タカの独り言過去ログNo.4


共有って
この病気は本人が治す病気です。回復してきていると本人が思うまで、親の手助けがどうしても必要となります。そのため「タカの独り言」にも書いてあるように、親の覚悟が大変重要になります。「親の覚悟」と一言で言っても当然人によって異なります。ただ、親が後悔しないような手助け、援助が必要ではないでしょうか。親の心の中に占める子どもへの重要度の割合、子どもから見た親の心の中に占める自分の重要度の割合。親と子の中で占める重要度の割合の解離幅が大きくなったときに、子どもは何らかの行動があり、なんらかの行為があり、なんらかの意思表示が出てくるのではないかと私は思っています。

そこを気がつかずに日常生活が進んでいくと、1人で行う日常生活に支障をきたし始め、種々の病気の1つがこの摂食障害ではないかと感じています。そこを親がキャッチし、そのことを共感し共有していくようになれば、必ず回復への扉は開かれるはずです。なぜ反抗し暴力をふるい暴言を吐くその行為が、短期間で終わる人と長期間続く人がいるのでしょうか? 短期間で終わった人は、思い出話を一緒にするようになったと聞くことが多いのはなぜでしょうか? これはあくまでも私の思いですが、反抗、暴力、暴言等の行為行動は、親と一緒にいても、自分の思いと親の思いとのずれが大きい場合の表現方法の1つではないかと思います。

思い出話は、1つの「共有・共感」の作業です。行動も一緒、または行動は別であっても共有するものが一緒であり、共感してくれる人も当然一緒ではと思います。その共感・共有するものの多くは頭の動作だけでなく身体の動作も、又身体の動作でだけでなく頭の動作も一緒に働かせることが「共感・共有」する体験をより強く心の中に感じ、しみこませていくのではないでしょうか。親が発する言葉の中で、人と比べた叱咤激励とか注意するという言葉、無意識に発している否定する言葉、感情が先に出てしまう怒りの言葉は、「共感、共有」する事柄を排除した言葉ではないでしょうか。

1つの事柄、一緒に行こうとする旅行。立案から行程表、旅館・ホテル等々の一連の流れの中にどの位の量の共有するもの、共感するものがあるのだろうか。摂食障害本人の多くは精神年齢が退行していますが、健康的な部分もたくさんあります。親も子供と「共感・共有」するためにちょっと脇に置いておかなければならないものも出てくると思います。子どもの方も「共有」することに不具合が生じる時もあるかもしれません。子どもの心の中で共感し共有してもらっているという実感が伴ってくることが、本人の回復への動きとなってくるのでは思います。

導き方
本人が治したいと思える導き方。いかにして本人が治したいという気持ちを出せるようにするか。本人が自分で気がつくまで待つのだけども、いかにして本人に気がつかせるようにするか、本人に気がつきやすくしてあげるか、ということをどのようにしていったらいいのか。気がつきやすいようにするにためには、いつも同じ環境に置いておくとそれは変化がないから難しくなります。同じ環境の中だけでそういう心の変化を求めるのには長い時間が必要となるでしょう。
できることなら、早いうちに気持ちの切り換えができるように、環境を変化させていくことが必要だと思います。しかし、本人がその環境の変化を自らは望んでいません。なぜなら環境の変化というのは必ず不安を伴うからです。

環境の変化とはいつも同じところ、例えば家にだけいたらそれは難しい。家と病院だけとか、なかには医療者とも距離をおいてしまうと、家にいるだけとなってしまいます。いつも同じ環境では子どもがそういう気持ちになりづらいでしょう。家庭と学校だけとか、家庭と仕事場だけとか、学校の中でも、仕事場でも、もちろん家の中でもストレスがたまります。お母さん方は「私は何も言わないようにしています」と言いますが、無言の圧力を感じさせることも多いでしょう。違う環境を作り、そういうところから解放してあげなければならない、解放してあげるということは一緒に何かをしてあげていると解放されている感じが得られるでしょう。なぜなら、そのことに集中するから、それをやっているわけだから。そういう場面をたくさん作ってあげること。だから親が一緒にいろんな場面を作ってあげることが必要になってきます。

その場面の作り方の一つに、例えば「お母さんがちょっと心細くて不安だから一緒に行ってくれる?」と、普通の子と同じように接する。病人として接するのではなくて、その子の健康な部分をちょっとお母さんに寄り添って・・というような捉え方。「お母さんが不安だから一緒に行って」と行くわけだから「助かったよ、ほっとした、ありがとう」と、二人で共有する場面を作る。お母さん方は違う場面を作ることを怖がっていることも多いようです。

怖がる必要はありません。お母さんが怖がると子どもも怖がります。そういうことを繰り返していくと子どもが慣れてきます。それと同時に、今度は子どもが不安な時にお母さんに頼みやすくなります。お母さんが頼むのだから自分もお母さんに頼むという、相互の安心感ができ母娘間のコミュニケーションができてくる、そうしていくとお母さんと信頼関係ができてくる。導くということは一緒に歩いてあげるということですが、一緒に歩くということは子どもの歩調に合わせるという言い方になります。しかし、ちょっと違う一緒の歩き方があります。一緒に歩くのでなく一緒に歩いてもらうというような使い方です。常に状況状況において変化がでるし、いつも一定ではありません。導き方にもいろいろあって、その状況状況によって親の持っている経験を引出しから出してきて、そのつどあてはめていくということが大事。子どもが自分の行きたいという所が出てくる、行けるようになるまでには時間がかかります。。

ところがお母さん方は、本人だけをそこに出そうとします。一人でやること事態に強い不安があるわけですから、常にお母さんが一緒にやってあげなければその不安は取り除けません。それが導くということでは・・。私の前を歩かないで、ついていけないから、後ろを歩かないで、私がわからなくなるから、横を歩いて・・と。その導き方の一つとして、寄り添っていくということではないだろうか、寄り添っていくということは、隣を歩くということなのですが、子どもの方が拒否する場合が多い。そこをいかに拒否されないように一緒に歩くか。これは実際に一緒に出歩く。一緒に歩くということは同じ環境の所に一緒に出かけるということです。お母さんから付き合ってというのが大事なことで学校社会、家庭社会、単一の社会だけでなくて違う社会を見させることが必要。その違う社会にいかに順応させるか。順応させることによって回復が早くなってくる。その時に一緒に寄り添ってあげるのですが、その寄り添い方として、その子の中心にお母さんが入っていること。それはお母さんが子どもに寄り添うのではなくて、子どもをお母さんに寄り添わせるということ。寄り添わせると子どもは安心します。

安心することによって徐々に子どもが離れていきます。公園デビューを思い出してください。公園デビューするときに母親がそばにいないと子どもが出てこないです。最初は手を握って離さない、見えるところから離れない。砂場に行って最初は一緒にしゃがんで砂遊びをする、他の子がいたりするとなかなかできないことも、お母さんと一緒にやることで、だんだんと一人で砂場で遊ぶ、そういう場面を作ってあげる、親が作ってあげなければいけない。それが違う環境を作るということ、違う環境に入った時その子は不安な状態になるわけだから、そういう場面を親が何回も作る、それによって子どもは安心感を得るし信頼関係も出てくる、それは心の変化をおこしやすいでしょう。

ところが親は『子どもの行きたい所についていく』と思っている。これはある程度伸びてきたらそうなのですが、そうなるまでの間は、親が出ていきやすい状況を作ってあげる。そうすると『出ていきたい』とか自分の変化を求め始める。そういった時は親が離れるのではなくて、親が子どもに寄り添っていくことが大事だと思います。最初は親が公園へ行こうかと言って一緒に行く、そのうち子どもから「行こうよ」と言ってくる、そうしたら親は一緒についていって見ていてあげる。それが公園から友達の家に行ったり・・と、それが環境の変化です。外に出ていけるようになるまで子どもを寄り添わせる、それには信頼関係が出来上がってないと、親近感がないと、出来ないことです。寄り添う、一緒に歩く、受け入れるとかをひっくるめて、本人が治したいと思えることが導くということではないだろうか・・と私は思う。


太りたくない
太ることが怖い、痩せたいと言っているのはなぜ?食べるときはいろいろなことが忘れることができるひと時、それはなぜ?“痩せたい”というのは自分を変えたいという表れ。自分のことが好きではない、今の自分が嫌い“いやな自分”がいるから変わりたい。自分が嫌いだから、自分が自分であるためには変わらなければいけない。しかし、痩せてみても変われない自分が実際にいる今の自分を認めなければならない。しかし自分のことが嫌いなのに、みんなには自分のことを好きになってもらいたいと100を求めている。そこに0100のギャップがある。太るということは回復に結びついてきてしまうという思いがあるのではないかと。

“太ること”イコール“元気になる”元気になってくると親から離れなければいけないとか、見捨てられてしまうのではないかという思いもあるでしょう。また、未来への恐怖、治った先がどうなるのか見えないことへの恐怖と不安もあるのでは・・。ということから“太りなくない太ることが怖い”というふうに感じられます。“太ること”イコール“醜い“という思いももちろんあるし、いろんなものの要素があるのではと思います。“何で食べ吐きをするのか”というのは、自分の中の居場所、やっているその時だけは安心できる、何で安心できるのか、そこだけは誰も入ってこれない自分だけの領域、自分の居場所、安心できる場所だから。

生きているという実感を得られる唯一“時”であり“場所”(それは無意識)であるのではないか。食事を誰もいないところで一人でとる方が多いのはそのためではないでしょうか。食べているときは苦しくない、そのあとが苦しくなる。こんなことをしていまっているという自分がいる。なぜなら自分の唯一の居場所から出てしまうから、自責の気持ちが強くなる。リスカも同じような感覚があるのではないかと思う。その安心感が違う場所に得られるようになってくれば過食嘔吐も少なくなってくるではないか。居場所を親は与えているつもりだが、本来その安心できる場所というのは、自分で見つけなければならないのだが、自分で見つけられないからいろいろな問題行動として出てくる。自分で見つけると同時に親が与えていくという形をとっていきながら、お互いに歩み寄っていくことが信頼関係を結んでいくことになる。今、それを新たに作り始めているのではないかと私は思っています。


私の思う回復
治療者は治療者の思っている回復、親は親の思っている回復、本人は本人の思っている回復、皆それぞれだと思っています。ゆえに、治るのも完治するのも、ゴールするのも、捉え方は皆それぞれだと思います。ですので、答えはないのです。もし本人が病状の1つとして食べ吐きがあったとしても、自分がこの食べ吐きと一生つきあっていくんだという思いがあるならば、それはその人の回復です。その食べ吐きを治さなければと思う人ならば、それはまだ回復の途中でしょう。私が思うのは、自分が思う普段通りの生活を毎日毎日繰り返し行えるならばそれは回復ではないかと思っています。それが母親の思いと治療者の思いと違っているかもしれない。しかし、本人がそう思っている回復ならば、それでその人は治ったと感じられるでしょう。

完治というのは、みんなから認められる「治ったね」という言い方。それを自分の中で、他の人達一緒に感じられることがゴール、自分をほめてあげたいと思うならばその時点がゴールだと思う。要は拍手喝采を得られる部分だと思う。しかし拍手喝采を得られなくても自分の中で回復したという満足感を得られたのならばそこがその人のゴールでしょう。だから人それぞれによって違う答えであっていいのです。治していくのは本人です。回復したかどうかは自分で判断してほしいと思っています。必ず回復、そして治る病気です。そのためにも多くの人たちの手助けを得ながら、自分の思うとおりの回復に向かっていただきたいと思います


視点の違い
過食の人たちは食物のこだわりが大変です。なぜそこまでと思うのですが、本人達にしてみれば食べようと思ったこだわりの食物が無かった、飲もうと思っていたこだわりの飲料が無かったら見つかるまで探し歩きます。代わりの食物代わりの飲料ではだめなのです。それがこだわりです。納得できないのです。あの食物あの飲料・・・がなくてはならないのです。それがもし無かったら・・見つからなかった時、発狂しそうな位なる・・・必死で探して探して・・本人達もなぜなのかわからない。でもそうなっている自分がいるのです。そんな姿を健常者は理解することができるでしょうか?

でも本人は真剣です。その食物、飲料がいくつかのコンビニを回ってやっと見つけたとしたら、1つ2つだけでなく、そこにある大部分をその子は買ってしまうかもしれません。あるいは、こだわりの食品が無かったとしても、代替品を買うことなく我慢して帰ってくるかもしれません。

お母さんだったら我が子にどう対応しますか? この時のこの子たちの気持ちは・・心の中はどうでしょう? その子たちの状態から子どもの気持ちを察してください。例えば、バイトや学校などに行っている子が「辛い」とか「苦しい」「もう無理」とか言ってきた時、お母さんは何と言ってあげますか?
「無理しないで休んだほうがいいよ」「それだけ辛かったら辞めたほうが・・そんなに頑張らなくてもいいのよ」よく言う言葉です。でも本人また次の日も行きます。
なぜ「辛い」「苦しい」という言葉が出てくるのでしょうか? ストレスというのは、徐々に蓄積されてくるものです。その蓄積されているものが心の中でいっぱいいっぱいになってくると、そういう言葉となって表現してきます。

いくら「休んでいいのよ」と言っても本人は納得できません。なぜなら、本人がまず認めてほしい部分、自分がやってきたことを認めてもらってないから、見てもらってないから。根柢にある本人のストレスをいかに理解してあげられるか・・辛いのに今まで行けている部分、やってきた部分を見てあげる、評価してあげる。認めてほめる。そうすることによってコミュニケーョンがとれ、話の幅がひろがってく。苦しい中辛い中、その子はその子なりの工夫でここまでやってきたことを認めて誉めてあげることが大事ではないでしょうか・・「そんなに苦しい中よくここまでやってこれたねー。すごいねー。どうやって今までその辛いことを乗り切ってきたの?」とか。

本人は、「そんなのわかんないよ!」なんて言いながら1日の流れの話とか、たとえば「・・・・の状態が自分は辛いんだよ」とか、「上の人に強く言われて・・・」という話がでてきたり・・・。「ああそうなんだ。そういうのって辛いよね、辛いのに行けているんだね、すごいね」とかいう話になったり・・・
それはお子さんにとっては自分が辛い。でも行っている自分がいる・・という行為行動を、お母さんはわかってくれている、辛くても行けてる自分をお母さんは・・・と。親はついつい、その子が辛い中やってきたことよりも、心配なあまり、「こういうふうしたほうがいいよ」「あれはこうしたほうがいいよ」と表面のことを言うことが多いでしょう。


どうするかはそれは本人が考えること。それが生活する技能の1つでは? 自分の中でいかに楽に生活していこうかという捉えかた方ができてこないと、そういうものの難しさを解決しづらくなるのではと思います


女が死亡 千葉北署
千葉県警千葉北署は23日、同署留置場に拘置中の千葉市美浜区の無職の女(28)が死亡したと発表した。摂食障害による栄養失調が死因とみられる。同署によると、看守が23日午前7時ごろ、留置室で1人で横になっていた女に声をかけたが反応がなく、意識不明の状態で病院に搬送、死亡が確認された。女は今月4日、窃盗容疑で逮捕、拘置されていた。摂食障害や鬱病(うつびょう)の持病があり、身長約158センチ、体重27キロと極度の低体重だった。留置場で出された食事もほとんど手をつけなかったという。22日には同県袖ケ浦市内の診療機関で診察を受けていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この女性は、袖ケ浦の方の病院に入院中で外出許可を取り、外出中に、木更津のスーパーで15点、4000円の万引きをしました。
本来なら、事件を起こした木更津の警察に拘留なのですが、女性の拘留施設は千葉北署ということで千葉に拘留された。捕まった時点で30キロ。亡くなった時は2 7キロ。18日間で3キロ落ちている。亡くなる前日22日に入院先である袖ケ浦の病院に連れて行き点滴を受けた。治療者は拘留に耐えられるという診断をしたため拘留が続いた。食事はほとんど食べていなかった。食べているようなふりはしているが食べていなかった。出された食事は、ぐちゃぐちゃに混ぜた状態になっており、食べたというような感じで残してあった。看主が食べたの? と聞くとパニック状態になることもあった。

中でもどしたあともあった。短時間で体重がおちているということは、低体重の場合、非常に危険ということは治療者であるならばわかっていると思うが・・・その状態において拘留に耐えられるかどうかということ、なおかつ病院に入院していたという状態であるならば、拘留に耐えられるという治療者の判断に疑問が残らざるを得ない。親御さんも困っていたかもしれない。もう長いことやっていて親の方も疲弊している状態だったのかもしれない。あるいは、親が諦めている状態になっていたなら。勝手にやっているんだからと・・摂食障害の場合万引きがある程度関わっている状態にあります。この病気をもつご家族の方は、子どもの万引きを経験されたかたは多いと思います。反社会的行為なので、それなりのペナルティはあると思いますが、万引きが摂食障害の病状の1つであるということ死に直結する病気であること。

どうにかならなかったのだろうか・・
命を無くさないような、何らかの手立てがなかったのだろうか。
今後そのようなことがあった場合どういう対応をしていったらいいのだろうか・・
どこに助けを求めたらいいのだろうか・・

精神保健センターも「どうしたらいいんでしょうね」というお話でした。たった1人拘置所の中で亡くなった彼女の心を考えると、あまりに可哀想すぎて言葉にならない



摂食障害フェスティバルに参加して
摂食障害フェスティバルに参加して思うこと。
去年(H19年11月25日)大阪で開催された第7回摂食障害フェスティバルに今回も行ってきました毎年、会場には多くの方々が真剣に、そして熱心に参加されており、強い熱気を感じます。
ご家族をはじめ本人、自助グループ活動をしている方、いろいろな形で摂食障害に関わっている方々が参加されていました。当日はテレビカメラも入っており放映されました。この病気は、それぞれ段階があり、その段階がわかっていないと捉え方も違ってきます。

回復してきている方の「自分はこうやって、こういうきっかけで回復してきた」それは、あくまでもその人の努力と回復の物語であるというふうに本人もご家族も捉えることができればいいなと思います。親が理解している、していないで捉えかたにかなりの差がでてくるので、やはり親が病気を理解することがとても必要なことと感じます。それぞれの段階があること。段階をわからず、より上のことを望んでしまいがちな親。その段階にはその段階の対応があり、それを1歩1歩一緒に少しずつ上げてくことがとても大事なことと思います。

親は回復してきた本人の話をとても聞きたがります。「何でそう思ってしまうの?」「どう思っていたの?」「どうやって良くなってきたの?」実際のところ回復してきた子たちは、はっきりとこうしてきたという確実なものはなく、気がついたらこうだったが本当のところのようです。どこに行ったらいいのか、どうしたらいいのかわからないお母さんが、会場のあちらこちらで治療者に必死で訴えている姿を見て、まだまだこうやって自分だけで苦しんでいる家族が多いこと、そしてすぐにでも良くなるような答えを求める人が多いということを実感しました。

「お母さん、本当に残念だけどこれに答えはないんですよ。自分で見つけるしかないんです。残念だけど。わからなければ、こういうような家族会を探して参加してみてください。1回来てわからなければ2回、3回・・10回・・繰り返し繰り返し続けていくうちに、何となくこうかなと思うんだよね」と大河原先生がおっしゃっていました。
本当にその通りだと思います。香山先生は、「生きていることも努力なんです。生きていること。生きていてほしい、とにかく生きのびていてほしい」重く切実な言葉です。毎回フェスティバルに参加するたびに、自分たちが通ってきた道を振り返ることができる。そこには新しい発見があること、改めて考えさせられることがあり、とても勉強になるとともに新たに親としての覚悟、前向きな気持ち、心構えができる。自分にとってはそういう場所です。

そして、いろいろなつながりを持つことができること、専門家の話を聞けること、知り合いができること、いろいろなメリットがたくさんあることを実感しつつフェスティバルは終わりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7病院断り、16歳少女死亡=拒食症で治療拒否ー大阪 

大阪市で200611月、救急搬送を要請された16歳の少女が7病院に受け入れを断られた後、搬送先の病院で死亡していたことが19日、分かった。市は搬送遅れと死亡との因果関係は不明としている市消防局によると、061130日午後1020分ごろ、少女の母親から「娘が食事をせず、起きてこない」と119番があった。間もなく救急隊が到着搬送先を探したが、7病院に断られ、8病院目となる守口市の病院に搬送した。救急隊が少女の自宅に到着してから搬送先の病院に到着するまで57分かかった。搬送先の病院によると、少女は拒食症で、到着時にはショック状態で意識が無かった。約1時間後に心肺停止状態となり、翌朝心不全で死亡した。それまでも複数の病院で受診していたが、治療を拒んでいたという

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


16歳の少女が拒食症で、7病院に受け入れを断られ死亡というニュースを見て何でそこまでになってしまったのか、親はどうしていたのか、何かしらの支援が親になかったのか・・とても複雑で切ない思いでいっぱいになってしまいました。摂食障害という病気は、死亡率が高く命にかかわる病気だということを、まだまだ理解していない親が多いと感じます。我が子が何か問題を起こした時それは自分の家庭、家族を振り返るいいチャンスなのだと思います。そう思えるか思えないかで、その家族が進んでいく方向がどうなるか・・家庭の中から発生した問題と、病気のせいで発生した問題とは一緒ではありません。別々に考えてください家庭の中で起きている問題を病気のせいにしないでほしいのです。
お父さんとお母さんは話をしていますか? お父さんとお子さんは話をしていますか? 
お母さんは、自分の思いをお子さんに押し付けていませんか? お子さんの笑顔はありますか?
家族の中で1番大事なものはなんでしょうか? 私は、『絆』だと思います。



心配しているよ
「辛い」「苦しい」と子どもに訴えら何と答えたらいいのか・・・子どもが学校から帰ってきた「しんどい、だるい、辛い」と言って自分の部屋に入ってしまった・・・食事も取らず(または過食嘔吐で)低体重、低栄養、肥満恐怖はわかるけどどうしたらいいの・・・子どもは「辛い、苦しい、しんどい、だるい、死にたい」と訴えてくる・・親は、子どもの苦しみを取り除いてあげようとりきみすぎているのではないでしょうか。

子どもは「お母さんは、私のことをわかってくれない!」と言います。「辛い、苦しい・・」わかるよ、わかるけど(ここは共感)その苦しみがどの位大きく深いのか、どの位の幅なのかはお母さんにはわからないんだ・・でもあなたが“苦しい”ということはわかるよ。食べるのも怖いよね、どうしたらいいかお母さんも考えているんだけどわからないんだ・・だから一緒に考えようか・・というような姿勢がその子の心に寄り添ってあげるということ・・ではないかと思う。

どの親も我が子を心配します。心配だから子どもに言います。「どうして・・なの」「こうしたらいいのに、ああしたらいいのに」これは命令に近くないでしょうか・・例えば、子どもが夜遅く帰ってきた時「なんでこんなに遅いのよ! なにやってたのよ! どうして電話位できないのよ!」とよく皆さん言うと思います。それは心配しているから出てくる言葉です。そういう行動に対しての不満とか怒りとか、非難の感情が先になった言葉がでてきます。それはどうしても命令口調、責めるような感じになってしまいます

その行動を非難するのではなく“あなたのことを心配している”という伝え方が大事だと思います。まずはその非難する言葉を飲み込んで「遅かったから心配したよ」という気持ちを相手に伝えることが大事ではないかと・・・(しかし、親も感情的になってしまうのでクールダウンが必要)「どうして・・なの」「こうしたらいいのに、ああしたらいいのに」という言葉は呑み込んで、心配しているという気持ちを伝えましょう。それにはコミュニケーションが大事だと思います。コミュニケーションの形はいろいろあります。その中からコミュニケーションの技術を磨き、スキルを高め自分の形を見つけましょう。


イベントパニック
家庭の中では、毎日の日常生活の中で様々な問題が起きてきます。しかし、この病気を理解することによって当事者に対する見かた、捉えかたが変わり何でそうなの? なんで?・・がだんだんと分かるようになってきます。例えば今頃の時期ですと兄弟姉妹の入試、卒業式、入学式というイベント。時には、身内の冠婚葬祭等々。親は当事者以外のために出かけなければならない事が増えます。出かける日が決まるころから、当事者はイライラが強くなり、出かける時間がいよいよ近づいてくるとパニックを起こします。なぜ当事者がパニックをおこしているのか、当事者はどう思っているのか考えてみましょう。

はたからみればわざとしているように見えたりもしますが、当事者は意識的にパニックになっているわけではありません。「なぜ?」「どうして?」「どうしたの?」の質問に当事者からの答えはありません。最初は小さなパニックでも、親の対応によって大きくなってしまう場合も多いです。親はなぜそうなっているのか、子どもの心を察してあげてください。もしこの子が20歳の子だったら・・・? でも精神年齢が下がっていて小さい子どもの心だったら? 対応方法、対処方法は各家庭によって違います。それぞれの家庭の中で見つけていかなければいけません。答えは1つではありません。出かけることもあり出かけないこともあり、一緒に連れていくこともあり・・・等など。こういう経験を、親も子もしていくことによって、何かが変わってくるのではと思います。

回復、成長した我が家の娘のそのころの様子、娘の心が思い出され切なくもあります。また、今その状態のご家族の心も大変だろうなと思います。


でも・・・
「〜をしたい」と本人が言います。例えば、運転免許をとりたい。アルバイトにいきたい。何々の資格を取りに行きたい等々いろいろあると思います。
親は今の我が子を見て“えっ・・”“まだ無理だろう”とか思って口にしてしまう言葉。 「でも・・・」「でも、身体が・・」「でも、薬飲んでるから・・」「でも・・云々」この言葉は呑み込みましょう。この言葉は、本人の「〜したい」という気持ちを最初から否定しているのと同じです。「でも〜」は親の考え、親の思いです。否定されたと感じた子どもは・・・・。それが積み重なっていくと子どもは話をしなくなります。

親は最初に、今の子どもの状態がどうであれ、そういう気持ちを持ったこと、そのような気持があるという子どもの心を認めて褒めることがとても大事なことだと私は思います。そこから話題を広めていくことで会話を進めていくことができます。「でも〜」がはいると会話はそこで終わってしまうことが多く、そして違う場面に・・・「〜したい」という言葉に「どうしてそう思ったの?」とか「必要だよね」・・とか相手の気持ちを理解するために、親子で会話をつづける。答えは1つではありません。

まだこの状態では自分は無理かなとか、今の自分が行動できるかどうかを本人が自分で考え自分で気がつけるようになることが大切。例えば、実際に何かを始める場合、本人が「〜をしたい」と言う。それは自分がやるということを、自分で実感するためにもそのことに関してどうすればいいのか、どういう手続きがあるのか、お金はどのくらいかかるか等々を調べ本人が自分で、行動していくことがとても大事なことだと思う。

「〜したい」・・・に対して<それゆけ〜>と親がやってあげるのではなく、それを本人ができるようにサポートをしていく。それが本人の達成感とか充実感とか自信とかにつながっていくのだと思う。本人が「わからない」と言ってきたら。親はいろいろな方法の選択肢を出してあげたり、一緒に考えてあげたり。でも、行動を起こすのはあくまでも本人、親ではありません。結果、もし出来なかった時、その時にかける言葉を複数用意しておいた方が得策だと思います。
「私はダメな人間なんだ」と思う子どもが多いから・・。
「ずいぶん前に進んできたよね」「まだきっと時期ではなかったんだよ」「でもよくここまで気持ちがきたね、もう少しだよ」言葉は他にもたくさんあると思います


壮絶な闘いから・・
摂食障害は親子(母子)の壮絶な闘いの中から、回復への道すじがあることを知って頂きたいと思います。ダイエットは摂食障害になる一つのきっかけ、引き金にすぎずそれが原因ではないと感じるのは私だけでしょうか? 家族機能不全・学校機能不全のため、先生と生徒、友人達との間とそして親子の間でのコミュニケーションがとれなくなり、心がオーバーヒートを起こしコントロールができずパニック状態となり、心の居場所として摂食障害という病気(看板)を掲げたのではと思います。

治療者にかからなければ、そのような病名をもらうこともなく、何だかわからない状態で闘っている方もたくさんいます。摂食障害の子をどうしますか? 放っておきますか? 他人に委ねますか? 治療者だけに預けますか? 親であるあなたが助けなくて誰がその子を助けるのですか? 初期の段階では、わがまま、怠けている、ずるをしている、自分で好きにやっているんだからと思われてしまいがちです。そこでは親の思考が大きく左右し、親はなんとか子どもを一般社会の体制に組み入れようと必死になります。そして、病気を理解しない親と、病気になった本人が長期にわたり親子間の壮絶な闘いを続け、お互いが疲弊し行き詰まり、家族の間が今まで以上に冷えきっていき回復の道が遠ざかっていってしまいます。

心の病は完全ではありませんが、薬である程度感情を抑えることができます。親はこの病気を理解し子どもの不安を察し、行動していく中であらたな信頼関係が生まれ、お互いが理解し助けあいながら日常の生活を送れることが回復していくものだと思っています。小学生は小学生なりのストレスがあり、中学生には中学生なりのストレスがあり、年齢を重ねるごとにストレスの幅がひろがり深さも大きくなります。そのことを親が理解し子どもをサポートしていくことが子育てではないでしょうか。

親は子供時代を経験して通ってきました。しかし、親という道は始めて通る道です。親は子どもと一緒に歩み成長していくのでしょう。<子どもの幸せ>を、親は強く願っていますが親の思っている幸せと、子どもの思っている幸せとは違います。親はよく言います。子どもとはたくさん話をしていると。親の思いが子どもの思いと錯覚していませんか? 親の思いを子どもに押し付けていませんか? 子どもが自分から話をしてきますか? 
親が話を聞き出そうとしていませんか?


自分の経験でいえば、親には6割も話せばいいほうでした。自分の都合の悪いことは話しません。嘘をついた時ほどたくさん話をしました。その中で親は、わが子の性格とか資質とかを理解し、変化を見つけ色々なことをしてくれていたと思います。

知識と教養の違い
お客さんと雑談の中から思うこと。
教養と知識の違いは? 知識とは学問、教養というのは日常の生活の中で学んでいくもの、学んできたもの。自分が楽に生きられるものが教養であり、その教養をどう使っていくかが能力ではないだろうか。
そしてその能力とは1つだけではなくたくさんの能力があります。教養が出てくると、人は挫折感を味わう。挫折感は人によって深度が異なり、深い人もいれば浅く終わる人もいる。挫折感を味わうことによって、人は考えること考えなければならないことが出てくる。人は生きていくことによって当然困難なことにぶつかる。

その困難を人は“ストレス”という。そのストレスをいかにして解決しいくかを人は考える。年齢が小さければ、小さいながら自分で考える。そして、それを親に相談することでどうしていくかを自分でまた考える。ところが親は、子どもが考えて子どもなりの答えを出す前に、親が先に答えを出して解決してしまうことが多いように思う。子どもが生きてい行くための方向、方針さえも親が選択し答えを出してしまう。それは親の答えであり、子どもの答えではなくなる。困難なことにぶつかるたびに、親が答えを出してあげていれば子どもはそのたびに、自分で考えるという行為を親に委ねてしまう。あるいは、自分の考えを言えずに親の意向に沿うような答えを出し、自分を我慢させてしまう。

そのような子どもたちはいろいろな不安材料が表面化してくる場合が多い。子どもがわからなければ親は答えを出す前に一緒に考えてあげる。そしていろいろな選択肢を出してあげ、子どもに決めさせる。だからコミュニケーションというものが必要であり、大事なものだと強く感じます。困難なことにぶつからないと考える必要がないので自分で考えるという力が育ちにくい。そのために困難なことにぶつかった時、知識で解消しようとするが知識は学問なので解決することは難しい。日常に起る困難は教養が解決するのです。その教養が育っていないと、自ら命を絶ってしまったり自分の殻の中に閉じこもってしまったりする・・・

反抗期というのは自己主張の場です。自己主張があるということは、自分の考えをまとめる力があるのです。だから反抗できるのです。反抗期のなかった子は自己主張ができない。ということは、考えをまとめる力がないので相手に考えを委ねてしまう。
言えない自分がいるという事になにかしらの問題があるのではないか。人間は本当のことや、本心を突かれると怒る。それが問題行動などの事件になってしまったりすることがある。社会に出ることによって必ず人がいる。先生、友人、同僚その中で修正しながら成長していくのだが、修正がかけられない子たちがいろいろな問題行動をおこしてしまうのではないだろうか・・ではどうしたらいいか・・・ 

自分をみがくこと、親も子も。自分をみがくとは・・・いろいろなことを経験するということ。そしてその中から自分が感じ取り考えること。経験をするということはいろいろなことを考えなければ経験はできないことであり、そのことを自分が受け入れて自分で行動することだと思う。そのような行動ができない子を受け入れるということは、親はその子を認めないと受け入れることができない。認めることができて初めて受け入れることができる。認めるという事は? 今の状態のその子を自分の中に取り込むこと。取り込むという事は今のこの状態が自分の子どもだということを。自分の子がそういう子であるはずがない・・と否定する気持ではなく、今の状態の我が子を認めるということ。その子の今現在の状態が自分の子どもなのかどうか。考えて認める。考えて決断して受け入れる。これが受け入れるという行為ではないかと私は思う。

受け入れたあとどうするか。行動であらわすのか、このままにしておくのか・・? 摂食障害は知識で治すのではなく教養で治していくものではないかと思う。病状の改善は知識を持っている専門家・治療者にお願いし、日常生活の中での問題の改善は家族がしていくものだと私は思います。

コミュニケーションを大切に

摂食障害が本人と家族のコミュニケーションを邪魔しています。コミュニケーションで何より大切なことは「相手を思いやる気持ち」「相手を思いやる気持ち」がうまく伝わるかどうかは、コミュニケーションの技術によるところが大きいです。「何を」伝えるかより「どう」伝えるか・・・「ほめる」「いいところを探す」最初はなかなか見出せないが探しているうちに見えるようになってきます。「あなたメッセージ」より「私メッセージ」相手を決めつけるのではなく「私は・・と思う」

親の役割と家族会の役割
親の捉えかた、対応の仕方等々、親がこの病気をしっかりと理解していかないと、本人は勿論親もトンネルから抜け出すことができません。治療者の出来る部分は、摂食障害という病気の症状的な部分の回復であり、ほかの部分、病気が邪魔をする日常生活は家族が抱えていくのです。治療者と本人が医療行為として関わる時間は多くて1週間に1度、長い人は6週間に1度時間にしてせいぜい1時間その他の時間は、家族がずっと本人と接してそして対応していかなければなりません。

この病気を回復させていくために、親は腹を据えて親としてわが子を助ける、守っていくという覚悟をきめて子どもと接していくことが必要だと思います。
覚悟して母(親)の偉大な力を発揮してください。今、目の前にいる子どもの状況、状態が、今の我が子です。それをまず認めること。ここからが本当のスタートラインです。それが子供と共に歩み始めることだと思います。その母親が苦しい時、辛くなった時、どうしていいかわからなくなった時、母親としての力がくじけそうになった時、家族会に来てください。家族会はそういうことの集合体です。親が心の整理をつけられる場所、参考と情報を得られる場所が家族会ではないかと実感しています。

親の心配
お子さんの何に困っていますか? お子さんの何が心配ですか? 色々な家族があります。お子さんの発病の仕方もそれぞれ違います。家族を自分の思うとおりに振り回す子どもに親は混乱し、疲れ果てどうしたらいいかわかりません。でも変わらないものがあります。それは子どもを思う親の愛です。
今、この子を守って手助けできるのは、私達、親しかできないのです。覚悟して、本当に覚悟して子どもと向き合ってください。その中で一番心配で気をつけることは身体的状況、危機的状況の低体重です。
30kg前後ならば、どんなことをしてでも治療者、病院に連れて行ってください。どんなに説明をしても本人達は病院に行きたがりません。どうしましょう。あなたが親なのだから自信を持って声をかけてください。あなたは大事な大事な私の子ども。生きていてほしい。心からメッセージを送り続けましょう。お願いしてお願いして病院に行くようにしてもいいではないですか。あなたが泣いて頼んでもいいじゃないですか。病院に行くことを本人に納得させてください。子どもが消えて亡くなることを思ったら・・


親の対応と理解
10人いれば10人の違いがあり疑問があり、親の苦しみがあり・・で、大変ご苦労だと思います。家族会を続けていく中で、徐々に皆さんが「なんでそうなの? どうして? どうしたらいいの?」という疑問が「ああそうなのか・・なるほど・・そういえばそうだ・・」等々理解することができたり、自分のところより先を進んでいる家族のお話の中からいろいろな対応の仕方を参考にしたり、また日頃のうっぷんをぶちまけて、晴らしてから自分のことを待っている子どもの元へ帰っていきます

親は、いろいろな本を読んだり聞いたりする事で、摂食障害という病気を頭の中では理解しわかっているつもりでいます。しかし、日々の日常生活の中で、実際に自分の目の前で我が子が「死にたい」と言う言葉を連発し、「苦しい」と言い、リストカットをし、荒れて暴言をはき、責任転嫁をし次から次へと原因を持ち出して親を翻弄させる子どもに、親としてどう対応していくかどのような行動をとっていいのかは、経験をして乗り越えてきた家族でないとわからないことが多いと思いますこの病気は、本人が自分で気づき自分で治していくものだと理解しています。本人が気づくまで、気づけるようにしていくサポートが大切なのではないでしょうか。そのためにも、親はわからなけらばならないこと、わかってあげなければいけないことがたくさんあります。

どんなに何をしてあげたとしても本人がしてくれたと感じなければ、してもらったとは思いません。自分のことだけです。現実を見ません、というより見ることができないのかもしれません。さっきはこう言っていたのにとか、昨日はわかったようなことを言っていたのに・・・30分たったら、1晩たったらまったく違うことを言ったりする・・そういうことが多いということを理解しておくと、親はその言動にひきずられて一喜一憂することもなくなります。摂食障害の子どもは、お母さんを対象としますのでお母さんを大変困らせます。他人様の前では、暴言もはかない物分かりの良いとても良い子をしています。それは、子どもがお母さんを信頼しているから、言っても大丈夫という思いがあるからこそ発せられる言動だと思います。受け止めてもらっているという感覚が出てきているからだと。これは1歩前に進んでいることではないでしょうか。

入院に関して言えば、回復してきている家族の方はよくお分かりだと思いますが、入院中はとても回復しているように見えているので、親としては治ってきたと思いますが、退院したその日からあるいは翌日からまた入院前の状態に戻ります。まぁこれを何回も繰り返していくうちに、少しずつ、少しずつ年単位で変わっていくものです。親も周りの人もよく「無理をしないで」と本人に言います・・が、本人はその「無理」がわかりません。なぜなら、ずっと無理をしてきた結果が今だから「無理」が自分にとって当たり前のことなのでわからないようです。「“手をぬいてごらん”って言ってくれたほうがわかるよ」と回復途中の子の言葉です。親は子どもに何をしてやれるか、いかにして現実を見ることができるようにしていくか「自分なんだよ」ということをどうわからせていくか日々の生活の中で繰り返し繰り返し続けていく。だから時間がかかります。小さなことの積み重ねです。

本人は治療者に自分のことをどう話しているかは実際のところわかりません。ゆえに、親から見た家での子どもの様子を治療者に話し、また治療者も情報として得ることが絶対に必要であり、基本だと思っています。
しかし、治療者によっては本人からの言葉だけでの情報で、親からの情報を入れようとしないドクターもいます。その場合、親だけの時間をとってもらうことが絶対に必要で大切なことです。ドクターの言っていることと、親が言ってることが食い違っていると子どもは混乱してしまいます。


回復への道すじ
ポコ・ア・ポコを始めて7年がたちます。そのころ一緒だった方々も、回復されてお子さんが結婚されたり、働きに行かれたりでお会いする機会も少なくなり、寂しくもありなつかしくもあり、でも良かったなと嬉しい気持ちでもあります。今、参加されている皆さんとは、長い期間のように感じますがまだ1年から2年しかたっていません。(新しい方もいらっしゃいますが)毎月、皆さんとの集まりの中で、来る人、来なくなる人、初めての人と出入りがありますが、その中で何人かの方々に、大きな変化を見ることができて、とても嬉しく思っています。

親元を離れて学生生活を楽しみ始めたり、自分で自分の楽しみを見つけて友人と行動が一緒にできるようになったり等々。「自分を振り返ってみた時、1年前とこんなにも違う子供と自分がいることを今、実感しています」というお話をされていました。回復とか治ったとかいう判断は、親である自分達と、本人達と治療者との考え方とおのずから違いがあります。本人達も親も 抱え込んでいた何かがはずされ、しがみついていた心と身体、そして一時的に重なっていた親と子の距離が、心と心の信頼という糸を広げ始めたことにより距離をおくことができるようになります。自分で自分のことを考え、判断し、親子で話し合いながら、そしてお互いを認め合いながら回復、成長していくのだという感がしました。

摂食障害という病気が本人に与える影響を、親がまだわかっていない場合、親の対応の遅れが回復に大きな差が出てくると感じることがままあります。自分ではわかっているつもりでも、親が子供に対するエゴから空回りして、ドツボにはまっているような場合も多いようです。大変なのは本人はもちろんですが、支えていかなければならない家族も同じだと思います。

参考になる書物はいろいろありますが、1番参考になるのは、回復してきている家族の話、経験、接し方、話し方、考え方に勝る物はないと実感しています。親も悩みながら判断し、行動し、落ち込んでと、この繰り返しかもしれませんが、それが大事なことだと思います。
真っ最中の方には「なんで? どうして? どうしたらいい?」ベテランさんからみると「そんなこと当り前、みんな通る道よ・・・。」回復した今だからこそ言えることであり、思えることであってやはり真最中のときは半狂乱もあり、どん底あり。でも、どっぷりと子供と向き合ってきた結果が今にあるということを改めて実感します。
体験して学んできたことは、困っている人に伝えていってもらいたいと思います。回復という事について話し合ったとき、みなさんそれぞれに、それぞれの回復がありどこを回復とみるのか。それは、それぞれの立場で思いが違ってきます。

外に子供が出始め、いろいろな問題が自分の目の前に起きてきて、それを1つずつクリアし、クリアするとまた違う問題が目の前に現れ、またそれをクリアし・・家族に、そして周りに支えられながら自分でクリアしていく姿を見ていると、この摂食障害というのは、あの子にとっては自分探しだったのかな・・と思えるようになってきた・・というご家族の声に、納得できました。
家族は焦っています。早く前の娘に戻って! 早く目の前で行われている行為を止めて! なんでころころ言うことが変わるの?! 振り回されて・・こんなにしてあげているのに・・何でなの?! 無駄なことなんてなにもない・・いろいろな話を、いろいろな人に聞いてみよう自分の気持ちを話してみよう

“傷のなめ合い”という人もいるかもしれないけど、何もしないよりは道が開かれる・・。まず、親が楽な気持ちを少しでも持てるようになるためにも、家族の会があるということを知って欲しい。情報を得て欲しいと思います。特に、回復している家族、回復途中の家族の話を聞くだけでも、暗闇の先にある小さな回復の兆しが少し見えてくるかもしれません。親が子供の小さな変化、良い変化をどのくらい見つけて評価してあげられるか・・それを見つけ出す力、評価できる力をつけるためにも、親自身にある程度余裕がないと難しいことだと感じます。

親としての苦しさ辛さを確かに聞き、受け止めてくれる相手がいないところで話をしても、それは「独り言」すぎない。共有できる仲間がいることが子どもを回復させていく1つの力になります。家族の会に即効性のある正しい解決法や、特効薬を求めてもそれはありません。正解などないし、あったとしても人によってみんな違うし、即効性のある特効薬がないから、親が自分で見つけていくのです。我が家の対応方法を、同じ病気の子供を持つ家族がお互いに話を聞き、語り合い、分かち合う事により自分への刺激となり、癒しとなり、エネルギーとなって元気を自分で持ち帰る・・それが親自身の余裕につながります。
会話のいいなと思うところは、自分と違う意見を持つ人がいることを知り、そして自分の考えをよりよい方向へ発展させることができることではないかなと思います。

引きこもり、摂食障害、非行とかそれぞれの子供の状態に関係なく、親としての対応、接し方は変わらないと感じています。覚悟と根気、信じて待つ、しつけ的発想をやめてみる、まず両親が一致団結する北風より太陽、振り回されない距離感、受容の精神等々・・・


夫の役割
母親は、子供の言動、行為、行動の一挙一動に混乱し周りを見る余裕がありません。医師の前では緊張し子育てについての罪悪感を抱えて萎縮しています。精神的にいっぱい、いっぱいの母親が少しでも楽になるように夫婦がコミュニケーションをとることは、とても大事なことです。母親を支えるのは父親です。夫が妻を支える事、それが子供の回復につながります。夫は妻に「よく頑張っているね」と、ねぎらいの言葉をかけてあげてください・・・夫が妻を後ろで支えることで、妻は癒され心強く感じ、子どもに対応する元気を生み出すことができます。夫は仕事もあるし・・と逃げ腰にならず、しっかり支えてあげてください。母親の精神的な余裕が、子供の回復と自立・自律に大きく影響します。愚痴を話せるように、愚痴を聞いてあげる。夫から妻への愛情を忘れないで下さい。母親への精神的支援が絶対に必要なのです。そして夫婦で子どものことを抱えましょう。

社会復帰とは
私が思っている社会復帰というのは、仕事に行っているからとか、外に出ているから社会復帰ができているというのではなく、社会生活を営む事ではないかと思います。社会生活とは日常生活の積み重ねであり、日常生活とは日々の暮らしが安心して満足のいく生活が営めることでなないかと思います。どうやったら自分の生活が安心して送れるのか、病気を抱えていても自分が満足する生活をどのようにしたら営んでいくことができるかを考えていく事が大事だと思う。それが社会復帰につながるのでないでしょうか・・・


自立って・・・
自立って・・子どもに対し「自立しなさい」とよく言います。世間一般では自立とは経済的にとか一人暮らしということを言われます。一番大事なことは「自分の生活、自分の心を自分で整えることが出来ること」ではないでしょうか。親は、病気の子をもったことで、サポートしたり我慢することもありますが自分の人生を疲れずに、自分のしたいことを思う通りに生きていくようにすることもとても必要なことだと思います.

戻る