タカの独り言過去ログNo.3


摂食障害の子を持つ親の心

我が子が骨と皮になり、「辛い、死にたい、私を殺して」「何でこんな私を産んだのよ」そしてリストカット、自殺未遂・・一番苦しいのは本人ですが親も毎日続く病気がさせる状の激しさや、浴びせられる暴言に戸惑い、傷つき苦しみます。自分の育て方を強く責め、自分で自分を追い込んでいく。不安や焦り、恐れや悲しみなどでどうしたらいいかわからず、一人で抱え込み、孤独と絶望感に陥っている状態の親が、藁をも掴み思いで家族会にやって来ます。

「一人ではないですよ、必ず治ります」と数多くの問題を乗り越えて回復に向っている家族から発せられる言葉ほど心強いものはありません。摂食障害の子どもを抱えている多くの家族、その中でも母親は、家族全員に目をくばりながら子どもを支えていく難しさは、自分の経験からどれほど大変なことなのかよくわかります。

親は医者に連れて行けば良くなる、前のようないい子に戻ると思い期待しますがそんな簡単なものではないことをやがて知っていきます。いろいろな関連書物を読みあさり、親が変わらなければいけないとあれば変わろうと焦り出来ずに落ち込む毎日。目の前で苦しむ子どもの姿を見ながらどうしてやることも出来ない自分への怒り。親の育て方が悪かったのではありません。

現在の痩せていることが礼賛される社会風潮と、真面目すぎる子どもの性格といくつかの偶然が重なってしまったことが大きいと思います。回復するまでに長い時間が必要ですが、この病気を親が早い時期から理解し治療者の手を借りながら対処すれば短期間で回復しています。大切なことは「生きていてくれること」それだけで十分と思うところから始めていくそして今の状態の子どもを受け入れることです。家族会は、本人を回復させるための特効薬があるわけではなく、あるいは即効性のある正しい解決法を持っているわけでもありません。カウンセリングでもありません。お互いを慰めあうだけの会でもありません。自分たちの経験から得てきたそれぞれの子どもへの接し方や対応方法、捉え方や考え方などを、親同士で話し合います。

話を聞くことにより自分たちがたどってきた道を振り返り、子どもの成長をはかることができます。そして、今の辛い状況、困っていること、心配していることを聞いてもらうことによりそれが自分だけの思い込みだったとか、いろいろなことがわかってくるうちに子どもが変わってきます。そして自分の変化にも気がつきます。親が元気になり、余裕がでてくると、今まで見えなかった子どもの小さな変化や成長を見つけることができるようになってきます。その積み重ねが、子どもの自立という心の成長を確実に進めていきます。

問題を抱えている家族がお互いを理解し助けあいながら、子供と向きあっていく力をつけそれぞれの問題の解決を目指し、前に進んでいく、そのために、家族会の存在はとても大きく必要とされています。家族会に集まってくる多くの情報を上手に利用し役立てほしいと思います。暴言の裏側にある子どもの心が痛いです。「お母さん、私を見捨てないで、私を認めて、寂しいよ、こんな子どもでごめんなさい」親の悲しみが伝わってきます。必ず回復する病気です。回復への思いはそれぞれおのずと違いがあると思いますが、普通に社会生活が営めるように、手助けをするだけのことなのです。力を合わせて歩いていきましょう。



生き続けること
原点、生き続けること
7月の家族会でもいろいろなお話がありましたが、私は生き続けて欲しい、どんな状態であっても生き続けてほしい、それが私の原点です。その後のいろいろな問題が発生したとしても、その都度解決していけばいいことであってそこのプロセスが大事であり、そして、生きることがまず第1ということを理解しながらこの家族会に参加して欲しいと私は思っています。病状、お子さんの色々な要求、感情にお母さんはとても苦しくなります。その苦しさを踏ん張ってほしいのです。苦しいために、親自身が苦しくない方向のアドバイスや考えに行きがちです。親が癒されたいのか、子供の回復を望んでいるのか、それによって、対応の方法に大きな違いがあります。

ポコ・ア・ポコにきている方々は何を望んできているのでしょうか。どういう形でスキルアップをしていこうと思っているのでしょうか。再度、もう一度考えて欲しいと思っています。自分で考えて欲しいと思います。考えない以上は方向性は見えません。それによって対応方法はおのずから違いがあります。私はどんな状態であろうとも、子どもたちに生き続けて欲しい。それが原点だと思っています。生き続けるためにどういう方法が一番いいのかということを、常にその家族と、家族をサポートしていく人たちが考えていくことです。何度も言いますが、私は子どもたちに生き続けて欲しい。
生き続けていく権利をその子は持っているからです。

そして自分の幸せを掴んで欲しいと願ってサポートしています。私はお母さんが当事者を抱えながら、回復を願っている家族にサポートをしています。お母さんたちは何を考えて、どういう行動をしていくかということを考えて欲しいと思っています。

問題解決のために
お子さんの段階によって関わり方が違います。

丸がかえ  ・ 支える  ・ 寄り添う   ・ 見守る


自分の子どもが今、どこら辺の段階なのかは、家族会などで話を聞いたりしているうちに見えてきます。そこのところを理解しながら、関わっていってください。子どもから見た時に、受け止めてくれているのか、受け入れてくれているのかという感覚。親としては受け入れているつもりでいますが、子どもは受け止めてくれているだけと感じているのかもしれない。お母さんは、わかってくれているようで、わかってくれていないという感覚。受け入れると受け止めるは違います今工夫しながらやっているお子さんが今のお子さんでそれを受け入れてあげてください。本人は本人なりに工夫をしています。その工夫を親が理解せずにor気がつかずに「それはあーじゃないの、こーじゃないの」と言うことは、本人にしてみると自分のやっていることを否定されていると感じています。本人のストレスは本人のストレス。そのストレスを本人の中で、何とかしようと今まで培ってきた理性とか知性とかを使って、工夫しながら対処しようとしています。その対処しようとしていることに、手をつっこまれてくるということは、自分の対処していることを否定されていることになります。そして、お母さんにコントロールされるのではないかと思い余分なストレスが発生します。

お母さんはお子さんのことが心配でとても不安、それはお母さん自身の心配であり不安です。自分の心配や不安をなくすために、お子さんに行動を促していませんか?本をいっぱい読んで知識だけがたくさんあると、答えを先に頭の中に親が持ってしまいます。それは本の中で得た親の答えです。実際にはなかなかあてはまりません。ご自分の身体で、実際の実体験であたっていくことが大切なことと思います。親は「何で食べないの?」とか「食べないと倒れちゃうよ」とか心配して言いますが本人にしてみるとそれは責められていると感じられ、自分はいけないことをしてしまっているという罪悪感が強く出てきます。身体的に危機的状況から脱してくると親は安心します。もう良くなったかなと。心を回復させていくために、心を成長させていくために、ここからよりいっそう親が関わっていくことが必要です。

親は自分の思いを子どもに押し付けていたつもりではなく、こういう形のほうが子どもが幸せであろうと一生懸命やってきたのではと思います。しかし、幸せというのは子どもが自分で見つけなければなりません。やっと自分の自己主張ができるようになって、自分の思いを言えるようになってきたでも不安もいっぱいだということをわかってあげて、受け入れてあげましょ
う。

親が返事に窮すること
当事者が「死にたい」お母さんに「死んでくれたら私は良くなる」そのような言葉はこの病気になった多くの方は、親に向かって言う言葉です。親はこの言葉に返す言葉が見つかりません。死にたい、死にたい、死んでくれ、死んでくれ・・・・私(母親)がいないほうがいいのかも・・本当に死んでしまうのでないか・・リスカ、OD等の症状の激しさがあります。顔も見たくない、向こうに行ってよと声を荒げます。物にぶつけます。「この私を見てよ」「今の状態の私を受け入れてよ」「今の私を何とかしてよ」と無理をわかっていても訴えてきます。親が当惑するのが当たり前です。親はどうしていいかわかりません。説得を試みます正論と常識で。当事者はわかっています。でもできないのです。できないから困っているのです。できないで困っている状態の子に親は付き合うのです、とことん付き合うのです。

その付き合い方は、各々の家庭環境とか年齢とかによって様々です。この状態が早ければ早いほど回復に近づくのですが、当事者がある程度、摂食障害という病を知ってしまった状態(長期間であったり、病気を盾に使っていたり)になってしまっていたら、当事者の段階(症状)によって、付き合い方が違うのではないかと私は思っています。
当事者の段階によって、親は当事者の対応に変化を持たせて、状態をみきわめて、親に対応技術を見つけていくことは、親にゆとりを見いだせることにつながります。親にゆとりがないと、いろいろな状況が見えなくなってしまいます。親も○○をしなければ、○○をせねばならない・・と自分を見失ってしまった状態での対応は??です。お子さんにに○○してあげてよかったといような思いで付き合っていただけると違うかな・・と思います。



万引きの対応
万引き行為が摂食障害の病状の1つであるといいうことがまだまだ理解されていないことを残念に思っています。家族が摂食障害という病気を理解しているかいないかで対応はずいぶんと違ってきてしまいますよね。なぜ万引きをするのか・・仕事や学校などがオーバーワークであったり、家族間のトラブルがあったり、孤立している状態であったり、親がちょっと気を抜いて気持がそれてしまった時等々、いろいろな状況があります。

苦しい、辛い、寂しい、私を見て、私はここにいるよ・・・本人の気持ちです。親に自分のほうに注意を向けさせようとするための行為であることが多いようです。わざと行うこともありますが、頭が真っ白状態で無意識にしてしまうこともあります。その辛い気持をわかって受け止めてあげることが、親が行う1番大事なことではないでしょうか
親はその子がそういう状態の気持ちでいるということを受けとめてあげて、わかってあげること、そしてコミュニケーションをとることがやはり大事なことのようです。どんなときも「あなたが大事」ということが伝わるようにしていくこと、その部分が満足できると、あるいは満足していると万引きをしたり、繰り返すことがなくなってくるようです。今の子どもの状態を認めて受け入れる、これは万引きに限らず、必要なことですよね。

もし、警察から、店の人から連絡があった時、どうしても親は気が動転してしまいますが、まずは親が落ち着くことです。そして本人に会った時、怒らないで抱きしめてあげてください。「怖かったね、辛かったね、苦しかったね」と。万引きが悪いということは、本人は十分にわかっています。自分を責めています。謝っている親の姿をみるのは本当に辛いことだと思います。。万引き行為については、すぐにということではなく、本人が落ち着いてきたころに必ず話をします。理路整然と追い詰めたような話になると、リストカットなど違う行動になることも多いので、本人が安心できる環境、本人の状態、タイミングを作って話をしてください。大事なことは、本人から「もうやらない」という言葉を引き出せるように話をしていくことです。

それには、本人の心がある程度満足した状態にならないと、そのような言葉が出てこないことが多いようです。この子たちはとても真面目です。約束をすると守ろうと努力をします。再犯になると警察はなかなか帰してくれません。その場合主治医に上申書をかいてもらい帰してもらうようにしています。そういう意味でも医療者にかかっているということは大事なことです。予防と考えた時に、本人の意思も当然大事ですが、やはり親がいかにその子を受け入れて向き合っているかではないでしょうか。心の小さな変化を見続けることがいかに大事なことかと・・と思います



想像の心配
想像というものは、自分の頭の中だけで思っていることで、行動あるいは、現実に起こっていることではありません。そのためにその思いだけがどんどん増幅され、それとともに不安や絶望感なども2倍、3倍と累乗されていきます。現実にはありえないことでも頭の中では広がります。お母さんに見捨てられたらどうしよう、このまま際限なく太り続けたらどうしよう、私がこうだからお母さんは私を嫌いになるのではないだろうか、このままずっと外に出られないのではないか・・等々、1つの事柄だけを思って果てしなく想像は広がり、それとともに不安が倍増していきます。

頭の中で思っている想像を言葉として、あるいは態度等で表現することが出来ていることがとても大事です。表現することで周囲は、本人がそう思っていることを(不安や恐怖やや心配)思っているんだということを受けることができ、共感してあげたり、「ここからどうしようか」という現実に戻して、一緒に考えたりすることができます。その繰り返しで現実を経験(現実感覚を作りだす能力)を増やしてしていきます。しかし、マイナスの想像を誰にも言えず自分の中だけで抱えている場合、その想像は自分の頭の中だけでの現実となって、深く深く沈みこんでいきます。逆に、親が心配の先取りをして(現実に起きていないことを)「もしこうなったらどうするの」とか、「もしだめだったらどうしよう」とか、「ああなったら大変だからこうしたほうがいい」(命令)とか、親の心配を子どもに植え付けてしまうと、子どもは不安だけがたくさん発生し、その不安は、どんどん大きくなります。

なぜならそれが想像になるからです。「もしだめだったら」ということを考えてしまうと、今、目の前の現実をどうやっていこうかというよりも、その先(想像)の(心配)に力が入ってしまうように思います

掲示板について
今回の件(掲示板書き込み)に関して
このたびの掲示板書き込みのトラブルに関しまして、皆様からお気づかいいただきまして深く感謝申し上げます。私は家族会、掲示板でよくお話することは、摂食障害は死に繋がる病であり、医療者に関わっていても、摂食障害からくる・・・といった病名で亡くなる方が7〜8%の高率で、更に自ら命をたってしまう方誤嚥等のために回復過程の中でも亡くなる方は摂食障害という病名はつきません。そのくらい死亡率が高い病です。摂食障害フェスティバルでよくお会いする香山雪彦先生が「明日はバイトの面接だ・・と張り切っていた子が突然倒れて亡くなった、無念で涙が止まらない、生き延びてほしかった」とおっしゃっ
ていました。

「私、治すからね! 絶対元気になるからね! タカさん見ててね!」と、私にそう言って前を向いて歩いていた子が、突然亡くなりました。本当に、本当に無念です。残念です。涙が止まりません。だからこそ私は経験者として親が何をしなければ・・ということを皆で考え、そしてそれを超えてきた人達がその情報を提供してほしいという思いで、家族会を開き、掲示板を運営してきました。そのため医療者から、家族から、当事者からもたらせるポジティブな情報、ネガティブな情報も隠さず提供してきたつもりですが、今回不幸なことに書き込みの中に医療的指示行為がひんぱんに書きこまれ、この掲示板に来られる家族が、その指示通りに行動する家族が、賛同意見を書く、その裏では管理者に多くのクレームが発生しておりましたので、あえて書き込みの注意をうながしました。

私たちは「家族が家族を支える」 一種の「家族対応術」であって、カウンセリングではありません。掲示板にくる人全員に対して、一個人がアドバイスをできるわけでもなく、自分たちが経験してきた事柄を「そうそう、私たちにもそんなことがあった、その時は、このように対応してきたな」という情報提供をしている会であって、またそのような掲示板であってほしいとの思いで運営しています。この家族会から卒業されていくご家族、もうすぐ卒業というご家族も、多くのご家族から支えられて、支えて、力をつけて卒業されていきます。医療者が行っている家族会もあります、医療機関が行っている家族会もあります。行政が行っている家族会もあります。体験をしてきた家族が、他の家族に病のこと、症状への対処など情報提供をし、お互いの生活上の困難などを話し合い、わかちあう家族会。

病を持つものと共に暮らしている人たちが、お互いに役に立つ情報を整理して共有するばかりでなく、自らの苦労話や生き方の工夫などの体験も語り合えるので、対等な関係のなかでお互いを励まし、また、知恵を出し合い、よりよい生活の実現、社会復帰へ向けてのサポートを目標にして活動をおこなっています。伊藤順一郎先生から教えられたことを基本に継続しています。これからも多くの方のお力をお借りしながら、家族会・掲示板が回復へ向かうための手助けの1つになるように活動ができることを願っております。本当にタカのひとりごとでした。

向き合うって
当事者と向き合うって
摂食障害という病を理解し、病状から発する当事者の言動を受け入れる難しさがあります。今・この瞬間・この今、本当の今の言動から発する言葉・行動に親としての正確な答えを導き出そうとする必死さがわかります。ただ、答えは当事者の中にあるもので、親の答えではありません。その答えに到達するまで当事者はもがき苦しみます。親はその様子を見て焦り苦しみます。親は頭で、知識で、理解しているつもりでいますが、実際のその時・・対応に、対処に、接し方に戸惑いながら、色々なことを言います。しかし、当事者がわかってくれないと親は苛立ち、当事者もわかっているけど出来ない自分を責めています。

今まで親の考え方を当事者に押し付けてきたこと、それを当事者は拒否をしてこうなっているのですが、でも親に頼らざるをえない当事者がいる辛さも感じます。親も具体的な対応が見つけられると少し余裕が出てきます。その具体的な対応は経験の中から理解できるようです。親に余裕ができると、当事者の対応にも幅ができ、当事者も少し自分の行動が見れるようになります(自分の行動は現実の階段を登ることです)この病気は必ず回復する病気です。

当事者は自己評価が低くなっているため、自信がありません。でも本当は色々な高い能力を持っています。ただ当事者は気がついていません。だから不安だらけでいっぱいになっています。しっかり出来ているのに確認が取れないと不安になります。当然その不安が毎日あるわけで、不安も大きくなります。その不安を1番安心できる人にぶつけます。ぶつけることによって小さくなるのではなくて、自分の不安をわかってほしいと訴えています。1番安心できる人が誰かもわかっているのです。現実のストレスは大きくて浅いが知恵と工夫と対処でどうにかなります。想像のストレスは小さくて深く、月日がたてば経つほど大きく広がり始め、さらに深くなっていくために対処がしづらくなります。

現実のストレスは、怒りなどを相手にぶつけたりとかして、転嫁できるものがあるので表に出せる分、大きいが浅く済みます。しかし、想像のストレスというののは、他から見えにくいために、より深く中に沈みこんでいくので根っこができます。 さらに深くなると、自分を責めていくほうに入っていき罪悪感が大きくなります。現実のストレスというのは、相手があり、本当は相手にぶつけたいのだが、ぶつけられなかったりする分を、母親に自分の思いをぶつけてきます。そのためにストレスが大きく表に見えますが、その時に対応していけるため、わかりやすく、対処がしやすいので 何も表に見えないよりも見えていたほうがいいです。

その思いを母親がわからなくて対処ができないと行動が激しさを増します。しかしそういう状態になってくると、お母さんが委縮してしまいます。我慢してしまうというより委縮してしまうため、それに対してお母さんは恐怖心という現実のストレスを抱えてしまいます。子どもが出している現実のストレス、思いを、受けてあげられれば解消されるものが受けられないとそのストレスがエスカレートしてしまいます。お母さん自身は、子どもがぶつけてくることを受けているつもりでも、子どもからみると受けてもらっていないと感じると、「もっとわかってよ」と行動がスカレートしてくるため、親は混乱をきたします。

それは受け方、向き合い方に違いがあるのでは・・・。子どもの言うことを聞いているだけかもしれないし、子どもの要求通りのことをやってあげているだけかもしれない。それは受け止めるのとは違います。お母さんは「ちゃんと聞いているじゃない、言う通りにやってるじゃない」と思うかもしれないが、向き合っているというのとは違います学校とか仕事場で、色々言われたりして嫌なことがあって、ストレスが大きくなり自分では解消することができずにお母さんに八つ当たりをしたりします。お母さんはガーガーなっている子の話を聞いてあげる、たくさんしゃべらせるように引き出してあげるように聞いてあげる。一緒になって考えてあげる。答えを出すわけではなく、一緒に考えてあげることが大事。当事者が我慢するのか、納得するのかによって違いが出きます。

受け入れるって
今一度 受け入れるってどういうこと?親御さんたちは、食行動さえ改善されれば「回復」と当初は思うことが多いです。「お子さんを受け入れてください」と治療者も言いますし、本にも書いてありますが、何を受け入れて、どのように受け入れて、どのように対応していくか・・・なかなか理解できないでいます。

まず、摂食障害という病気を理解してください。「摂食障害ってなに?」ということをです。この病気を持ったお子さんを受け入れてください。摂食障害にかかったお子さんが、病状からくる激しい言葉や行動を、親御さんが今まで知らなかったお子さんの発する言動を受け入れてください。そして親御さんの正論と常識を、お子さんはある程度分かっていますが、心理的からくる行動上の否定を受け入れてください。最後に本当に苦しんでいで、自らを否定している子どもたちの大きな叫びの心を受け入れてください。

そこからが始まりです。そうでないと「私のことを分かってくれる」という思いにつながりません。
その部分が受け入れられると、暴言、暴力などの過激な行動が少しずつおさまってきます。なぜなら、「自分をわかってくれている、受け入れてくれている」と子どもが実感できるからです。寄り添って、心から行う1つ1つの行動を、2人で共有していってください。必ず回復します。


思うこと
病気の症状として身体的に出てくることとか、精神面でどのように出てくるとか医療者が細かい部分に関して話してくれるます。その中で親がどのような関わりをしていかなければならないのかということを、伊藤先生の作られたカリキュラムを実践してきて思うことは、当事者の力をいかに発揮して社会復帰に向け、外に向けて出ていけるかという、当事者の一連の流れをいかにして家族が支えていくかということがなんとなくわかったような気がする。みんな、治療者もそうだが個々の部分で行うことであり、実質的には、その子のトータル的部分を見ていくのだが、その子がトータル的に見ていき判断して行動していかなければいけない、その行動の支えになるのに1番は家族だというのが、自分なりに実感してきた。行動の支えになるにはいろいろな取り組み方はあるだろう。

例えば、聞いて癒してあげるというのもあるし、ひたすら勉強会みたいなところで知識を持ってくるというのもあるだろうし、いろいろなやり方があるのだろうけれども、いかにしてこの病気を理解して、その子が自分の思うとおりのような日常生活がおくれるようになっていくかということに、親が携わっていくという大事さみたいなもの、“親の力”というか、親力というものを、こういう家族会みたいなところで身につけて、そういう“力”がついてきてもらえるようになるといいのではないか・・と  

専門家は、「親ならこのくらいはわかるであろう」というような思い方で説明をすることも多いようです。例えば「受け入れてあげてください」とか「寄り添ってください」というのは、どのような受け入れ方とか、どういう形の寄り添い方というのを、個々で見つけていかなければならないのだが、個々で見つけていく方法を1番の情報源としてもっているのは、経験者ではないかと思う。ゆえに経験者が情報提供できるような形を作り上げていかなければいけないのではないだろうか?いろいろな寄り添い方があって、どこの部分を寄り添うのかとか、何を受け入れるのかとか親としては一生懸命にやっているつもりなのだが、それがはまっていなければボタンの掛け違いとなり、子どもにしてみれば「わかってくれない」という言葉が出てきてしまう。そういうことを経験者が教えていくことが必要ではないかと思う。

そのやり方は、経験してきた人の中から出てくるもので、経験者がたくさんいればいるほど、経験の話の中に具体例がたくさんある。寄り添い方1つをみても、100人にいれば100通りの寄り添い方がある。ゆえに自分の家の中で、その家庭の中で寄り添い方を見つけていかないと回復力が身につかないのではないか家族等から言えば、本人の回復は一般社会での習慣だとか、常識だとかといいうものが基準となる。

例えば「普通」というのは何をもって普通というのかと同じで、100人いたら51人がそう言ったからそれが普通であって、それでは残りの49人が普通ではないのかと同じ理屈になってしまう。その人にとっての普通で(社会的ルールから逸脱していなくて)一般社会での復帰へと病状の回復感覚が得られのであれば、その人にとって普通なのでは・・・と思う。



ある掲示板より
ある掲示板に印象深い書き込みがありました。(抜粋)どんな時も見守っていて上げてください。拒食・過食・過食嘔吐を「止めなさい」と言われて止められるものではありません。むしろ、吐くということで何かストレスやら溜まっているものも吐き出しているのです。理解しがたいとは思いますが、カラオケや買い物でストレス発散することと過食嘔吐は似たようなものだと思います。ただ方法が違うだけ。吐くことは本当に苦しいんです。辛いんです。本当はやりたくないんです。その気持ちをわかってあげてくださいね。いい子じゃない自分も、いい子の自分も、いつだって受け入れてほしいのが子どもです。

ボタンの掛け違えで、いい子じゃないといけないと思ってきた子が、疲れて頑張れなくなって、今そこにいる。「どんな自分」でも、周りにいる人が受け入れてくれるとわかれば、人は、安心してくつろげます。吐くか、吐かないか、食べるか、食べないかが問題ではなく、その心の奥の淋しさ、辛さをわかって。味方になってくれる周囲であれば、摂食障害の原因である孤独感は癒され食べることではなく、言語や態度、行動で自分の気持ちが表現できるようになると思います。

親に対する過剰な期待や甘えが、(親なら何とかしてくれるはず・・して!という気持ち)暴言になって現れたり、お金や物の無心になったりするように思います。どこまで無理を聞いてあげられるかは、各家庭によって違ってくると思います。我が家は、「家がつぶれるまで買え」と言う姑のアドバイスで娘の言うとおりにしました。結果は、却って「買って欲しい」とは言わなくなりましたが、誰がやってもこうなるとは限らないでしょう。本当に、家がつぶれてもいいという、心の定まりや覚悟などの条件が整わなければ逆効果になる場合もあるかもしれません。どの子も家がつぶれることは望んでいないと思います。お互いの信頼関係を、金銭上でもどう培っていくか大切な問題で、真剣に考える必要があります。

子どもは、親の痛いところをつきます。親がどういう対処をするかきちんと見ています。親子と思わず、子どもを一人の人間として見て、信頼関係を作っていくことが大事だと思います。慌てないで、悲しまないで、動揺しないでください。大事な子どもさんは、目の前に生きていてくれます。「生きていてくれること」それだけで十分!と思うところからはじめていけばいいのだと私は思います。行きつ戻りつしますが、見放さず、怒らず、傷つけず見守っていれば、必ずゆっくりゆっくり育ち直ります。戻った後は、また大きく進みます。ピンチはチャンス。嬉しい成長が待っています。しっかりここで愚痴を言って、ストレスをためないようにしてください。ストレスは必ず、ためると爆発します。それも言いやすい子どもへ。言いたいことは、言いたい人に言える親になることも、子どもが変わるおおきな要因になるのではと思います。

いろんな理由があったのだと思うのですが、原因は追究せず、ゆっくり親子で育ちなおる時間を楽しんでいたら、徐々に徐々に立ち直っていきました。みんながみんな、同じようにいくとは限りませんが腰をすえて、ゆったり見守りながら子どもの後をついていくと、親の人生も、為すべきことを為す実りある充実感を得られたように思いました。マイペースで急がずに、娘を信じて、夫としっかり協力し合うことが早道です。



生活目標
何もしないで家にいる子どもの心 生活目標。何もしないで家にいる状態の子は(仕事や学校にいってない)ものすごく不安です。何が不安なのか・・人間というのはある程度自分の中で、何かしらをしていないと不安なものです。何もしていないと何か言われるんじゃないかとか、こんな自分はだめだとか、自分の存在価値がないように思うことが多く、家にいること事態が不安です。

ここにいていいのかということを常に自分を責め自問自答しています。だから、焦り、急いでとりあえず自分の居場所を探そうとし、アルバイトとか学校とかに行き始めたりします(よりいっそう不安感が大きくなってきます)が、とりあえず自分にやることがある、やっていることがあるということで自分の中に、ここにいてもいいんだという安心感はあります。しかし、やったところでもそれはなかなかうまくいかなず、苦しくなり辛くなってきます。なぜなら自分の思っていることと違うからです。ただ自分の居場所を探しているだけだから。だからその居場所がだめになれば、またすぐ違う場所を探さなければならない自分がいます
だから、アルバイトを始めました、辛くなってきたからやめましたということが何回も何回もあるのです。そこのところをわかってあげながら接してあげてほしい。そういうことから生活目標を見出してあげることはとても大切になってきますが、でもそれは本人が考えることです。

エネルギーがたまらないと本人は「これをしたい、あれがしたい」ということが出てきません。「ゆっくりしようよ、エネルギーが出てくるからそれまで待とうよ」と声かけしてあげてください。本人はものごとを客観的に見ることが難しいです。親も客観的にみることができないと子どもに振り回されて混乱してしまいます。しかし実際は、お母さんに向かってくるので、お母さんが目の前の子どもを含めていろいろなことを客観的にみることはなかなか難しいところです。そこでお父さんがちょっと離れて客観的に見てあげることがとても大事なことです。親が答えを出さない、1つの答えだけを出さないで本人に考えさせて、やめたりやったりということをしてほしいのです。だから焦らないで、親も、本人も。



自分だけの価値観

摂食障害のさなかというのは、自分のことだけをひたすら言ってきたり、やってほしいという、幼児期と同じような時期からだんだん大きくなってきて、自分で判断する力とか、考える力、認める力などがついてくると自分の中で対応できていく・・だからもう一度育てるというように理解するとわかると思います。今までずっと良い子で親の思う通りに動いてきた子が、その通りにならなくなってきて自己主張をしてくると、自分をもろに出してぶつけてくる。だから最初は、親にしてみると心配なんだけども可愛くないんです。今はとりあえず本人の中にある自分のだけの価値観(価値観自身が自分の中で崩れてしまった)を言ってくるので、良いか悪いかは別として、社会一般通念の常識だとか正論だとかそういうものがなかなか取り込めないている子どもがいます。

社会とか外では通用しない部分を、自分の中ではそれを通用させよとしているので、そのギャップが大きいため、周りの家族が振り回されるのです。「そんなことダメでしょう」「そのくらいわかるでしょ」と言いたくなるのは当然でうが、言えない自分(親)がいたりします。なんとか子どもにわかってもらおうと力むことより、今の子どもがそういう状態なんだということを捉えることができると違った対応ができます。

子どもが言います「こんなこといつまでも、やってたらいけない」と。親は「じゃあどうするの? なにか方法があるの?」と言っても子どもは答えられないのです。「誰かなんとかしてよ」というような思いが今の状態だということなどをひっくるめて受けとめてあげなければならないのが親なのです。

関わり方1
病を持った子どもとの関わり(1)
病を持った子どもの心から出た思いを行動にあらわした時は、常に不安が伴います。病を持った子の周りに支えてくれる人がいると、病は安定し行動に移りやすくなります。親の立場からいうと、病を持った子が生きていくためには、当然、親が子供を支えていきます。その中で、子どもの思いとか、それが行動に移った時、親はハラハラ、ドキドキしたり、まだまだ無理だろうと思ったりする親の価値感と思いが、同じ土俵の中でぶつかるので、家族が振り回されることは当たり前のことです。

病気を親が治せるわけではなくて、病を持っても生活できるよう、親が子供と関わり、支えていくことがとても大事なことかと思います。援助する、ケアする親が、病を持った本人が思っているように行動ができないと、親が責任を感じてしまい、「親の私が悪いんだ、私がダメなんだ」と被害者意識が強くなり反面本人に対して暴発的な思いが強くなり、自分の正義と置き換え、子どもを否定的に捉えてしまうと、病からの回復が遠のいていくように思います。

関わり方2
親は治してあげようとか、苦しんでいることを親が取り除いてあげようと思っています。しかし実際に治すのは自分であって、苦しんでいるのを取り除くのは自分であり、自分の中で何かしらの心の変化が出てこないと難しいのです。心の変化が何か言ったら、その人のやろうという意欲です。意欲が何かといったら、親のためとかいろいろあるかもしれないが、1番は自分のためです。本人が意欲をいかにして出させていくかというのが本人の“能力”です。みんな1人1人、素晴らしい能力を持っています。そしてその能力というのは1つだけではなくたくさんの能力があります。

しかし、1つの能力だけですべてを判断している子どもがいます。1つが駄目だと全てが駄目と感じる、また。逆の場合もあって、大きく動くこともあります。そこを親が把握しておかなければならないところです。本人の能力が出てこないと意欲が出てきません。本人の意欲というのが、何かにくるまれてしまっているような状態が今の子どもです。もともと持っている能力を、自分の中で活用する方法がわからないでいます。その能力をどのように活用していくかその方法が技術ではないだろうか。持っている能力をどういう風に使っていくかが技術、技術を使いこなして力をつけていくから技量になります。

対人関係の中において、相手にわかってもらえるように伝えるにはどのようにしたらいいか、それがその人の技術です。伝えようとするその努力、思い、感情、気持ち、言葉、それが相手に伝わるわけです。その伝え方が技術です、その技術が親も子も弱いのではないでしょうか。子どもが持っている能力とか技量を、どのくらい持っているかということを、親が把握できていないまた、子どもが未熟な技術で発信しているが、親がそのことを受け止めるだけの技量がまだ少ないのです。そういう能力を引き出す技術がまだできていない子どもに「早く治ってよ、どうしてそうなの」という思いで子どもに要求しても、それは難しいと思います。また、子どもは受信能力が非常に弱いのです。なぜなら常に不安が伴うからです。子どもの歩調や歩幅、親の歩調、歩幅は当然違います。

ところが、その歩調が違うということを親は同じと考えてしまいがちです。「これはできるでしょうよ」「それはまだ無理でしょうよ」というのは親の歩調。子どもの歩調ではありません。親子の関係は、当然のことながら親が“主”で子どもは“従”になります。親の主としての価値観と、子どもが従わざるをえないような従の価値観とはおのずから違いがあります。例えば会社という組織の中に入った時、上司に言われたことは、それは命令として受けざるを得なくなります。主と従だから、それと同じです。だから子どもの中で苦労が多くあります、それに添わなければいけない自分がいるから。その中で、生きずらさ、生活のしずらさがあったから、この子たちは、この先、生きていく上での目的とか、生活目標とか、自分なりの生き方を作り上げていくために、今、摂食障害という形で自分を出してきました。親はそれを認めてあげて、親が受け入れてあげなければなりません。

しかし、親が気づいていないのは当然です、だから親は混乱をきたします。ゆえに、親はどうしても子どもを元に戻そうとするための作業になってしまい大変に辛く、苦しくなります。親の技術を磨くこと、そして子どもに技術を使えるようにしていく、その方法は、それぞれ家庭環境、親と子の資質によって違うので、おのおのの家庭の中で見つけていくことになるのですが、技術・方法=技法が“わざ”です。その“わざ”を習得するためにいろいろなやり方がありますが、その“わざ”を使うには“心”が入っていることがとても大事なことだと思います。“心”には情も入るし、感情も入るしいろいろな情が入ってきます。その“わざ”に理論だけではなく、心情が入っていることが回復への早道ではないかと思います。

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