のうち。

(無題) 投稿者:チューリップ 投稿日:2008年 5月15日(木)15時52分18秒
娘にも青春を謳歌させてやりたい。親として、私もやっぱりそう思ってしまいます。さっき、娘が「さみしい」と言ってきました。「でもお母さんに言っても仕方ないね。」と付けたし、寝てしまいました。「学校へ行けば」と言う言葉を飲み込んだ私です。毎日、食べるか、テレビを見るか、寝るばかりの娘です。話し相手は母親だけです。過食でパンパンのおなかを鏡に映し、私に見せてきます。かわいそうだなと思います。6月から学校へ行くというものの、いける可能性はほとんど無いと思っています。行きたくても学校へ行けず、苦しんでいる娘です。学校は辞めてもいいんだよと言っていますが、それはそれで、とても辛いようです。ひとそれぞれいろんな人生があっていいということを、娘と一緒に考えていこうと思います。罪悪感も強く、「お母さんごめんね」とよく言ってきます。私は7月まで仕事を休職しています。8月から仕事に戻るべきか、娘のために退職すべきかで悩んでもいます。そんな私の心の迷いを娘は察しているんですね。娘のためだけでなく、自分の第2の人生のために前向きに退職という選択をしようかなと考えています。

チューリップさんへ 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 5月15日(木)19時59分35秒
娘の大きく膨らんだお腹を見るのはとっても辛いですよね、私も何度も見せ付けられました(泣)なんて返していいものか・・・ 言葉が出ず悲しみだけ込み上げて来ました。我が家の場合、娘が病院で診断があったのは高1の秋で、何とか2年に進級したものの行く事が出来ず結局 ”休学”にしました。 退学する事を娘は躊躇し決断できませんでした。その間先生は「保健室でも教室でも来れる時が有ればいつでも良いですよ。多分休学により自分の居場所をとって措きたいのでしょう」と柔軟に対処してくれました。唯一登校したのは、修学旅行と文化祭だけでした。友達もおおらかに接してくれましたが授業には1回もでず、一緒に入学した学年が卒業式を行った後に退学届けを出しました。その間引きこもりと過食三昧でしたが何とか高卒認定を取り大学にも合格した後です。高校を辞めることは簡単ですが本人が決断した時のほうが良いように思います。やはり学校に自分の席が有るというだけで娘の社会での居場所がある安心感が出てきます。

(無題) 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 5月15日(木)20時53分51秒
先程の投稿に書き足りない事があったので補足します。高2になって、学校に行く・行けなかった・・・が毎日のように繰り返し、本人はもちろん家族中が其処一点に集中しとても苦しかったです。ただ本人は行かないといけない!強迫観念のようになっていました。今思うと周りのものがそうさせていた感じが有ります。本当に娘に対して悪い母親で申し訳なく思っています。出席日数が足りなくなるギリギリに留年・退学・休学の選択を担任の先生から相談され先生のほうから「取りあえず休学にして様子を見て、後は本人の決断を待ったらどうでしょう」の提案に私たちも賛成しました。 こうして、休学が決まった時「ああ、朝のバトルをしなくて良い」と思っただけ私は軽くなりましたが、娘のほうはドドーンと過食嘔吐に落ちました。それから高卒認定を取ると本人が決めるまでは超大型台風に直撃を受け続けたように大荒れでした部屋は荒れ放題・破壊!皆への八つ当たり?? まさにハリケーンです。 不安や皆から遅れる恐怖自分はどうしたら良いのか迷い迷っていました。 それでも今は大学生活をエンジョイ?? するまでになっています。

過食 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 5月16日(金)23時43分9秒
過食または過食嘔吐のお嬢さんをお持ちの方、過食はどのようになさっているのでしょうか。我が家では本人に買い物を任せると買いすぎてしまうため、わたしが食材を買っています。本当は、本人に任せるのがいいのかしら。と思ったりします。食材が上がっている今 エンゲル係数が高い我が家、10円でも安いものをと奔走しています。買い物が辛いと感じるときもしばしばです。どんなに手をかけて作ったものでも吐いてしまうのだと思うと張り合いの無さにむなしくなるときもあり娘が疎ましく思うときさえあります。自分で料理するということが苦手な娘でしたが娘の将来のことやら自立心のことやら考え、自分で作る時間帯も設けるようにしました。まだたいしたこともできませんが、随分と腕は上がった(笑)と思います。摂食障害は金銭的にも圧力がかかるので苦しい病だなあ。とつくづく感じます。一緒に買い物に行っていつのまにか買い物籠に色々なものが加わっていて、つい の苦労も知らないで、、、とカッとなってしまうこともしばしばで 経済的に許せば 好きなものも買ってやれるのに。という思いやら過食用のものを準備している自分に罪悪感を感じたり 複雑な心境になります。ほかのお母さん方は 過食にどのように対応されているのか どのように感じていらっしゃるのでしょうか。過去のことでも良いので お気持ちをお聞かせいただけるかたがいらっしゃったら お願いいたします。このようなことは やはり母親に負担がかかってくるものと思います。そんな意味合いからも母親は孤独になりがちだと思います

親の無限の愛 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 5月17日(土)22時15分36秒
親は子どもをわがままになるようにそだててきたのではありません。人を振り回すように育ててきたのではありません。ましてや、摂食障害にしようと育ててきたのではありません。そのように思って育ててきたならば、それは親の責任です。お母さんの育て方が悪かったわけではなく、多少関係してますが、むしろ現在の、痩せていることが美しいと礼賛されているとか。社会風潮なども、大きく影響しています。愛情が足りないわけではありません。お母さんは自分なりに精一杯お子さんを育ててきています。その子の持っている資質、性格とその子の捉え方と、いろいろなものが加味されて病気が出てきたと思います。お母さんは一生懸命愛情を注いで育ててきた、だから、その子が生きてこれているのです。摂食障害の子供であっても、今も寄り添って支えていけるのです。病状が出て困っているのは本人、病人を抱えて困っているのは母親。摂食障害をもった子どもを受け止めて、支えていくのがお母さん。病状を治すのは本人、本人を支えるのがお母さん。二人が同じ方向に歩くことが大事だと感じています

ありがとう タカさん 投稿者:ふーこ 投稿日:2008年 5月18日(日)01時10分48秒
近頃マイナス気味で…わかっていたはずなのに、こんな子に育てしまったのは、私? と 後ろを見がちでしたが、改めて、子供と向き合い、愛情がなかった訳じゃない! ボタンのかけ間違いをしてしまっただけ! そして、今はボタンのかけ直しをしているんだって。頑張ります。

ここにこられている家族の皆さんへ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 5月18日(日)23時03分41秒
回復してきたからいえる言葉であって、それを否定しているわけではないのです。真っ最中の家族と、回復の段階にある家族と、経験談の話は、それを参考にする話であって、教科書ではないのです。ここにくる家族は、1番確かな教科書を求めているのです。回復してきた人が1番の教科書だと思ってしまいがちです
すべての家族が同じではないのです。回復には自分自分の回復であって、お母さんの思う回復と、自分の思う回復とが、そして10人いたら、10人の回復があり100人いたら100人の回復があるのだと思います。いろいろな講演会に行くと、母親が治療者に一生懸命答えを求めている姿が・・・ここにこられるも皆さんも自分を責めるのではなくて、色々な人たちの回復を参考にして回復への道すじをみつけられるといいですね。

(無題) 投稿者:いちごのママ 投稿日:2008年 5月19日(月)16時09分22秒
こんにちは!!ひさしぶりの書き込みです。家族会でお会いしてる方は我が家の娘が今、高校1年で小6の12歳の時に1年間大学病院に入院していた事はご存じの事と思います。重度の拒食症でしたが、現在ほとんど完璧に回復に向かっています。その娘に「なぜ拒食症になったのか?」聞いてみました。本人いわく「何となく食べれなくなって痩せてしまった」・・・「お母さんの事は恨んでいる?」「何で恨むの??お母さんには感謝しているよ。入院中ずーとそばにいてくれたし大事にしてくれた。自分を一番わかってくれてるでしょう。恨む理由がないよ」とても嬉しい答えでした。でも1番ひどかった時期の入院前後に100%娘に愛情を注いだかは疑問です。真っ最中の時は愛情うんぬんより一生懸命毎日を過ごした事しか覚えてないのですよ。入院3か月半は同じ病室で過ごし、24時間娘と病院の人達に監視されてストレスで自分で自分をささえるだけでせいいっぱいだったし・・・その後の8か月半、仕事に行って病院に行っての生活・・・自分に余裕がなくて疲れて娘にあたった時もありました。だから、100%愛情をそそいだ自信はありません。娘が言ってくれた、そばにいてくれたし大事にしてくれた。には自信があります。家族それぞれで愛情の表現は違うと思います。ゴン太さんが言うようにその子がどう受け取るかで違ってくると思います。うちの子の場合、愛情が何なのか?まだわからない年齢です。そばにいてくれたが愛情に感じたのかも知れません。そばにいてあげる事、大事な事ですよね。終いっしょにいてあげる。と言うことではありませんよ。心はいつも一緒にいる。という事です。風邪ひいてしまって家族会に参加でなくて残念です。

はじめまして 投稿者:クローパーのママ 投稿日:2008年 5月20日(火)11時14分37秒
はじめまして、クローバーのママと名乗らせてください。よろしくお願いします。このページは昨年大阪でありました『摂食障害フェスティバル』に参加しました時に管理人であられるタカさんとお会い出来知りました。現在娘は中学3年生で、1年前くらいに痩せ始め、相談しましたスクールカウンセラーの勧めで心療内科にかかりました。現在は過食気味(嘔吐はありません)のため体重は増えています。ここに皆様が記されているお子様の症状と同じように、母親であります私への暴言や、態度に一番苦しんでいるのが娘だと理解しようと思っていても辛くなる毎日です。けれども、中学2年生の1年間はほとんど登校できませんでしたが、3年生になり休んだり早退しながらも登校してくれるようになりましたことは回復の兆しだと喜んだりしています。がんばって登校しても、休んだ日のブランクは大きく友達関係などで学校でも泣くことが多く、担任の先生に「君は、物事を気にし過ぎる。他人に求めてはいけない」と言われたらしくまた泣いて帰ってきました。母親でさえどうすればいいのか迷う摂食障害の子の気持ちを学校の担任の先生に理解してもらうことは難しいようです。『お母さん、助けて』とヘルプを出す娘を笑顔で抱きしめるための私のパワーを充電させてください。

お久しぶりです。 投稿者:チロ 投稿日:2008年 5月22日(木)13時25分18秒
拒食のまま過食に移行せず、二年に突入の娘。数ヶ月前から少しずつ食べる量も増え、自分自身を見つめる事ができるようになり、少しずつ前に進めているのかなと安心していましたが、先週から登校できなくなりました。今まで何度も「休んで心も体も治そう」と言っても聞く耳を持たず、「私から勉強を取ったら何もなくなる」と言い、ひたすら頑張り続けてきた娘でした。休む事もできず、頑張り続け、やせ細っていく娘がいつか本当に壊れてしまうんじゃないかと怖くて、どうする事もできず自分の無力さに苦しむばかりでした。その娘が先週、泣きながら辛さや苦しみを吐き出し、学校を休むと決めた時・・正直ホッとしました。行き帰りの電車でも他の学生や大人達からも指をさされ「何!あれ!骨やん」「生きてんの」などの言葉にも毎日耐えていたことも言ってくれました。学校内でも同じようなことがあったようで、様々なことが重なり「学校にいると息ができなくなる。何日も死ぬことばかり考えていた。」と話してくれました
このままでは自分が壊れていくと思い、心をやすめる決心をした娘。これは最初の一歩だと思っていいんですよね。心穏やかに自分と向き合う為の・・。私自身、今娘の為に何をしてやればいいのか混乱中です。長々とまとまりのない文章で申し訳ありません。

ピッピさんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 5月29日(木)21時23分36秒
ピッピさん、始めまして。わたしは20になる過食嘔吐の娘を持っています。ピッピさんのお嬢さんくらいの年齢から摂食障害になりました。高校は中退しました。バイト、学校のこと、十代のころが娘の心のゆれが激しく、精神的にこちらも辛かったです。うちは社会恐怖も持ち合わせており 特に同世代との人間関係が苦手でした。現在も過食嘔吐はいっこうによくならずとても悩んでいますが、人間関係の方は楽しいと思えることもあるくらいになりました。やはり、経験と年齢が成長を促してくれると思います。お嬢さん 年齢的にも思春期で最も感じやすい年頃ですね。3ヶ月お仕事が続いたのはすごいことだと思います。だんだんと自分に合った仕事や環境をお嬢さん自身がみつけていかれるんじゃないでしょうか。やはり、月日と経験。。。この5年を振り返ると精神的には大人になってはきましたが、いまだに過食行動があること嘔吐がつきまとうこと、そしてそれに伴う痩せなど心配の種は尽きず、ひかりを見失い、息苦しくなる日もしばしばです。ピッピさんのお宅の事情もわからず、よけいなことかもしれませんがわたしも同じ思いを繰り返した者として、この波を乗り越えられるよう祈りたくなりました。


空さんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月 2日(月)13時11分38秒
心が疲れて飽和状態になると いらだたしさばかりがつのり、娘への愛情が見えなくなる。空さんきっとお嬢さんのことで疲労がたまっておられるのでしょう。わたしも先日なにもかもが腹立たしく、嫌になり自分の感情をおさえられなくなりました。娘には日ごろ 良い母でいなければ、とか明るくすごしたい、とか過食の買い物で頭を悩ませたり。。。とうとう、爆発。娘に当たり、主人にあたり、毒をはきだしたら楽になりました。娘には傷つくようなことを言ってしまい、反省です。でも、そこからまた何か始まればいいと思っています。そしてまた娘が再び愛しいという感情がよみがえってきました。わたしにとって 最も苦しいのは娘への愛情が見えなくなるとき。空さんのしんどさ、わかるなあ。空さんも不満や不安を思い切ってお嬢さんやご主人にぶちまけてはどうでしょうか。自分の中で苦しさが堂々巡りしているのは やっぱりしんどすぎますから

どうどう巡り 投稿者:Keiko 投稿日:2008年 6月 4日(水)19時53分21秒
この病の対処の仕方を学び、愛情をもってサポートし、子が自信を持てるよう仕向けることが大事である事は充分分かっています。その一方でダイエットに走り、摂食障害に悩んだ人の手記などを読んだり、先日のセミナーでもあったように「やせている事が自分に出来る唯一の価値のある事」やせていなければならないのだ。と感じてしまうその世界観をどうやっても変えられないように思っています。確かに今のテレビや雑誌は、私たちの若い頃に比べて細い体型がもてはやされ、洋服のサイズも7号・9号しか置いていないお店も多く、それが規格外になる不安感をあおっている事もあります。それがダイエットのきっかけとなり、ダイエットハイの状態になり、それが続いてある日コントロールを失うと、今度は過食、罪悪感、食べ吐き、やせていなければ・・・・・と堂々巡りになると思います。この「やせていなくては」という世界観は、親の対処でひっくり返るものとは思えなくなりました。食べている時だけが、恍惚として現実から逃避できると言うのはアル中と同じ依存症ですよね。依存症は簡単に「親の対処」で変化するものでしょうか。治るとすれば、今度はそのきっかけを知りたいです。十人十色とはよく分かっていますが。ストレスのない人はいません。同じストレスでもこうなる子とならない子の世界観の違いはつまり自己のアイデンティティのなさを、親が「認めてやり」「フォローして」「揺るがない」というそうした対処で持ち上げて、自己確立が出来ていくものでしょうか。なんだか分からなくなりました。ならなかった子の親が、みんな理解があり、子にとって求めていた親そのものではなかったと思います。大体、親や教師や上司と言うものは、自分にとって理解のないものではないでしょうか。ある人によると、親に満たされなかった部分は異性に認められ、愛され、初めて自分の居場所を見つけられたといいます。それぞれが生育暦、性格、社会とのかかわり・・・・たくさんの複雑な関係の中で、このようになっていったとは思います。今、私は「人の世界観」というものは。変わるものだろうかという疑問でいっぱいです。わが娘は、2年かかって上手く滑り出したのに、つまづいてしまいました。やっと正社員が見つかり、そのため気に入っていたパートをすったもんだの末やめて、出勤した第一日目の研修で、要するに軍隊式に「このような場合はどうなる」と質問され「懲戒免職です。」「損害賠償をされます」と答えさせられ、娘はすっかりおびえ「声が小さい」と怒鳴られ、どうだ今日の感想はと聞かれ「自信がなくなりました。」というと「あんたはそれだけうぬぼれやだったんだよ。」と一喝され勤められませんでした。その結果、すべてまた振り出しになりました。娘は34歳です。摂食障害であったため職歴がたくさんあり、年齢が年齢だけに、それからたくさん本当にたくさんの面接にいっても全滅となり、また今2年前と同じことになりました。あんなに楽しかったパートをなぜ辞めてしまったのか、なんとなく合わなそうに感じたのに、正社員だというだけで不安だったのに決めて行った自分が許せないと、落ち込んで・・・・。私とも口論になりました。自分はこれからもずっと、こういう風な人生しか来ないのだと言い切っています。焦ってはいけないと思っても、私は悲しくて、不運続きに崩れそうな毎日です。

ありがとうございます 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年 6月 4日(水)20時55分12秒
皆さんから温かい励ましの言葉、大変嬉しく思っております。私は病気がわかったとき、神様に真剣にお願いしました、私の命と引き換えに、どうかこの子を治してくださいと。親ってそういうものだと思って生きてきました。今でも気持は変わりません。だから調子が悪くても落ち込みませんこの子が助かるからと自分に暗示をかけています。KeKOさん貴方様の気持ち、ここに来られている方は皆さん良くわかっていますよ、お子さんはご両親どちらかの気質を受け継いでいます、気質は治せませんけど、性格は変えることが出来ます。焦ることなくゆったりといきましょうよ、違った世界が見えますよ。空さん夫婦って足して1にしかならないですよ。2を期待しないでください。人生ってそんなものですよ。

わたし・・・ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月 4日(水)22時01分6秒
娘が落ち込むとき 支えられる親だったり、一緒に落ちてしまう親だったり・・・過食嘔吐を見守る親だったり、いらだつ親だったり・・・かぎりなく胸騒ぎのするとき。不安でいっぱいになるとき。迷うとき

おはようございます 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 6月 6日(金)09時03分4秒
最近娘の顔も身体もますます骨ばってきて、入院を考えていました。本人は前より体重が増えたと言い張りますが…。ところが一昨日から過食の後、急に吐けなくなったと言います。夕べは『お腹がパンパンで苦しい、吐きたいのに吐けない。このままどんどん太ってしまう』と言って泣きました。朝はいつか過食だけになると本に書いてあったけど、こんなに急に吐けなくなるのはどうして?』と言います。胃の働きが嘔吐出来ないようになってきたのでしょうか?このまま過食だけになるのか、また過食と嘔吐を繰り返すのでしょうか? 過食だけになると忘れていた過去の辛さで精神的に余計に落ち込むとも聞きました。親としては命の危険性から逃れることが出来るのは有り難いですが…。この時期の対処の仕方を教えていただければと思います。

sweetyさんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月 6日(金)17時04分44秒
sweetyさん、お嬢さんはその後いかがですか? うちの娘はおとといたらふく食べて吐かずにそのまま寝てしまったようです。そして、昨日は病院に行って突然お腹がすいて売店でおにり、お菓子など買って食べ、吐く時間がないまま診療時間になってはきませんでした。そしたら一日で体重が3キロ増えたらしく,身体が重く体調が悪かったみたいです。徐々に増えていくならいいのですが 痩せた体にはいっぺんに3キロは大きかったみたいです。その後嘔吐しているので、またすぐ減ってしまうでしょうけどね。アメだの甘い飲物だのは 履かずに摂っているのですが なぜか体重はふえません。(いつもは)彼とでかけたときは 少し食事が摂れるようですうちでは全くダメなのに。摂食障害はわからないことが多くておやもとまどいぎみです

お久しぶり♪ 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 6月 9日(月)22時07分43秒
お久しぶりです(^.^) 要約 元気になりました。 毎日ポコは覗いていたのですが、色々あって…書くこともできませんでした。末っ子はまだまだ、不安定なところもありますが、1つの山は超えたかな?長女とも 色々あって…緊張しながら コミュニケーションを取ったこともありましたがここまで 回復してきて、長女は長女なりに、悩み 考えて答えをたじ、1つ1つ山を超え前進しているんですね。些細な事で喧嘩になり言ってはいけない言葉も言ってしまったりしました く(~_~;)長女を深く傷付けてしまったり そうかと言えば、逆に 大きなキズを負わされたりも…長女の反応にたいしてまだまだ、言葉をオブラートに包んでしまいます。 あんなに回復しても、やっぱりまだ「もし また…」を考えてしまってまずは 私が拘りをすてないと 娘も拘りを捨てる事は出来ないんでしょうね、あ〜 早く 拘りを捨てて、何でも言えるようになりないなぁ〜久しぶりなのに 全く 意味不明な事 ばかりで ごめんなさい!

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月11日(水)23時37分10秒
「時間とお金がかかる病気」これがこの病ですね。親は金銭面でのやりくりと精神面でのサポートの両方を迫られますから いくら無償の愛、とはいえ、かなりしんどいです。せめて精神面だけのサポートだけであったら。と思うこともしばしばです。我家は娘がこの病になり 地方都市に住んでいましたが 神奈川に移りすみました。一軒の家を構えていましたが 今では賃貸に住んでいます。(娘には辛い思い出がありその地に住むのは無理だろうと考えたので)そのため 主人も長年努めた会社を断腸の思い出辞めました。病になりたてのころは(今5年めです)娘の思いを叶えてあげることが病回復に通じると信じ、ほんとうに散財してきました。留学やら結局数日しか通えなかった専門も2校。本当に 家が一軒たつかなあ、、、すべてのお金をだしきりました。(苦笑)今では過食費に追われる日々です。母親の性でしょうか。子供におなかいっぱい食べさせてあげたい、という思いと金銭面でのせめぎあいです。このことを医師に話したところ 好きなだけ食べさせるというのもあまりよくないとのことでした。娘にも 金銭面でのやりくりが非常に大変であることは熟知させました。「いろいろ迷惑かけてごめんね」といって 娘は泣きました。わたしも泣きました。話にくいことではあるけれど 金銭面でかぎりがあることなど 親のほうから本音ではなすことも必要だと感じています。それで過食に歯止めがかかるとは思いませんが 上限があること、粗食???にたいしてはある理解を示してくれると思います。

過食費は治療費! 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 6月12日(木)16時01分32秒
なるほどね。さっき娘が、買ったばかりの携帯を水没。あわてふためいて駐車場で車のバンパーを思いっきりぶつけてくれました。その携帯も何個目でしょうか・・・『食べることで毎日頭がいっぱいで、何事も中途半端なまま。過食してなければコンビニに買いに行かなかったし、車もぶつけなかった。お金ばっかり無駄使いして、家族に迷惑かけている、んな自分は生きている価値はない。』また始まった。同じ事の繰り返し。こんな事も良くなる為のステップってことなんですね。そう言う風に考えれば気が楽です。考え方次第で苦にも楽にもなるんですね。ありがとう!やっぱりここに来ると前向きになれます

反省です 見習いたい 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 6月16日(月)00時46分4秒
家は娘ばかり三人いますが…三人が三人とも 自分を見ていて攻撃をしてきます。 私は子供に対して?世間に…自分の親に対して。良い母親を演じ?良い母親になろうと、ならなくてはいけないと器用でもないのに、器用な振りをしてしまい、私は その時、その時、全力を尽くして、見て来ましたが…、見て来たつもりになっていた?のでしょうか、この子の為だけの私になりきれず、器用でない私は、何処かで、力を半減してたところもあって(誰からも好かれたいと思う気持ち?性格と知らず知らず自分の心の防御作用が働いたのかな?)…この子のためだけの私ではなくて、色々な私…この子のためだけの私から、各々の子の私…妻、女、自分の為の私…職場の私…と、何処にも良い顔をし過ぎた…だから、どこも、中途半端で子供の気持ちを満足させられなかった…=いつまでも、見て見て攻撃が止まない のでしょうね。そんなんだったら、初めから変な小細工?機嫌取りなどせず、生の人間として、一緒にギャーギャーやれば良かったのかも…子供が満足する愛情は手のひらから溢れて初めて満足する愛情を感じ取れる…何時もタカさんも言ってましたよね。だから、家は子供も親もお互いに(主人以外)気を使っている状態でピリピリしていて、リラックス出来る家にはなっていなかった。リラックスする処か、気を使わない主人にイライラしてそれにまた、自分が子供を守らなきゃ!自分がしっかりしなきゃと肩肘はって母親をして来たから、そんな 変な所に 子供も緊張して 病気が回復仕切れないかったり、するのでしょうかね。今からでも出来るのかな? でも 怖いな!久しぶりに書き込みしたのに、支離滅裂で 意味不明な事ばかり…読むかたを迷わせちゃうかも…ごめんなさい

投稿者:SweetY 投稿日:2008年 6月16日(月)14時34分6秒
まるで自分が書いたのかと思いました。私も三人の娘の母です。私の母は大勢の小姑の中で自分を殺して生きてきました。そんな母の生き方に『言った者勝ち、ずるい者勝ちなんて許せない』と若い頃は反抗ばかりしてきました。でもそういう風に生きることが自分を守ることだったんだと解りました。やはり私もよく似た方法で”黙って回避する、直に受け止めないようにする”というやり方を身につけました。でも、やはり日々重なってくると自分の中に歪みが出来ます。そして身体にパニック障害、拒食症となって現れました。もう二十年前になります。精神科通院、漢方など試しました。ある日通院していた総合病院の総婦長さんに出逢い、『身体の治療は終わってもメンタルな面で健康になれない人がいらっしゃる事に心を痛め、自分の勉強のために』とボランティアでカウンセリングをして頂き“人を変えることは出来ない、自分を変えるように目先を別の方向にむけ楽になる”ことを目指しました。回復まで何年もかかり、歳と共に当時の記憶は薄れましたが数ある原因の一因である主人に対するこだわりは今も消えていません。なにせ同居していますもんね。それが今の過食嘔吐する三女にも当てはまっています。主人の発する何気ない一言一言が過去に起こった思い出したくない出来事を甦らせます。私が今まで言えなかった事をメールしたとき自分の非を認め、後悔の念を書いた手紙をくれましたが娘はそれを真っ向から信じませんでした。案の定トラブルは起こり、同居している限り治らないと思い、数ヶ月前私にしてはものすごい決断をし、家を出ました。誰も何もしてくれない、この子は私が守る!治してみせる!と気負っていました。その時期ポコを知り、主人に講演に参加してもらいました。原因探しはしない・・・病気を知る事で前向きに時間をかけて治っていく病気だと言うことを知りました。でも、うちの場合原因はまだ存在しているのです

怖いのは男も女も同じなんだけど… 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 6月16日(月)23時51分54秒
今日の ポコは こじんまりだったけど、それはそれで、新鮮で 新たな勉強をさせて頂きました。確かに 男性陣が言ってましたね。男性は基本的に怖がり、臆病なのかも…けど、怖いのは男も女も同じなんだけど…女には 出産と言う 大仕事がり、それは 怖くて 逃げたくても 逃げられない 最後には受けて立たなければならないような勝負。それを超えなければ 親にはなれない! 兎に角お腹から 出さない事にはどうにもならないから 命をかけて、命を産み出す。 それ以上 怖いものなんて、命を失う他何にもないですもんね。自分の産み出した命を失うくらいだったら 何でも出来る! そんな、根性は座っているのかな? でも 怖くない訳じゃないんですよ十分怖いんですよ!だけど、私の場合 その怖さを 出す?見せる事の方がもっと怖い甘える事が怖い、末っ子だから甘え上手でしょ?と言われるけど、甘えかたがわからないだから 肩肘はってしまうその部分では 男性…主人が娘に立ち向かうのがわからない? 怖い?のでしょうね。わたし、此れからは 主人と言う南極の氷をろうそくの火で溶かすつもりでゆっくりとじっくり と 向き合って行こうと 思いました

娘が家を出ました 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 6月17日(火)01時51分27秒
主人からも娘からもお互いに言いたいことを私に言わせようとします。いい加減にして!と思い、仕事場に逃げました。いつから居なくなったのか解りません書き込みしているときかも・・・以前から平気で長距離運転する娘です。どうやら車で3時間のところにいるらしいです。途中まで行くから待ち合わせようと言っても断られました。どうしても居場所を教えません。でも携帯で連絡はしてきます。去年のGWに娘二人と旅行した際、宿が取れずにコンビニの駐車場で一晩明かしたことがあるので同じように考えているのかもしれませんが1人じゃ危ないし、身体が心配です。メールで昨日の事を書いてきたのを主人にみせたところさっきまでおろおろ心配していたのが豹変し、激怒。こんなに心配しているのに自分が原因であるという現実を受け止められないでいるのでしょう
そして発した言葉が『これ以上自分は何もできない。やっぱり別居したほうが・・・』それじゃ同じことの繰り返し何も解決しないし、娘も回復できない。どっかのドラマじゃないけど『いいかげんにしろ!』です。どこか安全なところで身体を休めていてくれたらと思います

(無題) 投稿者:悠 投稿日:2008年 6月18日(水)23時03分38秒
我が子は大事です。愛しいです。死なせるわけにはいきません。その思いもあって、今まで過食費行けないであろう専門学校(行けることを願って)の費用、などなど、夫の退職金をおろして調達してきました。そしてついに、退職金も貯金も底をつきました。今の夫の給料はとても少ないです。私もほぼフルタイムで働いてますが、二人の給料をたしても、今後過食費を出す余裕がありません。子どもはもう一人います。今年大学に入りました。お金が無いので、当然奨学金で行ってもらってます。子どもはとても大事だけど、もうお金が無いのです。ストレスになるかもと思いつつ、お金が無いことを言ってます。ついに過食費を出せなくなったらどうなるか、とても怖いです。でも無かったら出せないんです

(無題) 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月18日(水)23時57分54秒
悠さんの書き込みを見て 我家のことかと思いました。うちも過食費やらいけないであろう専門などのお金を精一杯つぎ込んできました。よくぞこれだけ我家にお金があったと関心するくらいの金額です。いまや空っぽ状態です。過食に関しても最近は粗食で我慢してもらっています。だって 出せない物は出せないですから。うちは兄がいて今年就職しましたが やはり奨学金を使いました。しわ寄せが兄妹にいってしまうのは辛いですね。悠さんの気持ち わかりすぎるくらいわかります。

過食費 投稿者:はなみずき 投稿日:2008年 6月19日(木)10時05分23秒
過食費 と言うよりお小遣いとしてバイトを始める前には月に1万5千円程です。学校用品等の必要経費は別ですが。1日の買い物は3〜4千円程度(家族4人) 本当に本人にとっては足りないと思いますが2人の大学の費用などこれが精一杯で、主人の病気もあり収入は少ない事を子供たちは充分承知しています
だからと言って同居している主人の両親からの援助は断っています。娘は親の技量を見ています。余裕があるのが解っているとそれなりに要求しますが無いのがわかると自分でどうにかしようと動き始めました。 性善説を成るべく信じ、親として直球で娘に望む姿勢で居ます。もし何かあったらその時はその時!受け入れる覚悟です。以前カウンセラーの方に言われました病気を理由に親を動かそうとするので出来ない事ははっきりと言うほうが良いと。生活全般の事ですが出来ない事は出来ないと言う様にしています。(娘の体調を見ながらですが)

(無題) 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 6月25日(水)20時03分25秒
先日の家出事件から娘は心の中を主人にぶつけるようになりました。髪を振り乱し半狂乱の口からは今まで娘だけでなく私達も言いたかった言葉が溢れ出し、それに対して主人の口から出る言葉はなんら昔と変わりませんでした。それどころか言ってはいけない言葉まで。『いったい千葉で、東京で何を学んできたのか、あの懺悔の手紙はただ文字を並べただけの綺麗事だったのか』『何も変わらない、もう信じない、ここから居なくなりたい』という娘を抱いて姉の所へ逃げました。タカさんはこういうことはしてもよい、むしろした方がよいと言われましたっけ? 体力の無い娘には可哀想だけど私も確かに言い合いをしながら解りあえていくのかもしれないと思いました。最近娘は体調の悪い私の代わりに昼食と夕食を作ってくれます。朝から冷蔵庫とにらめっこしながら携帯でメニューを決め、楽しんでやっているみいです。親が探してやらなくても自分でちゃんと見つけていくんですね。毎日のご馳走が楽しみです

投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 6月29日(日)23時31分54秒
悠さんのところは ずいぶんと回復なさっているんですね。吐かずに 食べる という行為はおできになるのでしょうか? うちは食べては吐くいっぽうですですから体重も増えず心配しています。2月には医療保護入院もしました。けれど いくら入院しても体重が戻るのはそのときだけで 家に帰ればもどに戻ってしまいます。うちの娘は痩せ願望から摂食障害になったケースとは違うと思います。もちろん 過食で太ってしまうことには恐れをいだいていますが、どちらかというと ストレス発散のため、ふがいない自分を吐き棄てるための過食嘔吐です。本人は今、ある資格を採ろうと勉強を始めていますが 思うようにははかどらないようです。主治医も 娘には成功体験、何か自信を得る物が必要だからしばらく見守ってみましょう。といっています。バイト、ドタキャンが原因で止めてしまうの、すごくよくわかります。うちも何回も経験しています。でも、心と身体がいうことをきかないんですよね。本人は頑張りたいんですよねこれも 繰り返すうちに社会のルールとか 学んでいくんでしょうね

悠さんへ 投稿者:ダックスのママ 投稿日:2008年 7月 1日(火)13時22分7秒
もうこれでおしまいかな。と思ったことはわたしも一回や二回ではありません。同感です。けれど暫くするとまた なんとか這い上がってくるんですよね。その繰り返しですが このところ少し変化がみられたきました。そしてわたしも悠さんと同じように過食嘔吐がどうしても認められなくなるときがあります。我慢できなくてヒステリックになったりします。通常の人間の子行為に逆らったことをしているのですから それを認めるほうが難しいことだと思います。そんな自分ではいけないなあ。と反省しつつの繰り返しです。過食嘔吐はあいかわらずですので、やっぱり金銭的なことが我家でも課題です。娘のために使い果たしてしまいましたから。(苦笑)けれど ないならないなりにやっていくしかないので 娘にも事情はわかってもらって 協力できることはしてもらっています。お金の心配はさせたくないというのが親心ですが、やっぱり家族の一員として事情を話し、少し考えてもらうことは良いことだと思っています。裕福なら裕福なりに振舞ってしまうのが人間です。ない袖を振れない状態になって返ってよかったこともあります。貧乏も 必要悪かな。なんてこの頃思います。

皆様へ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 7月 1日(火)15時45分42秒
この掲示板、または、ポコ・ア・ポコのホームページに来て下さる皆様、有り難うございます。日常生活の中で起きてくる問題、本来ならばお子さんの問題なのですが、この病気は家族をも巻き込むことが多く、本人への家族のサポートが大変なことは、この掲示板からもよくわかります。そのために、この病気を理解することは大変重要で大事なことです。ここに来られている多くの方は、この病気のことを頭では理解していると思います。ただ、頭で理解していても実際の“対応”となると、実際の“対処”となると、わかっていない(わからない)ことがあるかと思います。“対応と対処”は家族、家族での違いがあります。例えば過食費のことですが、月15万以上の人もいますし、30万でも大丈夫という人もいます。もうこれ以上は・・という人もいます。過食の方法や、食べ物の好みが違うと同じように、それは各家庭で自分に合った方法を考えていいかなければならないことです。問題はその過食費をめぐってお子さんと話をするときの方法です。家族会では、本人と向き合って親が話をするとき、どのように対応すると本人が理解しやすいか、また親がどのように話を進めていくか、あるいは、どのような行動をとっていくと本人の感情が安定し、ストレスがあまりたまらず、そして前向きになるようしていくかということを基本に話し合っています。それは本人の言う事に耳を傾けながら、その基本の中で親達が少しでも心にゆとりが持てるようにそして日常生活の幅が広がるように確かめながら、力量(能力)がつくようにと・・家族会を開いています。この方法はすべてのことに当てはまります。皆様は治療者と繋がりを持っていると思います。もし治療者と繋がっていないのならば治療者と必ず繋がってください。そしてお近くの私たちのような家族会に参加して“対応と対処の方法”を進めてください。必ずいい方向に進めますよ。私は実際の家族会ではオーバーなくらいの身振り、手振りを交えながら話をします。掲示板ですと文字の羅列となってしまい、私もですが、通り過ぎて来た方々の感情・意思の伝達がスムーズに伝わりずらいと思っています。考え方、書き込みの表現の未熟さにはご勘弁を・・・。

皆様へ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 7月 4日(金)11時36分40秒
子どもにとって1番のサポート(よりそってあげる)人 → 母親 → 母親を手助けする人は旦那さん → 母親・父親はサポートの方法を学ぶ → サポートの方法は、家族会・本・治療者・回復者等々 → 実践し経験する → 本人の反応をみながら → 実践していくと困難が出てくる → 困難な部分をいかに解決していくかを、いろいろな人の経験・考え・知識等々をいただき → それをヒントに自分の出来ることを実践していく。これを繰り返しやっていく・・これを私たちは実践しながら学び練習し、経験して親としての力量をつけていく、その中で愚痴も、不平不満も出てきます。それがこの掲示板に吐き出し前に進んでいく力が、湧いてくるのでではないでしょうか 

おひさしぶりです 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 7月 8日(火)17時10分40秒
娘は新しいバイトを初めて今日が二日目。しかし、バイトの面接から帰ってきてからという物、先に先にあれもこれもと色々調べて、これも出来なくてはだめ!これも覚えておかなくてはだめ!とまさに自分で自分を追い込むかのように目の色を変えて勉強していました。どうしてそこまで完璧を望むのでしょうかね…それがこの病気の特徴でも有るのですが…それが分かったら、病気にはなっていないかもですよね。そんな調子で、一日目に出かけていき、帰ってきたらテンションの高いこと!自分的には完璧に出来たのでしょう。しかし、覧ている私たちからすると、第一日目からそこまでやったの? と思わず言ってしまうほど、まるでそこに既に半年? 一年? 行っているのかな? と思わせるような内容でした。もちろん本人だけの言葉なので実際のところは分かりませんが、恐らく頑張りすぎる程頑張って来たのでしょう。私としては娘の労をねぎらい、成功を喜び、じっくり話を聞きましたが、そんなときふっと感じたことが…私がこんなまでににこにこと話しを聴くことは娘にとって嬉しい事かもしれませんが、かえってそれが次のプレッシャーにならないか?と心配にもなりました。何せ、喜ぶ顔を見るのが大好きな娘ですから…。その加減が難しいなと思いました。無視してもいけないだろうし…過剰反応をみせてもいけないだろうし。その辺はどうしたらいいのでしょうね。

皆さんへ 投稿者:管理人タカ 投稿日:2008年 7月10日(木)22時57分0秒
Keikoさんの掲示板を読んで、りんごの木の話を思い出しました。親のりんごの木が外に出ている子どもに、実ったりんごを売り、仕送りしそして失敗し傷ついて帰ってきた子どもに、老いたりんごの木は「もう実をつけることも出来ない」と言って自らの木を切り、そのきり株に「疲れたろうゆっくりお休み」と、座らせたそんな様な絵本だったと思います。親子の愛は、見返りがない、見返りを望まない「無償の愛」ではないでしょうか。一億光年さんはじめ、ここに来られている皆さんは、同じ気持ちではないでしょうか。ただ、方法が違い、子ども達の受け取り方も違い、社会情勢も違いますが、親子の愛は変わらないと思っています。「摂食障害を持つ人は、独自の感性で現代社会に失われてしまった、忘れてしまった、忍耐、寛容博愛、同情などを、教えてくれているのかもしれない」と言っていた先生がいたことを思い出しました。この子らの持っている、繊細で、優しくて、我慢強い、性格を評価して、皆で良い方を向いて進みましょう。

育て直し… 投稿者:ふー子 投稿日:2008年 7月11日(金)23時36分3秒
最近娘を覧ていて「ふっ!」と思うのです。この病気は、親が子供の育て直しが必要で、子供が十分と思うような愛情を与えて、子供もそれを感じ取り、自分自身の居場所、自分自身の自信を持てるようにしてあげることだと…頭では分かっている、しかし、大きくなった娘を目の前にするとついつい多くなった子供相手に話したり、対応してしまって、「育て直し」って事を忘れてしまうことが有ります。なのに、娘は親のそんな態度に苛つきながらも、甘えようと覧てみて攻撃をしながらも、しっかりと自分自身で「育ち治し」をしているんですね、なぜそう思ったかと言うと…病気を少しずつでもコントロール出来るようになってからの娘は自分の子供の頃の夢を…一度は親の顔色をみて、あきらめた夢に自分の力で挑戦し、それなりの達成感を得て、踏ん切りをつけて、次へ…そう、娘が丁度中学3年の頃に夢見ていたのが、「タレントになりたい!」と言う夢。そして娘は病気をある程度コントロール出来るようになってから、劇団に入り、約2年半、エキストラなどをしながら、小さいながらも役や台詞もらって、テレビに出たりとタレントの仲間入りを果たした…それなりに心残りも有るであろうが、親に言われたからとか言うのではなく、自分で決心してタレントから卒業。そして次に挑戦し始めたのは、娘が小学校から中学校にかけて眼をきらきらさせながら楽しそうに話していた夢…今まさにそれに挑戦しようとしている…スイミングのコーチ、それに少しでも近づこうと、スポーツジムでのインストラクターに挑戦し始めた。どこまで出来るか、自分で出来るところまで、納得がいくところまで挑戦してみるといい。そうして、娘は娘なりに、子供の頃失った物を取り戻そうと、自分自身で育ち直しをしている様に思えるのです。娘がここまで頑張っている。病気の克服まで後一歩…その山は…私には「父」に思える。「父」が娘の育て直し…「父」自身が父親にならないといけないと思うので、子供のまま「父親になってしまった主人」これもまた、主人と主人の親との関わりも出てくるのでしょうが、主人が自分自身を見つめ治すことで、主人の親を超えてくれる事を信じたい。そして、大人の父親として娘に接し、娘の居場所、娘の心、理解し、受け止めて、父親として娘と関わり、娘を一人の人間として扱ってくれる様になれば、娘の病気も克服出来るのでは無いかと私は思う。しかし、この「父」=「主人」がなかなかのくせ者、未だに娘を理解しているとは思い少しでも主人が、父親として娘に向き合えるためには、いったいどうしたらいいのでしょうか。どなたか、良い方法があったらお話聴かせてください。

私も模索中です 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 7月13日(日)09時41分22秒
あと一歩がご主人とのこと、家も同じです。家はあと一歩どころか、原因の一つともいえます。でも主人だって娘のことを大事に思っている。ただ、歯車がかみ合わない。人を変えることなんてなかなか出来るものじゃない、まず自分から変わらなければと言われても、何をどうしていいやら・・・娘は主人と私が”普通に”話しをすることを嫌うのでもっぱらメールです。夫婦なのに直接家の中で話が出来ないなんて変ですけど、メールのほうが冷静に伝えることが出来るのです。“強くなったらどうですか“そう言われて、私って弱い人間なの? 強さって何? 辛抱強さは鍛えられましたけど・・・何事にも立ち向かっていくこと?
人に自分の言いたいことを直接言えること? 私にはなかなか難しいです。今、私に出来ることといえば、娘のそばにいて、娘の苦しみを聞いてやる。娘の辛さを主人に伝える仲立ちをする。主人の気持ちにも心を傾けるようにする。これだけです。ふー子さん、私と一緒に考えてくださいますか?

ふー子さんへ 投稿者:なずな 投稿日:2008年 7月13日(日)20時56分34秒
ふー子さんお嬢さん自立でき色々挑戦なさっておられ逞しく思います。 過去を振り返られ修復、我慢して今までしなかった事を今取り返そうとされる精神は立派に成長されておりすばらしいと思います。父親ー男は所詮自分を含め駄目な存在でしかなく女性―母親と比較すると弱く強がっているだけです。また照れ屋です。男の操縦、操作方法は男に頼り,おだてる事だと思います.自信の無い人には後押しすれば 良いのではないでしょうか。 *豚も煽てりゃ木に登る*私を含め世の男性諸君にはこんな方法で通用しませんか?

疲れますね 投稿者:1億光年の彼方 投稿日:2008年 7月13日(日)21時45分15秒
男も女も自分が1番の人は駄目ですね、自分が一番かわいい人、否定されるのも変わることさえ拒否する人、世の中には色々な人がいます、結婚してはいけない人、子供を生んではいけない夫婦、自分の許容範囲で生きている分には余り取り乱すこともなく、判った様な事を言う人、ごめんなさいが言えない人、まだまだ沢山有りますが自分はどの分類に入るのか何時も考え、言葉を選び行動する様に心がけていますが、たまには子供の心を読みきれない時もあり、間違った言葉を選択してしまう事もあります。その時は自己責任で最後まで対応します。つくづく思う事は、わからない人はどこまでいっても判らないですね、子供を失ったとしても自己弁護するのでしょうね。期待しない、存在を忘れるくらいの気持でいないとこちらが疲れます。

云われる通りです 投稿者:なずな 投稿日:2008年 7月14日(月)09時06分51秒
1億光年の彼方さまの言われる通りだと思います。心、気持ちではわかったつもりではいるのですが、実行出来ていない部分がありこれからも努力しなくてはと思います。自分の出来る限りの努力を惜しまずにして、期待しない、空気,水の様な存在になれるよう頑張ります。後での後悔は役に立ちません。支援しなければならない家族もしっかりしなければならないと思いました。思うところ親になる資格のない父親の自分ですが現実的には立ち向かい努力し前進します後悔はたくさんありますが過去を考えるより未来に向けより良くなるよう生きて行こうと思います尊敬する1億光年の彼方様体調いかがですか。天候不順の時節ですのでお身体をご自愛ください。

一億光年の彼方様、なずな様 投稿者:SweetY 投稿日:2008年 7月14日(月)16時34分20秒
お二人の父親としての目線での書き込みは、とても有難いです。心、気持ちではわかったつもりではいるのですが、実行出来ていない部分がありこれからも努力しなくてはと思います。おそらく主人も同じ気持ちを持っていてくれるとは思いますが、なかなか行動が伴わない今の時点では、娘のほうが主人を偏見の眼で見だし、存在を拒否しています。元の家に戻ったのは娘の希望でしたが、ますます痩せが進み、病院も薬も嫌がり、いつ倒れるかとハラハラします。『顔を見るのもいやだ、咳払いが聴こえてもぞっとする』『何度も謝罪の手紙をもらっても、また同じことの繰り返し。もう諦めた。いっそのこといなくなって欲しい』でも、本心はまったく逆なんじゃないかと思うのです。『お父さんに愛されたい、自分を受け止めてほしい』と思っているんじゃないかと。一緒に住んでいてもまだ娘が本心をぶちまけるチャンスがないです。なんとか娘と主人の間が少しでも埋まるよう、”今日はこうだったよ、こうしてやって欲しいです”などとメールするしかない自分が情けなく思いますが、最近私まで落ち込んでしまっているのは、この暑さと更年期のせいにして、いつもの自分に戻らないといけないなーとも思いはじめました。

ありがとうございます。 投稿者:Keiko 投稿日:2008年 7月24日(木)23時01分45秒
Yukikoさん、そして皆様こんばんわ。ありがとうございます。私は元気に流れるまま生きています私は最近年をとったせいもあるかもしれませんが、喜怒哀楽が若い頃より激しくなくなりました。悲しいこともあるだろう、地を這うような苦しい日々もあるだろう、それが人生・・・・・。うれしい事に出会ったなら素直に喜ぼう・・・・。どなたかのおっしゃるように「死にたくなくても死ななければならないときも来る」それまでなるべく娘たちと良い思い出をたくさん作りたい。娘は、ようやく仕事が見つかり2年ぶりに働き出しました。2年はとても長かったです。でもこれで「治った」というのとは違う気がします。彼女の世界観は変わりません。痩せていてこそ自分を保てるという考えは変わりません。でも、私はそれで良いです。近眼の人がめがねをかければ日常生活を普通に送れるのと同じように、痩せることへの価値観が絶対であっても、なんとか社会の中にいることができて、なんとか自分を保てればそれで良いと思っています
太った痩せたという摂食障害と・・・12、3年、文字通り「がっぷり四つ」になって戦ってきました。泣いたり、言い合ったり、時にお皿を投げてけんかしたり・・・・・。一晩中泣いて寝なくても私は夫がいないのでどんな事があっても働かなくてはならず、朝になればボロボロで仕事に行きました。何食わぬ顔をして。今考えると、自分にやけを起こさず平静を装えたのは、それはそれで仕事というものに助けられた気がします。タカさんの所に行ったのは1年ほど前でした。「お母さんのせいではないよ。大丈夫。」と言われて泣きながら「つむぎ」のご飯を食べさせてもらいました。娘は、仕事は100社以上面接に行きました。1カ月で辞めたところもありました。本当に行ったその日、たった1日で行けなくなったところもありました。採用してくれると言うのに断ったところもありました。タカさんはいろいろアドバイスをくれました。親が見てどう考えても無理だと思う仕事は、はっきりそれは無理だと言って止めたほうが良い、行ってダメでもそれはそれで本人が経験し学ぶはずだ行きたいところに断られ落ち込んでいたら、やんわり「捨てる神あれば拾う神ありって言うからね・・。」とさらりと流せ、お母さんが一緒に落ち込んじゃだめ、落ち込んでもその落ち込みの時間がだんだん短くなってくるから、前のようにずっと落ち込みっぱなしじゃなくて周期がだんだん短くなるからがんばれ・・。社会のいろいろにモンクを言い過ぎる時は「そう、あんた真面目だからね、責任感が強いものね。」とほめろ、年齢には関係なく不安がっている時はしっかり抱きしめろ、そのうちに自分の方から離れていくよ・・・・。相談には乗っても結論を出すのは本人にさせる事・・・。本人が身体の具合が悪い時にする判断は正しくない事のほうが多い・・・・向こうが頑なな時、同じ土俵に乗っちゃダメ・・・思い出しただけでもまだまだいっぱいありました。特に私が娘の言動に振り回され「だって、あの子はあの時こうまで言ったのに今はこう言うのですよ。云々。。」という私の愚痴にタカさんは「その時はそう思ったの!」といいました。笑いました。本当に「その時はそう思ったの」と言うのは、タカさんの名言です。私は、あの子は「めがね」をかけて生きていけば良いと思っています。世界観まで変えるのは誰でも無理でしょう。それでいいです。ともあれ、やっと社会復帰できました。タカさんありがとうございました。たくさんの相談者を持っていらっしゃるのに、いつもいやな顔一つせず相談にのっていただきました。私は乳癌でした。手術と放射線治療を受けました。早くあの子に自立して欲しいあまり、心の自立より社会体制を整えたかったのです。今、認知症でもう食べることも出来なくなった母を、来週入院させるに当たって、バカな私も考えました。もし、私が再発したらそれはその時考えればよい。少なくとも今日は私は元気。子の年齢や他人の見る目ではなく、人にどう思われようと、あの子と心を通わせて「良い一日」を送ろうと思っています。別れたくなくたって別れる日はいつかくるのだから。また、あの子が挫折したらした時でよい、タカさんの言うようにそこからも本人は何かを学ぶはずと、信じています。子供たちの心に「笑っている」お母さんが残るように、穏やかに生きていきたいです。老若男女だれしも、認められ、許され、受け入れられ、親だけでなく社会から必要とされ生活をしたいと思っているはずです。子のわがままいっぱいの、時に許しがたい、産んだ親にここまで言うかという反逆、反抗、それに振り回され親もずたずたになり、そうまでしなくてもと思わない事もありません。でも、私たち親は人生の「先人」であり、子を産んだ張本人であり、この世で初めてあの子を抱いたあの時、あの子に何を望んだかに立ち返って子を愛してやりたいと思っています。あの子は人生にさみしいのです。でも、私の弱さでこの思いがいつまで続くやら、皆様の中で心してこれからも学び続けたいと思っています。愚痴は、聞きずらいものですね。でも言わずにいられない時は、これからこの掲示板の初めに「今日は愚痴です。」と断ります。皆様、ありがとうございました


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